hiyamizu's blog

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泉麻人『昭和遺産な人びと』を読む

2013年05月05日 | 読書2

泉麻人著『昭和遺産な人びと』(2002年7月新潮社発行)を読んだ。

昭和30年代を特徴づけるお宝は、どのように生まれ、どこへ行ったのか? 懐かしくも、いまはほぼ絶滅寸前のモノ、コトに携わっていた24人を取材し、当時のエピソードを振り返る。

ソバの出前持ち
丼物はバカ台に8個のせて、2,3段重ね、肩で支えて、自転車に乗る。都電の轍にはまって転び、ととろそばが背中にこぼれて、かゆくてたまらなかったという。ソバを129人分重ねて頭の上にのせている達人の写真がある。

勝鬨橋
隅田川を大型船が通行するときには、橋の中央が八の字に開く。この勝鬨橋の開閉作業をやっていた人に取材。日に5回から3回開閉。時間になるとサイレンを鳴らして、道路の交通を止めて、橋の継ぎ目の10本のピンを運転室の装置で順番に抜いていく。橋はだいたい70度まで上げる。
(1967年に通行のための開閉は中止され、1980年には電力供給も停止された。私は小学校の遠足で橋が開いたのを見た。多分芝公園からだったと思う。)

渋谷の元流し
北島三郎も流しをやっていた。一夜10軒以上、3曲100円。今(2000年)新宿や錦糸町で3曲千円。

インドリンゴ
インドリンゴは、インド産ではなく、アメリカのインディアナ州産のリンゴだった(ショック!)。色が薄く(黄色だった記憶がある)、甘さが強く、柔らかいリンゴだった。インドリンゴが売れたのは戦前で、スターキング、ゴールデンデリシャスが現れてやがて消えていった。インドは少しフケた(熟した)頃が甘みも香りもあるが、すぐにボサボサになってしまう。

シシ舞
昭和30年代に入るころには、押し売りまがいのシシ舞が出てきて、町廻りのまっとうなシシ舞は行われなくなっていた。幼子がシシに頭を噛まれてギャンギャン泣いているのも微笑ましいものだが、いまだにシシを見ると、貧乏な我が家の母の渋い顔を思い出す。

ゴミ箱
明治33年に「汚物掃除法」ができ、東京市は「塵芥箱」の設置を義務付け、ひな型を示した。昭和20年~30年は小沢コンクリート工業製が独占状態だった。写真を見ると、確かに我が家もこれだ。上蓋は木製でトタンぶき、取り出し口は取っ手のついた木製で、コンクリートの溝に沿って引き上げる。

その他、銭湯に富士山を描く人、細々と作られてる「ハエ取り紙」、「赤チン」、「先われスプーン」の工場の人

初出:『新潮45』連載「泉麻人の消えた日本」(2000年1月号~2001年12月号)をまとめたもの。



私の評価としては、★★(二つ星:読めば)(最大は五つ星)

よほど昭和30年代が懐かしい人は別だが、わざわざ読むほどの話は書いてない。部分的に、「そうそう」と思うことが出てくる程度だ。独特に視点で取り上げた物も見当たらないし、物事に対する考察も特に深くないし、著者が若すぎる(?)ので、記憶が深くないせいもあるのだろう。



泉麻人(いずみ・あさと)
1956年東京うまれ。慶應義塾大学商学部卒。コラムニスト。
東京ニュース社入社し、「週刊TVガイド」などの編集者を経てフリー。昭和時代の思い出や、電車やバスなどの交通機関、昭和のB級ニュースど、「近過去のレトロ」系の題材を得意とする。

コメント
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