僕はびわ湖のカイツブリ

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“男のためのガーデニング”改め

繖山の山頂と観音城跡~イワカガミの咲く山~

2022-04-28 17:05:05 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 繖山の山麓や山中には巨石群や神社仏閣が数多くあり、複数のルートからのハイキングコースが整備されている山です。
今回は安土側にある桑實寺を経由して、繖山の三角点まで行こうと思ったのですが、桑實寺の山門に到着した時はまだ閉門中。
開門時間は9時からとなってり、事前調査してなかったことが仇となりました。

計画変更で観音正寺側から三角点を目指すことにして、三角点まで行った後に観音寺城跡を巡って、余力があれば桑實寺までのピストンに計画を変更しました。
結局、桑實寺まで行ってしまうと昼食抜きになりそうなので、観音寺城跡で折り返しましたが、好天に恵まれて額から汗を滴らせながらの道中です。



観音正寺の裏参道は少し前までは林道の崩落により、車両も人も通行止めとのことでしたが、4月1日より仮開通されていました。
裏参道は石段のない緩やかな道なので楽に登れる良さもありますが、何といっても道筋にある観音正寺の「奥之院」の磐座が素晴らしい。



「奥之院」の鳥居の先には磐座と思われる正面が垂直な面になっている鏡岩のような巨石が祀られる。
日吉大社のある八王子山の奥宮にも同じような鏡岩がありましたが、前方が開けている場所にこういう巨石が祀られているのは、古代の信仰と何か関係があるのかもしれない。

空想的な話になります、がこれらの磐座は鳥瞰した時に位置を知ったり、通信的な意味合いもあったのではと考えてみるのも面白い。
湖西・湖東・湖南の磐座の配置や方向図を作れば何か興味深いものが見えてくるかもしれませんね。



更に上部には巨石群が積みあがった中に岩窟があり、圧倒的な威圧感には古代からの信仰の場として、あるいは山岳信仰の行場であったことを強く感じて厳粛な気持ちとなる。
奥之院には1400年前、聖徳太子が巨岩の岩で舞う天人を見て、「天楽石」と名付けたという伝承が残っているという。
観音正寺は聖徳太子が湖水から浮かび上がってきた人魚の懇願により、千手観音の像を刻み堂塔を建立したという開基の伝承があり、聖徳太子との縁が深い。



岩窟の中を覗いてみたが、中には人ひとり座れるくらいのスペースとなっていて、この中かどうかは分かりませんが、磐座群のどこかに平安後期に彫られたという摩崖仏があるという。
昨年1月に奥之院に参拝した時には、奥之院から巨石群を辿りながら「佐佐木城址」まで行って折り返しましたが、道中には多数の巨石が点在する聖域でした。



白洲正子さんは「西国巡礼」で奥之院について次のように書かれています。

奥の院には、びっくりするような大きな石窟があった。
近江は帰化人が住んだ国だから、あるいはその墓だったのかもしれないし、もっと古いものかもしれない。
くわしいことは私には分からないが、ここが信仰の元だったことは間違いない。(白洲正子「西国巡礼」)



参道に戻って「ねずみ岩」を越えると、観音正寺の仁王像の門固めが見えてくる。
境内には巡礼衣装に身を包まれた巡礼者や参拝の人が多く参られ、コロナ渦で出歩きにくかった方々が一気に外出するようになっていることが実感出来ます。



本来なら参拝が先ですが、本堂へ参る前に観音城跡・三角点方面へ道を折れ、まずは繖山の山頂を目指します。
繖山の山道はこれまで行った限りでは平坦な道があまりなく、木段の登り・下りが続きますので、尾根筋をゆったり歩ける道は少ないように感じています。



ほどなく三角点の分岐に出て三角点方向へ向かいますが、距離は短いのに急登の木段登りになる。
少し開けたところが見え、あれが頂上かと思いきや木段はまだまだ続くの繰り返しで、木段の繖山のしんどさを実感する。



木段を登りきると頂上の開けたスペースに出る。
木が回りを囲んでいるので下界を見渡せる景観はあまりないが、虫食いの地図のように登っていた繖山の頂上に初めて立つことが出来ました。



三角点は、木段の横にひっそりと立っており、よく見ると標石には二等三角点と刻まれている。
繖山は南北約4㌔の細長い山系ですので、虫食い登山ではまだ足を踏み入れていない場所があるのが今後の課題です。



三角点への道を折り返した後、気が変わって観音城跡へ行ってみることに。
観音寺城は繖山の山頂から南山麓にかけて築城された大城郭で、近江国守護・佐々木六角氏の居城だったといいます。
織田信長が足利義昭を奉じて上洛した際の戦いで、六角氏は観音寺城から逃げて無血開城したという。

観音寺城の本丸跡は現在はなにも残っていませんが、何ヶ所かの郭跡には石垣が残っており、六角氏の被官だったという平井氏・池田氏の屋敷跡とされる虎口や石塁が残されている。
現在のところ、城郭跡ファンではないので細かく見て回ってはいませんが、現地で会った人の話だと「大石垣」の辺りからは絶景が広がっていると聞き、大石垣を目指すことにする。



大石垣へ向かう道は途中で分岐があったのでそのまま歩いていったが、途中から崖になってしまった。
掴まれる木は少なく、途中まで降りてしまったので登り返すのも困難でしたので、四苦八苦して崖を下ることになりました。

下に山道が見えていたので、あそこまで何とかと思いつつも中々降りられない。
下の道を涼しい顔で歩いていた人がいたけど、あの人あんな所にへばりついて何やってんだろ?と思われたことでしょう。



やっと降りた場所から眺めると、山の斜面に巨石群。
石の山・繖山らしく巨石が無造作に並ぶ光景に圧倒されてしまいます。



巨石群の一番下に立つ岩には「女郎岩」と命名されている。
なぜ女郎なのかは説明板がなかったので分かりませんが、立ち姿からイメージしたのかもしれません。



巨石群の反対側には湖東平野の絶景が広がります。
遠くに見えるは三上山。湖東には低山が多いですが、それぞれ個性や歴史があって楽しめる山が多い。



観音正寺から繖山山頂、観音城跡まで来てすっかり満足してしまい、当初予定していた桑實寺は見送って元来た道を戻ります。
下山途中に発見したのはイワカガミの花。繖山でイワカガミが見られる場所があるのは聞いていたが、まさかここで出会えるとは!



同じ道を登っていた時には気付かなかったのに、帰りの下り道になって見つけられたのは、それだけ気持ちに余裕が出てきていたということでしょうか。
TVの山番組でしか見たことのなかった花に出会えたのは幸運でしたね。



観音正寺まで戻ってきましたので、参拝に向かいます。
入口にある塗香で身を清めて外陣に入ると、西国三十三所第32番札所らしく、巡礼姿の方の姿も多く見受けられ、巡礼寺院の活気に包まれていました。

観音正寺の本堂は1993年の火災で焼失してしまい、現在の本堂は2004年の再建。
仏師・松本明慶さん作の「千手観音坐像」は、光背を含めると総高6.3メートルにも及ぶ巨大な坐像です。
外陣でお線香をあげて、結縁の紐に触れて縁を結ばして頂いて、手を合わせる。



本堂の横には迫力のある石積みがあり、観音像が祀られている。
この石積みは本堂の火災後に積まれたもののようで、古い信仰によるものではないようだが、石の山・繖山らしい光景です。



下山した後に安土方面から見た繖山の一部です。
春の穏やかな日の繖山のどの辺りに居たのでしょうか。





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