はるか昔、下関市の火の山から関門海峡を眺めたことはあるが山頂の砲台跡を見たことがなかったので探訪してみた。
明治期、本州と九州との連絡路を防護するためとともに敵艦船の海峡通行を阻止するために下関要塞が設定され火の山砲台などが設置された。火の山には第1~第4砲台があったようであるがロープウエー駅舎や展望台などで第1、第2砲台跡はほとんど消滅している。第3砲台跡は消滅不部分もあるが一部遺構が残っており第4砲台跡は比較的よく遺構が残されている。
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