滋賀県の湖北地方には野神信仰が色濃く残り、現在の長浜市北部の高月町・木之本町・余呉町や、市の南部の空白地域を挟んで米原町に多く見られます。
野神さんが祀られる場所は集落の外れや集落の境界にあることが多く、樹や石を神の依り代として崇めたり、石碑だけが残されていたり、その祀り方は集落により独特の形があります。
一般的に野神さんは農耕の神とされ、あるいは集落に悪いものを入れない結界のような役割があるとされます。
しかし、その根本には人間の自然の神に対して畏怖する心と安寧への願いがあるのかもしれません。
田部の野神エノキ
木之本町の田部集落に野神さんのエノキがあると知り訪れましたが、なかなか見つけることが出来ず、集落の中をぐるぐると回って、何度もJR木ノ本駅まで戻るはめになりました。
集落の中を歩いている人に「田部のエノキ」を御存じでしょうか?と聞くも、知らんなぁとのことで、大きな木ならこの道の先にあるけど...。
教えてもらった道を行くと見えてきたのは間違いなく「田部のエノキ」。村はずれにある木より集落の中にある木を探す方が難しい。
横に伸びた枝が途中で伐られている部分が多く、広がりに欠けるが、これは民家が並ぶ集落の中ですのでやむを得ないのかと思います。
しかし、正面と思われる場所には竹に付けられた御幣が祀られていて、今も野神さんとして信仰されていることが分かります。
エノキの樹は何本かに分岐していて、見る角度によっていろいろな姿を見せてくれます。
エノキのサイズは樹高が12~13m、幹周が7~8mで樹齢が不明。長浜市の保存樹・第6期(平成22年度)指定木となっています。
根っこの部分は何本にも伸びて根となっており、大地にしっかり根を張っている。
この位置から見ると、このエノキは二股に分かれているのがよく分かり、2本の幹の間には何かの常緑樹が育っています。
木之本町の中心部には北国街道が通り、宿場町として栄えていたといい、街道筋には今もその名残が残ります。
しかし、街道筋を少し離れると何本かの巨樹や御神木があり、宿場町の風情とな全く異なる農村部の信仰の姿があります。
宇根春日神社のスギ
高月町宇根は高月町の南東部に位置し、湖北町と隣接している集落で、高月観音まつりで公開される冷水寺の「鞘仏(さやぼとけ)」の胎内に納められた十一面観音菩薩像がある集落です。
宇根集落にある「宇根春日神社」には見事なスギの御神木があるといい、宇根へと向かいました。
冷水寺には賎ヶ岳の合戦で焼き討ちに遭った観音堂を新たに建てた時、その傍から泉が湧き出ていた事が由来となっているといい、宇根は豊富な地下水が湧き出る地域だったとされます。
今は宇根春日神社の地下水は枯れていますが、境内にある「御手洗池」からはかつて豊富な水量の水が湧き、水田を潤していたといいます。
参道の正面には「出雲神社」の祠があり、祭神として大国主命が祀られている。
宇根春日神社は石畳を左に進んだところにあり、御祭神に武甕槌神を祀っていることから、日本神話の「出雲の国譲り」がこの祀り方の由来になっているのかもしれない。
境内には注連縄を巻かれた御神木が3本ありましたが、この御神木は群を抜いた太さの御神木で、一際目立ちます。
伐採された枝も多いが、石柵で囲まれた中に立つその姿は堂々としており、樹齢は分からないものの見事な巨樹です。
他の2本の御神木はまだ巨樹と呼べる太さはないため、次世代の御神木ということになるのかもしれません。
春日神社のスギは幹周5.9m、樹高が23mで推定樹齢は不明とのこと。
幹は真っすぐに天に向かって伸びており、老木にして大きな欠損はなさそうです。
株立ちでない単立のスギで幹周が約6mもあると幹の太さの迫力が凄い。
注連縄には“本殿東 神木8m”のメモがありましたが、この長さの注連縄を綯うのにもかなりの労力が必要なのかと思います。
春日神社からすぐの場所には「冷水寺」と「冷水寺胎内仏資料館」があります。
冷水寺は賤ヶ岳の合戦の折、焼損して痛ましい姿となってしまった「十一面観音座像」に鞘仏(江戸期)をかぶせ胎内仏として納めてお祀りされています。
「胎内仏資料館」は、年中昼夜無休・無料の小さな資料館で自称「世界で一番小さい」資料館と呼んでいるとか...。
