上画像は大竹市木野地区にある大元神社で社伝では天正年間以前の創建とされているが定かでない。元文5年(1740)に社殿再造の棟札あるようであるがいつの時代かに厳島大元神社が勧請されたものとみられる。
下画像は立戸地区にある大元神社で碑文によると文政7年(1824)に立戸新開の鎮守神として祀らたようで後に烏帽子新開の鎮守神として祀られたようである。
大元神社は各地に祀られており石見国内の山間集落には厳島大元神社が勧請されて560余の大元神社が祀られており、どのように信仰され祀られていたものであろうか。
goo blog お知らせ
プロフィール
最新コメント
- hera/令和5年米俵づくり
- hera/広島はつかいち大橋の今
- もののはじめのiina/広島はつかいち大橋の今
- hera/令和5年米俵づくり
- hera/令和5年米俵づくり
- hera/令和5年米俵づくり
- 松原秀樹/令和5年米俵づくり
- hera/廿日市鋳物師の鋳造作品⑨-湯の山神社の釣燈籠
- hera_001/広電宮島線の架線電柱
- 平田政司/広電宮島線の架線電柱