滋賀県の勧請縄は東近江市・近江八幡市・日野町・竜王町・甲賀市・湖南市・野洲市・栗東市など湖東や湖南地方に多く見られます。
琵琶湖の南部の守山市・草津市・大津市にも勧請縄は見られるようであり、今回は守山市と草津市の勧請縄の一部を見に訪れました。
守山市には3本の勧請縄が確認されているといい、内訳は小浜町に2本と吉高町にひとつの計3本あるとされます。
小浜町の2本は「八幡神社」と「天満神社」の参道に下げられ、同じ集落内ということもあってか2本は酷似した勧請縄となっている。
小浜町は野洲川に沿うような集落で、その一部は野洲川河口と琵琶湖に面しているような場所にあります。
神社は集落の両端にあり、「八幡神社」を上の宮、「天満神社」を下の宮としているそうです。
勧請縄は主縄の一カ所にコブを作り、主縄の上に御小を挿して小縄は2本で中央にトリクグラズを下げている。
小縄は4本の縄の先をループにし、割竹を通して面のような形状をしています。
トリクグラズは藤の蔓で丸型を作り、竹をザルのような形で取り付けて、中にはスギの葉が詰められています。
竹を格子状にしていないのが特徴になっています。
本殿の玉垣にも勧請縄にあった特徴的な小縄が下げられています。
この小縄は集落内の何ヶ所かに見ることができ、神仏にゆかりのある場所に下げられているようです。
中に石仏が何体か祀られていたので寺関係の場所かと思いますが、ここにも小縄が下げられています。
この横に「小浜観音堂」という大日如来坐像や薬師如来坐像を祀る御堂があったが、その御堂にも小縄は下げられていた。
次に上の宮とされる「八幡神社」へと向かいます。
八幡神社の勧請縄も鳥居の奥の参道に下げられています。
八幡神社の勧請縄と天満神社の勧請縄は酷似しており、主縄にコブがあって小幣が挿されて特徴的な小縄が2本下げられている。
この2本の勧請縄は同じ日に作られ、5月の祭礼の時に取り外されるとのことで、4カ月少々しか見られないものです。
トリクグラズも天満神社のものとほぼ同じですが、こちらの方がより格子状になっています。
ただ全体として違いがみられないのは、同じ集落で作っているためなのでしょう。
八幡神社の本殿にもあのループを描く面状の小縄が下げられています。
建物に下げられる小縄は、門や玉垣や御堂の入口の左に下げられているが、何か意味があるのでしょうか。
守山市の3本目の勧請縄は古高町の「大将軍神社」にあるそうなので向かってみます。
大将軍神社は御祭神に八千矛命・武甕槌命・經津主命を祀り、4年に一度「古高の鼓踊り」という雨乞い祈願の踊りがあるといいます。
大将軍神社は参道にある山門に勧請縄を下げるようですが、今回は確認することが出来ませんでした。
勧請縄は旧暦の1月7日に下げるとされていますので、まだこの時は少し早かったのかもしれません。
どこでというと記憶がないが「大将軍神社」がある場所はいくつかありますが、大将軍とな何ぞやとなると、一般的には方位神である大将軍神を祀っていた所となります。
この神社の御祭神の3柱は、武力・軍事力を象徴する神・剣と雷の神・刀剣の神格化された神となりますので、戦いの印象を受けます。
社殿では正暦年間の創祀と伝えられていますので、方位神に従って方違えの祈祷・祈願が行われていたのかもしれません。
守山市の予定していた勧請縄が見られなかったので、少し足を伸ばしてお隣の草津市へ移動します。
草津市も守山市同様に3本の勧請縄しかなく、十数か所確認されている大津市の間にある勧請縄の少ない地域になります。
(栗東市にも2本しかないそうである)
木川町の「天神社」は、菅原道真公ゆかりの神社かと思いきや、御祭神に豊斟渟尊・天市々魂命・天興豊魂命・天若御子神をお祀りする。
住宅地から離れて田園地帯に向き合うように天神社はあり、一之鳥居を抜けて参道を歩いて行った二之鳥居に勧請縄が下げられていた。
一言で言うと、トリクグラズが非常に大きな勧請縄です。
大きな丸形のトリクグラズに十字は丸を突き抜けて通っている。
榊と紙垂を付けた小縄が下げられ、小幣はないが、何といってもトリクグラズの大きさが目を引きます。
本殿に参拝して違和感を感じたのは「茅の輪くぐり」の茅の輪があったこと。
茅の輪くぐりは6月の「夏越の祓」が馴染み深く、「年越の祓」を行っている神社もあるというが、この時期まで茅の輪くぐりが出来るのは珍しい。