野神さんが祀られる場所は集落の外れや集落の境界にあることが多く、樹や石を神の依り代として崇めたり、石碑だけが残されていたり、その祀り方は集落により独特の形があります。
一般的に野神さんは農耕の神とされ、あるいは集落に悪いものを入れない結界のような役割があるとされます。
しかし、その根本には人間の自然の神に対して畏怖する心と安寧への願いがあるのかもしれません。
田部の野神エノキ
木之本町の田部集落に野神さんのエノキがあると知り訪れましたが、なかなか見つけることが出来ず、集落の中をぐるぐると回って、何度もJR木ノ本駅まで戻るはめになりました。
集落の中を歩いている人に「田部のエノキ」を御存じでしょうか?と聞くも、知らんなぁとのことで、大きな木ならこの道の先にあるけど...。
教えてもらった道を行くと見えてきたのは間違いなく「田部のエノキ」。村はずれにある木より集落の中にある木を探す方が難しい。
横に伸びた枝が途中で伐られている部分が多く、広がりに欠けるが、これは民家が並ぶ集落の中ですのでやむを得ないのかと思います。
しかし、正面と思われる場所には竹に付けられた御幣が祀られていて、今も野神さんとして信仰されていることが分かります。
エノキの樹は何本かに分岐していて、見る角度によっていろいろな姿を見せてくれます。
エノキのサイズは樹高が12~13m、幹周が7~8mで樹齢が不明。長浜市の保存樹・第6期(平成22年度)指定木となっています。
根っこの部分は何本にも伸びて根となっており、大地にしっかり根を張っている。
この位置から見ると、このエノキは二股に分かれているのがよく分かり、2本の幹の間には何かの常緑樹が育っています。
木之本町の中心部には北国街道が通り、宿場町として栄えていたといい、街道筋には今もその名残が残ります。
しかし、街道筋を少し離れると何本かの巨樹や御神木があり、宿場町の風情とな全く異なる農村部の信仰の姿があります。
宇根春日神社のスギ
高月町宇根は高月町の南東部に位置し、湖北町と隣接している集落で、高月観音まつりで公開される冷水寺の「鞘仏(さやぼとけ)」の胎内に納められた十一面観音菩薩像がある集落です。
宇根集落にある「宇根春日神社」には見事なスギの御神木があるといい、宇根へと向かいました。
冷水寺には賎ヶ岳の合戦で焼き討ちに遭った観音堂を新たに建てた時、その傍から泉が湧き出ていた事が由来となっているといい、宇根は豊富な地下水が湧き出る地域だったとされます。
今は宇根春日神社の地下水は枯れていますが、境内にある「御手洗池」からはかつて豊富な水量の水が湧き、水田を潤していたといいます。
参道の正面には「出雲神社」の祠があり、祭神として大国主命が祀られている。
宇根春日神社は石畳を左に進んだところにあり、御祭神に武甕槌神を祀っていることから、日本神話の「出雲の国譲り」がこの祀り方の由来になっているのかもしれない。
境内には注連縄を巻かれた御神木が3本ありましたが、この御神木は群を抜いた太さの御神木で、一際目立ちます。
伐採された枝も多いが、石柵で囲まれた中に立つその姿は堂々としており、樹齢は分からないものの見事な巨樹です。
他の2本の御神木はまだ巨樹と呼べる太さはないため、次世代の御神木ということになるのかもしれません。
春日神社のスギは幹周5.9m、樹高が23mで推定樹齢は不明とのこと。
幹は真っすぐに天に向かって伸びており、老木にして大きな欠損はなさそうです。
株立ちでない単立のスギで幹周が約6mもあると幹の太さの迫力が凄い。
注連縄には“本殿東 神木8m”のメモがありましたが、この長さの注連縄を綯うのにもかなりの労力が必要なのかと思います。
春日神社からすぐの場所には「冷水寺」と「冷水寺胎内仏資料館」があります。
冷水寺は賤ヶ岳の合戦の折、焼損して痛ましい姿となってしまった「十一面観音座像」に鞘仏(江戸期)をかぶせ胎内仏として納めてお祀りされています。
「胎内仏資料館」は、年中昼夜無休・無料の小さな資料館で自称「世界で一番小さい」資料館と呼んでいるとか...。
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