神田茜著『ぼくの守る星』(2014年3月10日集英社発行)を読んだ。
集英社の特設サイトにはこうある。
学習障害の一つ「ディスレクシア」(読み書き困難)を抱える夏見翔。
息子の可能性を伸ばそうとするあまり、空回りする母・和代。
新聞社のカイロ支局勤務のため、家での存在感がほとんどない父・尚人。
翔の面白さに惹かれ、お笑いコンビを組もうと持ちかけるクラスメイト山上強志。
教室では一切口を開かず、静かに微笑んでいるもう一人のクラスメイト中島まほり。
人生のはじまりの時間を生きる少年少女たちと、人生のとまどいの時間を生きる大人たち。
それぞれの思いが交差した先に灯る、小さな光を描く六編の連作短編集です。
夏見翔(かける)は、中学2年のクラス担任・吉井の数学の授業で、応答がトンチンカン(死語?)になってしまいクラスの笑いを呼ぶ。クラスには漫才でコンビを組もうと熱心に誘う山上強志と、まったくしゃべらないが時々目が合い、何故か気になる中島まほりがいる。
有能な新聞記者だった母・和代は翔のために新聞社を辞め、教師や講演会講師に「障害」を「特徴」と言い直させるなど激しく抗議する。母は「俳優のトム・クルーズも台詞は録音して耳で覚え、すばらしい演技をする。翔の才能もそっち系だと思うな」「翔、あなた、本当に頭がいいのよ。特別な才能を持って生まれてきたのよ」などという。父・尚人は長期海外勤務で身も心も不在だ。
山上の姉の真奈は4歳で亡くなり、母は未だに骨壺を手放さないので納骨もできない。父は火葬場で働き、山上は線香くさいと言われる。翔は障害があることを山上に説明したが、それでも3年生を送る会で漫才をやった。
中島まほりの母が精神病院に入院し、ほとんど耳が聞こえない理生は父と北海道へ、中学生のまほりは祖母と住み、母が帰ってきて3人で暮らした。やがて母は祖母を避けて、まほりと二人でアパートで暮らすようになった。まほりは北海道へ行って、9歳になった理生に会ってから死んでしまうつもりだった。ずっと、さみしくて、甘えたいのをがまんしていたのに、それが言えない。母親と同じだと思った。
夏見尚人は帰国し山登りの記事を書く暇な仕事になった。家では妻・和代から「あなたは、父親、やらなくていいから」と宣言される。3人で河口湖と西湖を見下ろす毛無山と十二ガ岳への登山を計画したが、妻と二人だけで行くことになった。「あなたとは仲のいい夫婦を演じようと思う」
(翔は)空にひとつだけ光る星を見つけた。僕にだけ見える星だ。生まれてよかったと思った。はじめて思った。
集英社の本書の特設サイトには著者・神田茜へのインタビュー記事がある。
俳優のトム・クルーズや映画監督のスティーブン・スピルバーグが「ディスレクシア」(読み書き困難)であることを公表しているという。
初出:「小説すばる」2011年8月号~2013年4月号
私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)
現代の人情噺だ。障害者のことを描くのはかなり気を使うと思うが、のびのび書けていて、気持ち良い作品だ。障害児の母親は、負けまいと頑張りすぎても、沈んでしまってもいけない。父親をなんとあ巻き込まねばと思う。
それにしても、著者の神田茜さんは、書くたびにテーマをがらりと変える。底にある人の心のやさしさみたいなものは同じなのだが、書く対象はまったく違っている。そもそも、講談、落語、小説とチャレンジングなこと!