バンクーバーのリッチモンドの西南端にあって、フレーザー Fraser川の河口の港町スティーブストンStevestonに行った。
スティーブストンには、19世紀後半からサケ漁を目的とした日本人移民が増え始め、塩蔵、缶詰といった技術を伝えたことから日本人移民が一気に富を築き、一時日系人が2000人にも達した。
しかし、1907年日本人移民への反感による「バンクーバー暴動」、さらに太平洋戦争勃発で、日本人移民は強制、収容され、すべての財産を没収された。1998年にカナダ政府は日系人に対し正式に謝罪し、わずかではあるが賠償も実施された。
スティーブストンのMoncton St.には、昔和歌山から移住して来た日本人の子孫が幾家族かは住んでいて、今でも古めかしく丁寧で奇妙な日本語を話すと言う。
板張りの道のまわりに昔からの木造の各種工場などがBritannia Heritage Shipyardとして保存されている。下の写真は、多分、当時の日系人の長屋で、二階は網などの倉庫らしい。
ボランティアに鍵を開けてもらい、その一つの元造船所 Britannia Shipyardに入った。ここはもともと缶詰工場だったが、フレーザー川でシャケがとれなくなって造船所に変わったのだ。
小さな木造の船を作る様子が再現されている。
突き当たりはそのまま河口へ進水できるようになっている。
当時のいろいろなものが展示されていて、
複雑な結び方をしたロープもある。
今回は入れなかったが、Murakami Visitors Centreという日系人、村上一家が暮らした家が当時の本当に粗末な家具、調度品や写真とともに保存されている。ボロ屋の隙間風を防ぐために新聞紙を張ったという苦しい生活が偲ばれる。村上あさよさんが愛した庭が今も手入れされて残されている。
参照:「日系人のふるさと、Stevestonへ再び」(ということは、ここへは3回来たということになる)
日系漁師の像を見て、
川面を見ると、首の長いカナダガンがいて、
屋根には、微動だにしない不思議な鳥が。
“IMPERIAL CANNERY 1903”と書かれた遊歩道を町の方へ向かう。昔のシャケの缶詰工場がこの先にあったと思う。
雨が降って来たので途中引き返し、再び川沿いの板張りのBoardwalksを歩いて、車で帰った。