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惟喬親王と木地師の里1「君ヶ畑のカツラ」~東近江市君ヶ畑町~

2021-05-26 05:55:55 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 白洲正子さんは「かくれ里」のなかで木地師の村として小椋谷を訪ねておられ、木地師や惟喬親王の伝説について書かれています。
“惟喬親王の伝説も、木地師の生活の中に、生まれるべくして生まれたように私は思う。(中略)突然現れたのが、流浪の貴公子である。神話はたちまちにして成った。”

惟喬親王は、平安時代前期の844年、第55代文徳天皇の第1皇子として生まれたものの、皇位継承争いで皇位につけず、859年に小椋谷に隠棲して19年間をこの地で過ごしたという伝説があるといいます。
伝説では、親王は法華経巻の巻軸が回転することから轆轤を考案して、周辺の杣人たちに轆轤の技術を伝授されたことにより木地師が始まったとされます。



小椋谷とは「君ヶ畑・蛭谷・箕川・黄和田・九居瀬・政所」の六ヶ村のことをいい、「君ヶ畑」と「蛭谷」の2つの集落が「木地師の文化」を色濃く残しているという。
小椋谷の木地師は、良材を求めて各地に移り住んで文化や技術を広めていったといい、小椋谷は「木地師発祥の地」として認知されるようになったとされます。

君ヶ畑集落は、奥永源寺から行くと最奥の村となり、鈴鹿山系の山を越えて東に下れば三重県みなべ市となるような場所となります。
当方は、多賀大社前から入ったので、多賀の山や犬上川ダムを越えての悪路を進んでしまいましたが、奥永源寺や百済寺甲町からの道を通ればよかったと気が付いたのは帰り道になってから。



やや道が開けてきたところに現れたのは「洗い越し」と呼ばれる路面上を川が横切って流れている場所でした。
増水して道の上に川が出来ているのは見たことがありますが、この「洗い越し」は最初から道の上に川が流れるように設計されており、珍しい光景に車を停めてしばらく周辺を見ておりました。



「洗い越し」を越えて箕川町に入ろうかという所まで来ると、唐突に「惟喬親王御陵」の鳥居が現れます。
この場所は、山越えの筒井峠の入口にあたり、「惟喬親王幽棲之址」や「御陵」があるといいます。



鳥居の横には大きな「惟喬親尊像」が祀られており、山深い山中にあって怖さを感じてしまう。
小椋谷では惟喬親王を木地師の祖として手厚く祀られていることが伺われ、全国に散らばった木地師からの崇敬もあったのでしょう。
木地師は加工するための木材を求めて山中を移動して生活する集団だったとされ、「7合目より上で伐採自由」という朱雀天皇の綸旨の写しを持った木地師特権を与えられたといいます。(諸説あり)



この坂を歩いて行けば墓碑か石塔があるのかとは思いましたが、進むのが躊躇われてここで諦めます。
かつてこの峠には木地師を管理する筒井公文所が置かれ、筒井千軒と呼ばれるほど繁栄していた地のようですが、今は周辺には何もない山奥の峠道になっている。



「惟喬親王御陵」からすぐのところには「山之神」の鳥居があり、山と森への信仰が今も息づいていることが伺われます。
山之神の鳥居にある石段の上へ行ってみようかと思いましたが、惟喬親王御陵への道と同様に何となく怖くなって諦めてしまいます。



さて、元の道をさらに進むと「蛭谷集落」を経て、「君ヶ畑集落」へと入ります。
集落の入口にある墓地を越えると、君ヶ畑集落の民家が見えてきて、「君ヶ畑ミニ展示館 」に車を停めさせていただきます。
君ヶ畑集落は5年程前の住民基本台帳の調査では世帯数22・総人口34人とあり、廃屋も見受けられますが、寂れた村といった印象は受けず、むしろ心地よい感じがする集落に感じました。



展示館には木地製品や製作工程を紹介するコーナーや古い轆轤や削る道具などが展示されていました。
清貧にはお盆やお椀など生活で使用するものの他に、けん玉やコマなども展示されており、こけし等も含めて全国に散らばった木地師がその地で製品を造ってきたことが想像されます。





君ヶ畑集落の横を流れる御池川の畔に降りてみましたが、透き通るように透明度の高い水に何とも言えない心地よさを感じます。
集落の中にある共同の水場からも水が流しっぱなしになっていましたので、この地域は鈴鹿山系から流れ出る豊富な水に恵まれていることが分かります。



御池川に沿って少し歩くと「君ヶ畑のカツラ」と呼ばれる巨樹がありました。
廃屋かと思われる家と御池川に挟まれた堤防に挟まれるようにしてカツラは立っていましたが、新緑の季節とあってひこばえが美しい。



近づいて見てみると、主幹が川を跨ぐように伸びているが、途中で折れてしまっている。
幹周は8~9m、樹高は十数mでしょうか。川の上に主幹を伸ばした姿が特徴的です。



角度を変えて眺めてみましたが、このカツラはこの位置から見るのが一番いいかもと思います。
カツラの樹は水を好むといいますので、水量の豊富な御池川の畔は環境としては適しているのでしょう。





樹齢は何年くらいか分かりませんが、枝ぶりを見ているとまだこれからも成長し続ける元気さを感じます。
木地師の村にあってカツラの巨樹を見るというのも、変わった体験かもしれませんね。



集落内を散歩がてら見て回りながら、懐かしい山里の原風景という言葉が思い浮かびましたが、そういう場所で暮らしたこともないのにおかしな表現だと思わず笑みを浮かべてしまう。
君ヶ畑には惟喬親王を御祀神として祀る「太皇器地祖(おおきみきじそ)神社」があり、神社にはスギの大木が林立しているといいますので、神社へ向かうことにします。...続く。



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