高田郁『あい 永遠に在り』(2013年1月角川春樹事務所発行、352頁)を読んだ。
九十九里浜近くの貧しい村に生まれた「あい」は、田に出てよく働き、機を見事に織った。叔母の年子からは、「いつも物事の明るい面だけを見ているのは、・・・ふた親から充分に情を受けて育った強みだよ」と言われる。
あいは18歳で、いとこの関寛斎23歳(いづれも実在の人物)に嫁ぐ。寛斎は農民の出ながら、尋常ならざる努力で佐倉順天堂に入り、苦学して医者となり、銚子に医院を構える。コレラが長崎、関西を経て、江戸で3万人の死者をだした。しかし、寛斎の予防策により、銚子ではごく少数が罹患しただけだった。
彼は、長崎留学を経て徳島藩典医として士分に取り立てられ、戊辰戦争では官軍側の野戦病院で敵味方なく治療して活躍して名をあげる。彼は、新政府からの誘いも断り、家禄を返上、士族籍を辞し、「関医院」の看板を掲げ、懐豊かな者からは治療代を多く、貧しい者からは受け取らなかった。
73歳になった寛斎は、68歳のあいとともに、北海道へ渡り、原野開拓に挑戦する。
そんな、頑固、清貧な彼を傍らでしっかり支え続けたのが妻の「あい」だ。
初出:第1章~第3章は「ランティエ」2012年8月号~10月号、第4章は書下ろし
私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)
関寛斎の高齢になってからの挑戦、極端に清貧さを保とうとする頑固さに、妻あいの楽天ぶり、夫唱婦随ぶりに感心する。
そして、著者高田さんのいやになるくらいな真面目さに、へとへとだ。ちょっとは、ユーモアが入ると一本調子にならないのにと思う。
北海道に渡ったが、体が弱り、原野開拓に向かえない「あい」にアイヌの歌が蘇る。
お前はひとりの男を愛し抜いた。
その男を支え、寄り添い、ともに夢を抱いて、生き抜いた。
それ以上に尊いことはない。
その男を支え、寄り添い、ともに夢を抱いて、生き抜いた。
それ以上に尊いことはない。
寛斎は言った。「婆はわしより偉かった」(あとがき&「みみずのたはごと」より)
著者はあえて触れていないが、関寛斎の最後は残念だ。以下、「弥栄の杜から」と、徳富健次郎「みみずのたはごと」による。
寛斎はトルストイに深く心酔しており、小作人に農地を解放することを希望したが、家族に反対されて苦悩の末に服毒自殺した。(自殺の原因として他に、明治天皇の崩御と乃木希典の殉死、長男の生三からの告訴や寛斎自身の肉体の衰えなどが重なったことが考えられる。)