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初詣「長浜八幡宮」と「舎那院」~滋賀県長浜市~

2021-01-02 17:07:07 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 大晦日から元旦にかけて湖北地方には大雪警報が発令されて吹雪が続いていましたが、午後に一時晴れ間の出てきた間に初詣の参拝を致しました。
お参りしたのは「長浜八幡宮」と境内にある「舎那院」で、地元の人には「八幡さん」「舎那院さん」と呼ばれて親しまれている神社と寺院です。

「長浜八幡宮」の周辺は積雪量も大したことはなかったものの、新型コロナの影響もあって参拝者はやや少なめ。
とはいえ、本殿までの参道には行列が出来ており、露店も出て元旦らしい晴れやかさとにぎわいを見せていました。



「長浜八幡宮」は1069年、源義家公(八幡太郎)が後三条天皇の勅願を受け、京都の石清水八幡宮より御分霊を迎えて鎮座されたのが始まりだとされます。
戦国時代の兵火により社殿のほとんどを消失したものの、長浜城主になった羽柴秀吉よって八幡宮は再興されたといいます。



本殿に祀られるのは「足仲彦尊(仲哀天皇)」「誉田別尊(応神天皇)」「息長足姫尊(神功皇后)」の3柱で、厄除開運・健康長寿・安産守護の御利益があるといいます。
また、日本三大山車祭の「長浜曳山祭」は、秀吉ゆかりの祭りとして長浜八幡宮の春の例祭に曳山を曳き回したのが起源とされています。
長浜曳山祭りでは出番山の曳山が長浜八幡宮に集結して子供歌舞伎を奉納した後、長浜八幡宮の御旅所で最後の公演をしますが、昨年はコロナ禍により中止されました。

長浜八幡宮の一之鳥居を抜けた参道の入口には「賀正」の2つの提灯が掲げられて、勧請縄が掛けられています。
悪いものの侵入を防ぐための結界かと思いますが、湖東地方の勧請縄を比べるとオーソドックスな形となっています。



手水には柄杓は置いておらず手で水を受けるようになっているのはコロナ対策なのでしょう。
鉢の中には色鮮やかな花が活けられており、水を通す竹の上には鶴亀の飾り物が飾られて、正月らしい縁起の良さを表しています。



石畳の参道を歩き、終点で直角に曲がると二之鳥居があり、拝殿が正面に見えてきます。
参拝者の行列が出来ていますが、元旦であることを思えば、やはり人の出は少ない。
新型コロナの影響もあるのでしょうけど、やはり雪で外に出るのが億劫な方も多いのかと思います。



拝殿に祀られているのは氷で作られた今年の干支の丑。
八幡宮では大晦日の夜に翌年の干支を氷の彫刻で作ったり、落語家が来てカウントダウンするイベントがあるそうです。





参拝の順番を待って並んでいる間に、晴れ間のみえていた天気が急変して雪が舞い始める。
順番がきたので帽子を脱いで本殿前に立ち、今年の安寧を祈願する。



長浜八幡宮には摂社の「高良神社」、末社の「天満宮」「地主神社」「熊野神社」「金刀比羅宮」「河濯神社」「末広稲荷神社」の社や祠が並びます。
毎年お盆に「蛇の舞神事」が奉納される放生池の中心には「都久夫須麻神社」が祀られており、これは琵琶湖に浮かぶ竹生島の都久夫須麻神社を模しているものでしょう。



初詣を終えた後、長浜八幡宮と境内でつながっている「舎那院」へと初参りに伺います。
舎那院さんは、真言宗豊山派の寺院で8月の後半から9月いっぱいにかけて咲く芙蓉の寺院として訪れる方の多い寺院です。



「舎那院」は814年、空海が開基したと伝えられており、山号の勝軍山は後三条天皇より賜ったもので、勅願の神宮寺として「勝軍山 新放生寺 八幡宮」となったといいます。
往時は社坊300余りを数える大寺院だったものの、戦乱の兵火などにより衰退の一途をたどり、明治維新の廃仏毀釈によって 「新放生寺」は「舎那院」だけが残ったとされます。





1810年に落慶された本堂内はライトアップされていて、境内にはアンビエントなヒーリング・ミュージックが流れている素晴らしい空間となっていたのには衝撃を受ける。
須弥壇には秘仏本尊の御前立の「愛染明王坐像」と「多聞天」「持国天」を中心に左から「薬師如来坐像と十二神像」「馬鳴菩薩」「大日如来坐像」が並び、右側には「空海像」が祀られている。
「馬鳴菩薩」は聞きなれない菩薩ですが、貧民の衆生に衣服を与える菩薩であるとか「養蚕織物の神」として祀られる菩薩のようです。



寺院の方にお話しを伺うと、寺院には収蔵庫があり、そこには秘仏本尊の「愛染明王坐像(鎌倉期・重文)」や「阿弥陀如来坐像(平安期・重文)」「薬師如来坐像(平安期)」などが納められているそうです。
「阿弥陀如来坐像」には圓常寺に祀ってあった仏像を秀吉が気に入り、 新放生寺(舎那院の前身)に持ち込んだという逸話がの残されている仏像だそうです。

境内に流れていた音楽が気になったものですから「関口 仁」ってどういう方なのですか?と聞いてみる。
関口さんは作曲演奏家で和太鼓奏者でもあるといい、村上ポンタ秀一に師事した後、1980年から喜多郎とシルクロードなどの製作活動を行ってきた方だといいます。

長野県に移住していた20数年間、自己の音楽制作を行いアルバムリリースは13枚を数え、国内外での演奏も多数行われているといいます。
空海の教えに魅かれ、仏教の修行もする中で、宇宙の真理と空海の理の同一性に気付き、音楽や独自の楽器の製作をされていると教えていただきました。
言霊は言葉に宿ると信じられた霊的な力ですが、寺院の方によると“彼は音霊の人なんです。”と言われ、何と秀逸な表現なのかと感心する。


(QRコードからHPへ入れます)

境内には「観音堂」「太子堂」「弁天堂」などがありますが、大晦日から正月にかけて開帳されるのが「護摩堂(不動堂)」で、室町時代後期頃の建築とされる護摩堂は滋賀県指定有形文化財の指定を受けています。
堂内に祀られるのは「不動明王立像」「歓喜天」「大黒天」で、顔をライトで照らし出された不動明王には強いインパクトがあります。
尚、「歓喜天」の厨子はそのエネルギーの強さから開廟されることはないとのことでした。





「舎那院」に宝物が多いのは、廃仏毀釈で廃寺となってしまった寺院に祀られていた仏像等が舎那院に集められたことによるものだそうです。
収蔵庫に保管されている仏像のうち3躰は写真で見ることが出来ますが、開帳されることがあれば是非この目で見てみたい仏像です。

最後に寺院の境内の様子を動画で撮ってみました。
境内を流れる米川は長浜の市街地を曲がりくねりながら流れ、琵琶湖に注ぎ込みます。
舎那院の中と八幡宮の後方を流れる川にはカワセミが来ることもあります。





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