繖山の中腹にある桑實寺は、天智天皇の勅願寺院として白鳳6年(677年)に創建されたと伝わります。
寺伝によると、湖国に疫病が流行し、天智天皇の四女の阿閇皇女(元明天皇)も病気にかかり、病床で琵琶湖に瑠璃の光が輝く夢を見たという。
天智天皇が定恵和尚に病気回復を僧に祈らせたところ、琵琶湖から薬師如来が降臨して大光明をさし、光明に当たった人々の病は治り、阿閇皇女の病気も治ったといいます。
この薬師如来を御本尊として祀ったのが桑實寺で、定恵和尚が唐から持ち帰った桑の実をこの地において育て、日本で最初に養蚕を始めた事が寺名に由来するとされている。
現在「桑實寺」では12年に一度という「秘仏・薬師如来坐像」が御開扉されており、秘仏を拝観するとともに寺伝に伝わる薬師如来が降り立ったという「瑠璃石」を探すことが目的でした。
民家の並ぶ集落の奥に桑實寺の石段の登り口があり、ここから約650段といわれる石段登りが始まる。
少し登ったところに山門があるが、石段登りはここからが本番。
竹の杖を2本借りて、トレッキングポール代わりにして登っていくことにします。
山門を抜けると大きな地蔵石仏を祀った祠がある。
この石仏地蔵は集落の近くにある瓢箪山古墳(後述)の古墳頂上に安置されていたのを明治初年に移設安置したといいます。
石仏地蔵は南北朝期の作とされ、風化は進んでいるものの、彫られた地蔵の姿は充分確認出来る。
山門から先は、いつ終わるとも知れない長い石段登りが始まる。
自然石を積んだ石段で多少歩きにくいが、段差はあまりなく、横に繖山から流れ出た水の流れる川があって涼しいのがありがたい。
桑實寺の受付まで到着し入山料を払うと、“本堂にお参りされるなら本堂の左から入って下さい。観音寺城跡へ行かれるなら右に道があります。”と説明される。
“いえ実は「瑠璃石」へ行きたいのですが。”と聞いて道を教えて頂けましたが、“年に一回くらいボランティアの方が整備してくれていますが、道は荒れていますよ。”とのことでした。
白洲正子さんも瑠璃石に訪れようとして断念したことがあったようで、『かくれ里:石の寺』で次のように書かれています。
「裏の山、十方ヶ岳の頂上に奥の院があり、「るり石」と呼ばれる巨巌が祀ってある。
十畳敷ばかりの、平たい石で、前方に二つ、石棒のような岩が直立しており、写真で見ても神秘的な感じがするが、登るのはほとんど不可能な場所にあって、住職も一度しかいったことはないといわれる。」
山中には西国三十三所札所の御本尊の石仏が並んでおり、第一番札所・青岸渡寺の如意輪観世音菩薩を横目にしながら勾配のある登山道に入る。
山道は荒れていると聞いていたが、登るには支障はなく、白洲正子さんが訪れた時代とは違い、随分と整備されている。
木段は腐食しているものもあったが、まだ下草が茂っていないので、足元の気持ち悪さは感じない。
山道をひたすら登っていくと右手に石棒が2本立っているのが見えた。あれが「瑠璃石」に違いない。
「十畳敷ばかりの、平たい石で、前方に二つ、石棒のような岩が直立しており、」と『かくれ里』に書かれている通りの光景です。
薬師如来が降り立ったとされる聖なる大岩の前に立つ2本の石棒は、聖域を守る結界のようであり、石の山門のようでもある。
かつてはここで宗教的な儀式が行われたであろうと思われ、樹木に覆われてはいるものの、おそらく琵琶湖の南湖方面に向いているようであった。
桑實寺自体も山の中腹にあって参拝するのに体力のいる寺院ですが、そこから山道を登らないとたどり着けない場所に緑に包まれて祀られている「瑠璃石」にはやはり神秘的なものを感じます。
上部が石舞台のようになっている磐座には足を踏み入れるのは躊躇われましたので、石棒の横から眺めることにしました。
磐座を横から眺めてみると、その大きさが分かります。
下から見上げられる場所を探したが、回り込むには困難な場所であったので断念する。
山道を下って桑實寺へ続く道まで降りてくると、目の前に広がるのは湖東平野と西の湖の風景。
最近、西の湖を見おろすことが多いなぁと感じるが、それだけ繖山界隈を歩いているということなのでしょう。
さていよいよ桑實寺への久しぶりの参拝です。
桑實寺の山号は繖山。本堂は重要文化財に指定されている室町時代前期に再建された建物です。
檜皮葺の屋根が美しい入母屋造の建物です。
