角田光代著「水曜日の神さま」2009年7月、幻戯書房発行を読んだ。
いろいろなメディアに載せたエッセイを集めたもので、Ⅰの18編、Ⅱの5編は、33ヶ国へ行ったという角田さんの旅に関するエッセイ。Ⅲは、いつものユーモアある身辺の話題23編。
まえがき代わりの「書くこと、旅すること」に、小説執筆に果たした旅の役割が力をこめて語られている。
角田さんは海燕新人文学賞受賞後、ようやく2作目が書けて、受賞作とあわせて単行本になった。翌年、24歳のとき、2ヶ月ほどタイを貧乏旅行し、マラリアにかかり、死にそうになる。「私、なんにもしてないじゃん。」と、そのとき思った。この経験、旅の間に考えたことが言葉、文章になり、取り憑かれたようにワープロをたたき小説になった。その後も、毎年、貧しい国を貧乏旅行した。そして、驚くことに慣れ始め、10年経って、旅と書くことは切り離された。
この本、私にはどの話も面白かったのだが、一つだけⅢにある「温泉卵を語る男と女の寓話」を簡単にご紹介。
納豆のただしい混ぜかた、コーヒー豆の違い、からすみの作りかたなど男の子は実生活にまったく役立たないことを教えてくれた。この男の知識、美学、こだわりについて、交際して間もない頃は、なんだかかっこよく見えて、真顔で相づちを打つが、交際が長引くにつれて、じつに無意味であることに気づいてしまう。ここで「だからなんだっつーのよ」と言ってはならない。言えば、薄ーいガラス板のようなこのこだわりは砕け、二人の仲は終わりになる。
その男の子のことが好きなあいだは、ガラス板は真綿にくるんで大切に保管しなければならない。ガラス板なんか、役に立たないばかりか邪魔くさいだけじゃん、なんて思っても決して顔に出さずにね。
角田光代さんは、1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒。1990年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞、1996年「まどろむ夜のUFO」で野間文芸新人賞、2003年「空中庭園」で婦人公論文芸賞、2005年「対岸の彼女」で直木賞、2006年「ロック母」で川端康成文学賞、2007年「八日目の蝉」で中央公論文芸賞を受賞。なお、2006年芥川賞を受賞した伊藤たかみさんと6年間の同棲を経て2005年春に婚姻届を出した。
私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)
馬鹿ばかりやり、そんな自分を笑い飛ばしながら、もうひとつ第三者の目で離れた位置から冷静に自分を見ている。だめだ、だめだと言い、ある部分では本当にそう思いながら、何度も受賞する小説を書く。「行動はハチャメチャに、思考は距離を置いて冷静に」が角田さんに小説を書かせているのだろうか。とは言っても、もはや角田さんも40歳。今では、若いときとは違い、かっての経験が熟成した基盤の上で、円熟の小説を書いているようだ。
アジアが今よりさらに貧乏国だったころに、リュックサックを背負って安宿を泊まりあるいた話がすさまじい。そして、その経験が角田さんには社会経験となり、間接的に小説を書かせることとなったと、率直に語る話が、私には興味があった。女性ばかりの家庭で育ち、大声を出す男性におびえ、ビビリ屋という角田さんが、汚く、危険な環境に飛び込むのはなぜなのか。ごく普通の女性に見える角田さんも、大酒を飲んでひっくり返ったりする(話があったと思う)ので、やはり、小説を書く女性は普通ではないのだろう。