一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

LPSA芝浦サロン・船戸陽子女流二段17

2014-11-11 00:07:01 | LPSA芝浦サロン
2011年7月13日は水曜日だったが、LPSA芝浦サロンに行った。金曜以外でサロンに行くのは極めて異例だが、担当が船戸陽子女流二段だったことによる。
きのうも書いたが、この3日後にマイナビ女子オープンの一斉予選対局があり、船戸女流二段は清水市代女流六段と対戦することになっていた。今回はその激励の意味もこめていた。
午後6時すぎにサロンに入ると、ミスター中飛車氏と、新規のお客がひとりいた。水曜日ではさすがに客が少なく、新規のお客も、ミスター中飛車氏の紹介によるものだった。
船戸女流二段は中近東風?の服装で、涼やかだった。前週の七夕ワインサロン以来の対局だが、私は前月の「叱責」がまだ尾を引いていて、お互いギスギスした感じだった。
本局はもちろん「ワイン勝負」だが、実はこの数日前、船戸女流二段から「ワイン勝負をやめたい」旨の要望があった。
ここまでの対戦成績は私の2勝6敗。あと2つ負けると、船戸女流二段所望のワインを進呈することになるのだが、船戸女流二段はその勝負を拒否したのだ。
表向きは、「ワイン勝負なんて半分冗談でやってたんだから、ワインなんていらないワ」というところだが、私は、勝負の行方が見えた船戸女流二段から、情けをかけられたように思った。でも私はこういう同情はいらないので、「私が3連勝するから、続けましょう」と返した。
だが船戸女流二段の真意は、「私は近々結婚するので、これ以上一公さんから品物をもらえません」というところだったと、いまでは分かる。しかし当時の私に、それが読めるはずもなかった。
対局に入る。私の居飛車に、船戸女流二段は中飛車穴熊。船戸女流二段の得意形で、3日後の清水戦ではこの戦法で行くと、かなり早い時期から私に教えてくれていた。別に隠すことじゃないから、と船戸女流二段は言ったが、だからといって私が公表できるものではない。それで、このエピソードの公表が3年4か月も遅れてしまった。
私は左美濃に組む。船戸女流二段の四枚穴熊に呼応し、私も右銀を7七に引き付ける。お互い4枚に囲い、以下、ぐちゃぐちゃした戦いになった。前も書いたが、船戸女流二段とは、こうしたくんずほぐれつの戦いが多かった。
私が中盤まで優勢に進めていたと思うのだが、テキの穴熊も遠い。では、終盤の局面を記そう。

以下の指し手。▲1三角△4八竜▲3五角成△7四桂▲5七角△3八竜▲8七金打△6五歩▲同歩△6六歩▲同銀右△同桂▲同角△6七銀▲4八歩△6五香
まで、168手で船戸女流二段の勝ち。

この局面は私の銀得。悪くはないが、▲1三角は守りに勝ちすぎた。先日の「大野・植山教室」で、W氏から「大沢さんは受けすぎる」と言われたが、その通りだと思う。
私はさらに▲5七角と打ち▲8七金打だが、これが最後の悪手。△6六歩から△6七銀と絡まれ、驚くことに受けが困難になってしまった。
△6五香で投了。ワイン勝負は私の2勝7敗となった。次に負けると、終了となる。すると、
「もう1局いっちゃいますか」
と船戸女流二段が言った。こんな勝負、早く終わらせちゃいましょう、という響きがあった。
私は受ける一手。そして次局が、ワイン勝負の最終局となった。
コメント (2)
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