本堂の中に入り、まずは外陣でお線香をあげて手を合わせると、須弥壇に祀られた秘仏・薬師如来坐像とお前立ちが目に入ってきます。
前回参拝した時には外陣の正面に金ぴかの薬師如来坐像が安置されていましたが、今回は秘仏御開扉ですので、雰囲気が全く違います。
須弥壇には日光・月光菩薩と12神将。
中央の厨子には秘仏・薬師如来坐像とお前立ちが安置され、脇陣には大日如来坐像・不動明王立像・弁財天・阿弥陀如来坐像などが祀られる。
御本尊の薬師如来坐像は縁起によれば白鳳の昔湖水より出現の霊像とされ、奈良時代の作と伝えられており、俗称の「かま薬師」は、カサやできものに霊験があることによるという。
薬師如来はやや伏し目で丸顔をされており、胸には波のような文様が刻まれているように見える。
頭部の肉髻の部分には頭髪がなく、前には二回りほど小さいお前立ちが祀られていました。
奥の院の「瑠璃石」、桑實寺本堂の秘仏・薬師如来に手を合わせた後、再び長い石段を下っていくことになりますが、石段脇の所々にシャガが美しくも妖しい花を咲かせていました。
山里ではよく見かける花ですが、別名「胡蝶花」の名からは、荘子の「胡蝶の夢」を連想させ、夢と現実の境界がはっきりしないぼんやりとした気持ちにさせてくれる花です。
石段を下り終えて、桑實寺の山門に祀られていた地蔵石仏がかつて安置されていたという「瓢箪山古墳」へと立ち寄ります。
瓢箪山古墳は古墳時代前期(4世紀)に造られた前方後円墳で、滋賀県では最大規模の古墳とされています。
瓢箪山古墳は墳丘の長さが136mあるということから、古墳の周囲を歩けばその大きさが実感出来る。
ただし、古墳であることを意識して見ないと、古墳とは気づけない状態となっていて、本来の形を想像しながら一回りすることになります。
出土された木棺や銅鏡などの装飾品、剣や刀などの遺物は「京都大学総合博物館」に保管しており、レプリカが「安土城考古博物館」に展示されているそうです。
繖山には古代から続く巨石信仰や古墳、中世の歴史の痕跡が数多く残されている山です。
かつては琵琶湖の内湖がすぐ近くまで広がっていたといい、古代の自然信仰に湖上水運を使ってやってくる異文化が混じり合いながら築かれた信仰の世界があるのかと思います。
寺伝によると、湖国に疫病が流行し、天智天皇の四女の阿閇皇女(元明天皇)も病気にかかり、病床で琵琶湖に瑠璃の光が輝く夢を見たという。
天智天皇が定恵和尚に病気回復を僧に祈らせたところ、琵琶湖から薬師如来が降臨して大光明をさし、光明に当たった人々の病は治り、阿閇皇女の病気も治ったといいます。
この薬師如来を御本尊として祀ったのが桑實寺で、定恵和尚が唐から持ち帰った桑の実をこの地において育て、日本で最初に養蚕を始めた事が寺名に由来するとされている。
現在「桑實寺」では12年に一度という「秘仏・薬師如来坐像」が御開扉されており、秘仏を拝観するとともに寺伝に伝わる薬師如来が降り立ったという「瑠璃石」を探すことが目的でした。
民家の並ぶ集落の奥に桑實寺の石段の登り口があり、ここから約650段といわれる石段登りが始まる。
少し登ったところに山門があるが、石段登りはここからが本番。
竹の杖を2本借りて、トレッキングポール代わりにして登っていくことにします。
山門を抜けると大きな地蔵石仏を祀った祠がある。
この石仏地蔵は集落の近くにある瓢箪山古墳(後述)の古墳頂上に安置されていたのを明治初年に移設安置したといいます。
石仏地蔵は南北朝期の作とされ、風化は進んでいるものの、彫られた地蔵の姿は充分確認出来る。
山門から先は、いつ終わるとも知れない長い石段登りが始まる。
自然石を積んだ石段で多少歩きにくいが、段差はあまりなく、横に繖山から流れ出た水の流れる川があって涼しいのがありがたい。
桑實寺の受付まで到着し入山料を払うと、“本堂にお参りされるなら本堂の左から入って下さい。観音寺城跡へ行かれるなら右に道があります。”と説明される。
“いえ実は「瑠璃石」へ行きたいのですが。”と聞いて道を教えて頂けましたが、“年に一回くらいボランティアの方が整備してくれていますが、道は荒れていますよ。”とのことでした。
白洲正子さんも瑠璃石に訪れようとして断念したことがあったようで、『かくれ里:石の寺』で次のように書かれています。
「裏の山、十方ヶ岳の頂上に奥の院があり、「るり石」と呼ばれる巨巌が祀ってある。
