一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

青山杉雨氏の思い出

2012-07-20 00:14:40 | プライベート
昨夜19日(木)、上野公園を散歩していたら、「青山杉雨の眼と書」展の広告看板が目に入った。
青山杉雨(あおやま・さんう)(1912~1993)は愛知県出身。書家・西川寧に師事。篆書や隷書の研究家として知られ、篆隷体として独自の表現法を確立した。1988年、文化功労者。1992年、文化勲章受章。
今年は青山杉雨の生誕100年にあたり、書展が企画されたものらしい。
青山杉雨、将棋関係では、「十段戦」や「竜王戦」の題字を揮毫したことで知られている。
「竜王戦」は、納得のいく字が書けるまで600枚を要したというエピソードがある。功成り名遂げたあとも、なおも妥協なき仕事であった。
私が学生時代、上野の東京都美術館で、あるアルバイトをしたことがある。ある書道展の入選作を決めるもので、数百点ある応募作を、ある書家が見極めていくのである。私たちアルバイトは、その表装された応募作品を、書家の前に掲げる、というものだった。
この書家が誰あろう、青山杉雨だった。青山杉雨といえば、将棋界では大山康晴十五世名人に匹敵する重鎮。さすがの私も緊張した。色のついた眼鏡の奥の眼光は鋭く、異様な迫力と圧倒的な存在感があった。
その青山杉雨を中心に、何人かが腰掛けている。その前に私たちが6~7人一組で、応募作品を持って立つ。全紙(1,348mm×666mm)もしくは聯落ち(1,348mm×500mm)が張られた板を持つわけだから、私たちの体はほぼ隠れてしまう。
この場で当落を決めるのだが、その全権は青山杉雨が握っていた。青山杉雨はこれらの作品を一瞥するや、「はい次!」と一言。全員落選、ということである。するとアルバイト数人は脇に消え、後方に控えていた次の6~7人が、次の作品を見せる、という按配だった。
とにかく青山杉雨の「仕事」は早い。
「はい次!」
「はい次!」
パッパッパッパッと、流れ作業のように応募作品を篩にかけていく。
私のような素人から見たら、どの作品も素晴らしく見えるのだが、圧倒的に落選が多かった。
将棋に例えれば、美しく見える美濃囲いも、金銀の位置が逆だったり、玉の位置が4八だったりで、どこかに違和感を覚えたのだろう。
「4番、よし!」
おっ、4番氏は通ったようだ。
「はい次!」
またも全員の作品がハジかれた、と思ったときだった。傍らにいた関係者が、青山杉雨にささやく。
「先生、この方は○○先生のご子息でして…」
「何!? …3番、よし!」
エエッ!?
…巨匠・青山先生にしても、いろいろしがらみがあったのだった。

「青山杉雨の眼と書」展は、東京・上野の東京国立博物館で、9月9日(日)まで開かれている。青山杉雨の作品に加え、中国書画のコレクションなど、約360点が展示されている。
優れた書家の作品には、抽象絵画に似た趣がある。青山杉雨にもそれがあり、作品を鑑賞していると、時の経つのを忘れる。入場料は大人1,400円とちょっと高いが、私も時間があったら、一度足を運んでみようと思っている。
コメント (5)
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