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現地体験型VR観光で「彦根城」を訪れる~ストリート・ミュージアム~

2022-12-19 06:25:25 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 現地体験型VR観光「ストリート・ミュージアム」というアプリは、今は失われてしまい見ることができなくなってしまった史跡を、現地で今の姿とありし日の姿を比較して見ることができます。
アプリが使える史跡は城郭・神社仏閣・古代遺跡・産業遺産・街道宿場町などがありますが、数の多いのは城郭となっていて、滋賀県では安土城と彦根城があります。

安土城は廃城になって数百年、石垣などは復元が進められていますが、天守閣は勿論なく礎石のみとなっているため、ストリート・ミュージアムではバーチャルな城郭の姿が楽しめました。
彦根城は天守が国宝に指定(犬山城・松本城・姫路城・松江城)されていて、ありし日の姿が残されているお城ですが、さてバーチャルで見たらどんな感じになるのでしょうか。



彦根城は徳川四天王の一人・井伊直政が関ケ原の合戦の軍功によって近江国北東部を領地とし、当初は石田三成の居城であった佐和山城に入城したものの1603年から金亀山に彦根城の築城を開始したという。
彦根藩主・井伊家は江戸時代に大老を5代6度出した家系であり、明治の時代には華族として彦根藩知藩事を勤め、その後彦根市長を9期に渡って務めたといいます。



彦根城は湖岸道路を走行すると必ず目に入るお城ですが、訪れたのは2007年に彦根城 西の丸三重櫓で開催された「ホリ・ヒロシ人形姫絵巻」以来で15年振りになります。
城では観光客の多さに驚くこととなり、これは観光復興キャンペーンの影響が大きいのかと思います。



ゆるやかで段の広い石段を登っていくと重要文化財「彦根城天秤櫓」へと到着する。
ここに架けられた廊下橋は表門山道や大手門山道から敵が入ってきた場合は落として敵の侵入を防止すると伝わる。
建物土台の石垣は右が築城当時の打込みハギ積み、左が江戸後期の落とし積みとなっていて時代による石垣の積み方の違いがみえます。



廊下橋を渡っていくと「天秤櫓」へ入ることが出来るが、その手前に「オオトックリイチゴ」という彦根城固有の植物群が見られます。
オオトックリイチゴは自生の「ナワシロイチゴ」と中国・朝鮮半島原産の「トックリイチゴ」の自然交配種とされ、7月には淡紅色に熟した果実が実るそうです。



「天秤櫓」は豊臣秀吉の長浜城の大手門を移築されたものだとされており、わずか41年で廃城となった長浜城の遺跡となるようです。
もっとも長浜城も築城の折には浅井長政の小谷城の資材を流用したとされていますから、廃城の資材の流用が普通に行われていたことが伺われます。



この場所をストリート・ミュージアムで見ると、天秤櫓の奥に高い石垣に守られた天守や西の丸があり、その裏側が断崖絶壁となっていて平城ながら守りは堅そうです。
ただし江戸期に入り戦乱はほぼ終結していますので、彦根城は戦乱で攻め込まれることのなかった城です。



方角は違うものの城下の様子を比較してみると、VRで広がる城下は城の近くに大きな家は年寄りや家老の家で、離れるに従って奉行などの家。遠くは足軽や奉公人などでしょうか?
城の直下には広い土地に大きな家が並んでいる場所が並び、江戸時代には井伊藩でそれなりの身分だった人が住んでいた一角なのかと思います。





天秤櫓の上から本丸方向を眺めますが、城内に入ってしまうと石垣が高いため、なかなか本丸が見えてきません。
この坂の先にある高い石段が本丸などがある場所で、内堀の中しか残っていないにも関わらず城内は広い。



太鼓門へと向かう石段の上に現れてきたのは天守の姿。
面白いのは石垣の本丸右下の石垣だけがただの石垣ではないことで、一枚岩を削って石垣としています。



岩は表面が削られて石垣と同じような角度に加工されているように見えます。
本丸のエリアまで登ると岩の反対側が確認出来ますが、元々あった巨石を使って石垣とうまく組み合わせたようです。





本丸のある高台から東側には石田三成の居城・佐和山城のあった佐和山が見える。
佐和山方向にはかつて松原内湖があり、佐和山城と琵琶湖は湖水運でつながっていたとされ、“三成に過ぎたるものが二つあり 島の左近と佐和山の城”と言われた城郭が築かれていたという。
尚、松原内湖は大正から昭和にかけて干拓され、太平洋戦争後には消滅して農地化が図られますが、減反政策が始まると施設用地化や宅地化されて農地は姿を消したといいます。





さて天守のVRですが、彦根城は安土城のように礎石程度しか残っていない城址とは違って、国宝として保護されているお城ですから、現実もバーチャルもあまり変わりはない。
バーチャルの方は看板や人の姿がないためにスッキリして見えるのはいいですね。





彦根城の「西丸」は本丸のスペースより広く東西60m・南北160mあり、史跡としては北西の端にある「西の丸三重櫓と続櫓」以外は何もない。
西の丸三重櫓は搦め手(裏手)からの敵の攻撃に備える守りの要だったといい、琵琶湖を監視する役目があったといいます。
西の丸三重櫓と続櫓は1767年の火災により類焼してしまったものの、1853年にかけて再建されており、建物は重要文化財に指定されている。



彦根城の入城券には国の名勝でもある「玄宮園」の観覧券が付いていますので、天守の裏側の井戸曲輪を通って石段を下っていきます。
黒御門跡へと続く石段から天守を眺めましたが、記憶にあった彦根城の印象とは随分と違い、大きさや広さを感じます。



城の反対側へ出る道は、人の多かった大手門方向の道とは違って人もまばらです。
彦根城にいる間に断続的に太鼓の音が聞こえていて何かお祭りでもやっているのかと思っていましたが、金亀公園まで歩いていったらそれは判明です。...続く。





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