十畳敷ばかりの、平たい石で、前方に二つ、石棒のような岩が直立しており、写真で見ても神秘的な感じがするが、登るのはほとんど不可能な場所にあって、住職も一度しかいったことはないといわれる。」
山中には西国三十三所札所の御本尊の石仏が並んでおり、第一番札所・青岸渡寺の如意輪観世音菩薩を横目にしながら勾配のある登山道に入る。
山道は荒れていると聞いていたが、登るには支障はなく、白洲正子さんが訪れた時代とは違い、随分と整備されている。
木段は腐食しているものもあったが、まだ下草が茂っていないので、足元の気持ち悪さは感じない。
山道をひたすら登っていくと右手に石棒が2本立っているのが見えた。あれが「瑠璃石」に違いない。
「十畳敷ばかりの、平たい石で、前方に二つ、石棒のような岩が直立しており、」と『かくれ里』に書かれている通りの光景です。
薬師如来が降り立ったとされる聖なる大岩の前に立つ2本の石棒は、聖域を守る結界のようであり、石の山門のようでもある。
かつてはここで宗教的な儀式が行われたであろうと思われ、樹木に覆われてはいるものの、おそらく琵琶湖の南湖方面に向いているようであった。
桑實寺自体も山の中腹にあって参拝するのに体力のいる寺院ですが、そこから山道を登らないとたどり着けない場所に緑に包まれて祀られている「瑠璃石」にはやはり神秘的なものを感じます。
上部が石舞台のようになっている磐座には足を踏み入れるのは躊躇われましたので、石棒の横から眺めることにしました。
磐座を横から眺めてみると、その大きさが分かります。
下から見上げられる場所を探したが、回り込むには困難な場所であったので断念する。
山道を下って桑實寺へ続く道まで降りてくると、目の前に広がるのは湖東平野と西の湖の風景。
最近、西の湖を見おろすことが多いなぁと感じるが、それだけ繖山界隈を歩いているということなのでしょう。
さていよいよ桑實寺への久しぶりの参拝です。
桑實寺の山号は繖山。本堂は重要文化財に指定されている室町時代前期に再建された建物です。
檜皮葺の屋根が美しい入母屋造の建物です。
本堂の中に入り、まずは外陣でお線香をあげて手を合わせると、須弥壇に祀られた秘仏・薬師如来坐像とお前立ちが目に入ってきます。
前回参拝した時には外陣の正面に金ぴかの薬師如来坐像が安置されていましたが、今回は秘仏御開扉ですので、雰囲気が全く違います。
須弥壇には日光・月光菩薩と12神将。
中央の厨子には秘仏・薬師如来坐像とお前立ちが安置され、脇陣には大日如来坐像・不動明王立像・弁財天・阿弥陀如来坐像などが祀られる。
御本尊の薬師如来坐像は縁起によれば白鳳の昔湖水より出現の霊像とされ、奈良時代の作と伝えられており、俗称の「かま薬師」は、カサやできものに霊験があることによるという。
薬師如来はやや伏し目で丸顔をされており、胸には波のような文様が刻まれているように見える。
頭部の肉髻の部分には頭髪がなく、前には二回りほど小さいお前立ちが祀られていました。
奥の院の「瑠璃石」、桑實寺本堂の秘仏・薬師如来に手を合わせた後、再び長い石段を下っていくことになりますが、石段脇の所々にシャガが美しくも妖しい花を咲かせていました。
山里ではよく見かける花ですが、別名「胡蝶花」の名からは、荘子の「胡蝶の夢」を連想させ、夢と現実の境界がはっきりしないぼんやりとした気持ちにさせてくれる花です。
石段を下り終えて、桑實寺の山門に祀られていた地蔵石仏がかつて安置されていたという「瓢箪山古墳」へと立ち寄ります。
瓢箪山古墳は古墳時代前期(4世紀)に造られた前方後円墳で、滋賀県では最大規模の古墳とされています。
瓢箪山古墳は墳丘の長さが136mあるということから、古墳の周囲を歩けばその大きさが実感出来る。
ただし、古墳であることを意識して見ないと、古墳とは気づけない状態となっていて、本来の形を想像しながら一回りすることになります。
出土された木棺や銅鏡などの装飾品、剣や刀などの遺物は「京都大学総合博物館」に保管しており、レプリカが「安土城考古博物館」に展示されているそうです。
繖山には古代から続く巨石信仰や古墳、中世の歴史の痕跡が数多く残されている山です。
かつては琵琶湖の内湖がすぐ近くまで広がっていたといい、古代の自然信仰に湖上水運を使ってやってくる異文化が混じり合いながら築かれた信仰の世界があるのかと思います。
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