今村夏子著『あひる』(2016年11月21日書肆侃侃房(しょしかんかんぼう)発行)を読んだ。
「あひる」
山奥に住んでいた人が引越すので、飼っていた“のりたま”という名のあひるをもらい受けた。30歳を超えたわたしは未だ就職もせず、医療系の試験勉強しながら家にいて、明るく元気だった弟が荒れて家を出て、離れて暮らすようになり、両親は落ち込んでいた。そこにのりたまがやって来たのだ。
そのあひるがいるあひる小屋を下校時の子どもたちが「かわいい」と眺めて遊ぶようになった。父と母は孫がたくさんできたようだと、縁側から子どもたちが集まってくる庭を眺めながら顔をほころばせていた。のりたまの方は徐々に食欲を失い、一か月もたたないうちに、体調を崩し入院する。2週間後、戻って来たのりたまを見て、わたしは、これはのりたまではないと気づいたが、口にできなかった。両親も子どもたちも不思議と気づかず、ただ復活を喜んでいた。
父はあひる小屋の鍵を子どもたちが自由に遊べるように金網に吊るし、子どもたちがのりたまを自由に水浴びさせたり、散歩させたりできるようにした。ひと月たたないうちにのりたまは元気をなくした。やがて、子どもたちのうちの何人かは、学校帰りに我が家に立ち寄って客間で宿題をやってからそれぞれの自宅へ帰っていくようになった。ふた月もたとうかというころに再びのりたまは入院し、十日後に帰って来た。こんども前ののりたまとは違っていた。
両親はある子どもの誕生会を準備したが、子どもたちは誰も来なかった。その夜遅くひとり男の子が家の鍵を忘れたといって家に上がり込み、準備したのに余ったカレーとケーキをたっぷり食べて帰って行った。翌朝わたくしは、小屋の外からのりたまに呼びかけた。「ゆうべはありがとう。お父さんとお母さん、あなたが来てくれて嬉しそうだった」。のりたまのくちばしには生クリームは付いていなかった。のりたまは死んで、庭にお墓を作った。
弟がやって来て・・・。
「おばあちゃんの家」
みのりは小学校から帰ると洗濯物をおばあちゃんの家まで届けに行く。小学校1年生のとき、一人でお祭りに行って、近道で道に迷い、おばあちゃんに迎えに来てもらった。
「森の兄妹」
モリオと妹のモリコは三時のおやつはいつもそのへんで調達している。大きな家の庭になっていたビワを取って食べていると、小屋から「おいで」というおばあさんの声が聞こえる。
初出は、「あひる」:「たべるのがおそいvol.1」2016年4月、「おばあちゃんの家」・「森の兄妹」:書き下ろし
私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)
このかったるく、何でもないようで、ちょっと不思議で、どこか寂しげなゆったりと続く話が私のフィーリングに合う。「あひる」が何かを象徴しているような気がするが、まあいいだろう、そのまま受け取ろう。
今村さんは自分の世界を作り上げるのが上手く、フィーリングが合う人はすぐに引き込まれてしまう。そうでない人には、面白みのない話になるのだろう。