江戸期の地誌上平良村絵図で高尾山の後方に天狗石と記されているので山中を探査していたら画像のような大きな岩があった。これが天狗石ではないかと思われるのであるがなぜ天狗石と言われているのか定かではない。
この場所は山字水越谷の最奥部に位置し付近には極楽寺23丁遺跡があり弥生土器片を採集している。このような高地で生活の痕跡があり古くから何らかのいわれなどがあったのかも知れない。
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