琵琶湖の南部の守山市・草津市・大津市にも勧請縄は見られるようであり、今回は守山市と草津市の勧請縄の一部を見に訪れました。
守山市には3本の勧請縄が確認されているといい、内訳は小浜町に2本と吉高町にひとつの計3本あるとされます。
小浜町の2本は「八幡神社」と「天満神社」の参道に下げられ、同じ集落内ということもあってか2本は酷似した勧請縄となっている。
小浜町は野洲川に沿うような集落で、その一部は野洲川河口と琵琶湖に面しているような場所にあります。
神社は集落の両端にあり、「八幡神社」を上の宮、「天満神社」を下の宮としているそうです。
勧請縄は主縄の一カ所にコブを作り、主縄の上に御小を挿して小縄は2本で中央にトリクグラズを下げている。
小縄は4本の縄の先をループにし、割竹を通して面のような形状をしています。
トリクグラズは藤の蔓で丸型を作り、竹をザルのような形で取り付けて、中にはスギの葉が詰められています。
竹を格子状にしていないのが特徴になっています。
本殿の玉垣にも勧請縄にあった特徴的な小縄が下げられています。
この小縄は集落内の何ヶ所かに見ることができ、神仏にゆかりのある場所に下げられているようです。
中に石仏が何体か祀られていたので寺関係の場所かと思いますが、ここにも小縄が下げられています。
この横に「小浜観音堂」という大日如来坐像や薬師如来坐像を祀る御堂があったが、その御堂にも小縄は下げられていた。
次に上の宮とされる「八幡神社」へと向かいます。
八幡神社の勧請縄も鳥居の奥の参道に下げられています。
八幡神社の勧請縄と天満神社の勧請縄は酷似しており、主縄にコブがあって小幣が挿されて特徴的な小縄が2本下げられている。
この2本の勧請縄は同じ日に作られ、5月の祭礼の時に取り外されるとのことで、4カ月少々しか見られないものです。
トリクグラズも天満神社のものとほぼ同じですが、こちらの方がより格子状になっています。
ただ全体として違いがみられないのは、同じ集落で作っているためなのでしょう。
八幡神社の本殿にもあのループを描く面状の小縄が下げられています。
建物に下げられる小縄は、門や玉垣や御堂の入口の左に下げられているが、何か意味があるのでしょうか。
守山市の3本目の勧請縄は古高町の「大将軍神社」にあるそうなので向かってみます。
大将軍神社は御祭神に八千矛命・武甕槌命・經津主命を祀り、4年に一度「古高の鼓踊り」という雨乞い祈願の踊りがあるといいます。
大将軍神社は参道にある山門に勧請縄を下げるようですが、今回は確認することが出来ませんでした。
勧請縄は旧暦の1月7日に下げるとされていますので、まだこの時は少し早かったのかもしれません。
どこでというと記憶がないが「大将軍神社」がある場所はいくつかありますが、大将軍とな何ぞやとなると、一般的には方位神である大将軍神を祀っていた所となります。
この神社の御祭神の3柱は、武力・軍事力を象徴する神・剣と雷の神・刀剣の神格化された神となりますので、戦いの印象を受けます。
社殿では正暦年間の創祀と伝えられていますので、方位神に従って方違えの祈祷・祈願が行われていたのかもしれません。
守山市の予定していた勧請縄が見られなかったので、少し足を伸ばしてお隣の草津市へ移動します。
草津市も守山市同様に3本の勧請縄しかなく、十数か所確認されている大津市の間にある勧請縄の少ない地域になります。
(栗東市にも2本しかないそうである)
木川町の「天神社」は、菅原道真公ゆかりの神社かと思いきや、御祭神に豊斟渟尊・天市々魂命・天興豊魂命・天若御子神をお祀りする。
住宅地から離れて田園地帯に向き合うように天神社はあり、一之鳥居を抜けて参道を歩いて行った二之鳥居に勧請縄が下げられていた。
一言で言うと、トリクグラズが非常に大きな勧請縄です。
大きな丸形のトリクグラズに十字は丸を突き抜けて通っている。
榊と紙垂を付けた小縄が下げられ、小幣はないが、何といってもトリクグラズの大きさが目を引きます。
本殿に参拝して違和感を感じたのは「茅の輪くぐり」の茅の輪があったこと。
茅の輪くぐりは6月の「夏越の祓」が馴染み深く、「年越の祓」を行っている神社もあるというが、この時期まで茅の輪くぐりが出来るのは珍しい。
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