母親をホームにおいて小さな男の子が一人だけ電車に乗ってしまったという新聞投稿を読んでいて、そのままじっと静止し、心はいつのまにか遠い昔の情景の中にいた。そういえば、あのとき・・・・・。
それにしても、あれだけ後ろを見ることが嫌いで割り切っていたつもりの私が、今は何かにつけて昔のことを思い出す。「若者は夢に、年寄りは思い出に生きる」と言うことなのか。
おそらく小学校には入っていなかった頃だろう。母親の手をしっかり握っていたはずなのに、母だけ電車に乗ったところでドアが閉まってしまい、私はホームに残されたことがあった。ドアのガラスの向こうで母が必死に何か言っている。私はただ呆然として突っ立っている。電車はそのまま動き出し、私はホームに残される。
何回か母と一緒に来たことのある駅で、自宅の最寄り駅も次の次だ。迷子、尋ね人という言葉を振り払い、心配ないと自分に言い聞かせ、心細さを打ち消そうとする。しかし、母がそばに居ないことがあり得ないことで、何か現実に起こった出来事ではなく夢の中にいるような気がする。
すぐに次の電車が来た。しかし、この電車は急行だった。次の駅には各駅しか止まらない。次の次の最寄り駅は急行も止まる。乗るか、乗らぬか、迷い、混乱する。
母が乗ったのは各駅停車なので、次の駅で母が待っていれば、急行に乗ってはまずい。しかし、最寄り駅まで母が行っていれば、この急行に乗るべきだ。ベルがせきたてるように鳴り、いつもよりずっと大きな音のような気がする。心配している母の顔が浮かび、迷っているうちにドアが閉まり、電車は出て行った。
次に来た各駅停車にあわてて乗った。電車のドアにくっついて背伸びしながら外を見た。「母はきっとすぐとなりの駅で待っているだろう」そう思えてきた。 次のわびしい急行待合せ駅に電車が入っていったとき、一人着物を着た人がホームにいるのが一瞬見えた。ホームに降りた。変な顔をして母が駆け寄って来た。
「急行に乗ったのかと思って心配したわよ! ごめんね。よく一台待ったわね」
手をぎゅっと握って私を引き寄せた。母の顔がまぶしく、腰の辺りに顔を押し付けた。じわっと台所の匂いがした。
その母ももういない。遠い、遠い昔の話である。