hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

絵を見るのが好き

2007年01月15日 | 美術
私は絵を見るのが好きである。お気に入りは印象派の先駆けとも言われるマネで、特に後期のおおざっぱなタッチの絵にはひきつけられる。太い筆で軽く絵の具を置いただけなのにちょっと目を離してみると見事に遠くに人がいるように見えたり、反射する透明なガラス瓶に見えたりする。
シスレーの明るい風景画も癒されるし、ゴッホの情熱的なタッチもその人生を思い、ゆすぶられる。要するに平均的日本人の好みである。

玄関には印刷物だが平山郁夫や山本岳人を、階段にはバリで買ったにぎやかな油絵と小さな花の絵を飾ってある。寝室には2枚の浮世絵、岩崎ちひろがある。日本間、台所には母の書いた水墨画が3枚額に入っている。2つのトイレには、カレンダーから切り取った7点のゴッホ、屏風絵などの写真6枚をベタベタと貼り付けてある。
居間にも幾つかの絵を並べている。ほとんどが印刷物だが、壁にかかっているのも、カレンダーから切り取ったものなど14枚ある。その他、カード状のもの12枚を気が向いたときに入れ替えている。

こう書いてみると、42枚の絵にはまったく脈絡がない。奥様の好みがほとんどで、母の絵少々と、ほんの少しだけオトンの私の好みの絵をトイレに貼らせていただいている。
それでも押入れにはマネなど私の好みの画集があり、会社でストレスを受けた日は寝る前に取り出してパラパラながめ、心静かになってからベッドに入ったものだった(イジマシイ)。

長年同じところに飾ってある絵は見慣れてしまって、普段はその存在さえ意識しなくなる。今回あらためてゆっくり眺めてみると、「ああ、ここにこの絵があったんだ」と思う。

結婚して間もない頃、店の壁にかかっているこの絵、銅版画を見て、女房が「これ、いいわね」とじっと見ていた。安月給でぎりぎりの生活をしている身には厳しい価格だったが、あとから店に行って思い切って購入した絵だ。「まさか買ってくるとは思わなかったわ」と言って、ちょっとしんみりしていたのを思い出す。色は淡色だがミシャの絵のようにあでやかで細かく書き込んである。しかし、居間にあるこの絵ももはや普段は全く意識しなくなってしまった。

最近手に入れたカード状の小さな絵にはときどき目が行く。少し大きいカレンダー大の絵は空を描いた癒される絵で、絵柄は単純だがこれにも目が行く。
どうも大きく絵柄の複雑な絵でも長い間見ていると意識から外れてしまうようだ。むしろ、カード大の小さな絵や、少し大きくても単純な絵柄の方が比較的長い間見ていても意識されるような気がする。

屁理屈で考えると、以下のようになる。
人間の目、脳は、集中していないときには、瞬時に処理できる情報量に限界があり、無意識にちょっと見たときには小さな絵か、単純な絵柄の絵しか目に入らないのではないだろうか。
だとすると、細密な描写よりもマネの荒いタッチの描写法は目をひきつけるすばらしい方法ということになる。もっとも、荒いタッチで、そのように見せるには手練の技が必要ではあるが。
コメント
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