一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

九州旅行2014・1「大分交通耶馬渓線」

2014-11-22 00:04:33 | 旅行記・G.W.編
(5月4日のつづき)
日豊本線上り・暘谷発20時47分の普通列車に乗り、中津には1時間後の21時48分に着いた。夜汽車は退屈極まりないが、自分を見つめ直すいい機会でもある。そして滅入る。
きょう宿泊する中津サンライズホテルは、駅前からすぐのところにあった。
チェックインのとき、私はパソコンをレンタルした。4月からブログを再開したので、また書かねばならぬのだ。とはいえ1泊700円は安く、感激した。ふつうは1泊1,000円である。

翌5月3日(土・祝)。ここから本格的な旅行である。きょうは中津から内陸部に入った「青の洞門」を観光しようと思う。いや正確には、かつて中津から守実温泉を結んでいた、大分交通耶馬溪線の廃線跡探訪をするつもりである。耶馬溪線は1975年に全線廃止されたが、噂によると線路跡はよく残っており、サイクリングロードもあるという。
ホテルで無料の朝食を美味しくいただき、中津駅に戻る。駅内でいくつかパンフレットをもらい、大交北部バス・09時40分発のバスに乗る。「SUN Qパス」の初日である。
乗客は私を含めて3人。世間ではゴールデン・ウイークだというのに、ここでは関係ないようだ。
しばし走ると、右手に廃線跡が見えた。時間が許せば中津から歩きたかったが、そうもいかない。10時05分、青の洞門バス停で降りた。
といっても、青の洞門はもう少し先である。廃線跡はどこを走っているのだろう。
この手前に、石積みの優美な橋があったので、行ってみる。その名も「耶馬溪橋」で、大正12年の竣工らしい。何度か改修工事はあったが、建設当時の姿を留めている。何となく、九州には観光に耐えうる名橋が多いと思う。
橋を渡ったところに県給食指定の「小谷瀬パン工房」というのがあり、その向かいが天然酵母のパン屋だった。私は旅先で菓子パンをよく買う。職人の技術を廉価で堪能できるのがよい。
今回はメロンパン(62円)、ドーナツ(62円)、デニッシュ(138円)を買った。しめて264円は安かった。
川べりで2度目の朝食。青の洞門に戻る。青の洞門とは、耶馬溪に含まれる競秀峰の裾野に掘られたトンネルである。大昔、禅海和尚という人が、多くのスタッフを雇い、ノミと槌だけで掘ったといわれている。
トンネル内は歩道と車道に分かれており、自動車は場合によって、交互通行となる。歩道からは、眼下に山国川が見える。昔ここを訪れた時、この絶妙のカーブが廃線跡を彷彿とさせ、私はこの辺に汽車が走っていると信じて疑わなかった。
実際はルートを外れていて私の錯覚だったのだが、ローカル列車が走っているカンは当たっていた。
トンネルを抜けると、辺り一帯は工事中だった。しかしここまで来ると、さすがに観光客が多い。みんな、どこから湧いてくるのだろう。
「競秀峰探勝道」なるものがあるが、時間的に無理で、パス。
対岸に架かる大橋がある。登ってみるが、そこからの景色は素晴らしい。
競秀峰近辺はお花畑になっており、しばし散策する。テレビ局のクルーが来て、いろいろ撮影している。私ものんびりしたいが、先を急がねばならない。
近くにレンタサイクルの店があったが、ここは考えどころである。きょうはこのまま南下し、日田駅に抜けるつもりだ。しかしレンタサイクルはこの場所まで引き返さねばならず、借りる場所が難しい。
パンフレットを見ると、この数キロ先のバス停の近くにもサイクリングターミナルがある。で、そこまではできるだけ徒歩とし、そこから自転車を借り、旧守実温泉駅を往復することにした。廃線跡を2段階で楽しもうというわけである。
廃線跡探訪開始。廃線跡は、川を挟んだ向かい側のようだ。渡ると、この時点で観光客が皆無になる。どうして私の観光は、周りに人がいなくなるのだろう。
それはともかく、景色は素晴らしい。初夏の風がさわやか…といいたいところだが、そこは九州なのでポカポカである。
よく分からぬが、この辺りも耶馬溪なのだろう。似たような奇岩があっちこっちに見られる。
川の左は県道、右は廃線跡、という配置のまま、並行して進む。川と鉄道は並行して走ると相場が決まっている。
喉が渇いたが、こちらには自販機やコンビニの類がない。鉄道が走っていたから、周りは何もないのだ。しかしそろそろ県道に戻り、バスを捕まえなければならない。
また橋があったが、その一角が崩れていて、通行止めになっている。その横を、オートバイが何事もないように走ってきた。
ここを渡ってはいけないのだが、そうも言っていられない。私もそろそろと橋を渡った。
ちょうど、馬溪橋というバス停があり、数分待っていたら、タイミングよくバスが来た。といっても、マイクロバスである。ここで2人降り、乗客は私を含めて3人になった。
「どこから来た?」
と、近くのオジサンが人懐こい笑顔で話しかけてくる。
「東京です」
旅行をしていて、地元住民から一番よく聞く質問がこれだが、「東京」の回答は絶大である。あの大都会からよく来なすったと、相手は襟を正す。オジサンも同様で、行楽シーズンに鄙びた観光地を訪れている旅行者に、オジサンは心底うれしそうだった。
右を見ると、跨線橋がある。廃線跡を転用した人道橋だろうか。オジサンによると、2年前に水害があり、橋のいくつかが決壊したという。あの橋はまさに廃線跡だが、それ以来通行止めになったという。
柿坂には12時33分に降りた。ここにサイクリングターミナルがある。案内板があったので簡単に見つかった。受付に入るが、ここは公共の宿も兼ねている。
そこへライダーが来て、「ダムカード」を貰っていた。「ダムカード」とは、国土交通省が発行していて、その名の通り各地のダムがデザインされているカードである。所望すればタダで貰え、収集家も多い。
ついでに私も貰う。「耶馬溪ダム」が印刷されていたが、近くにあるのだろう。ともあれこれが私のダムカード「第1号」である。
レンタサイクルは、パンフレットに書かれている料金より高いのが不愉快だったが、ここは借りるしかない。もっとも、3時間で370円だからかなり安い。
さらにシャワーが無料、というのは痛快だったが、利用する時間はなさそうだ。そもそも今回私は、タオルや石鹸の類を忘れていた。
私はサイクリングロードを軽快に走る。廃線跡の利用法はいろいろあるが、私はサイクリングロードがベストだと思う。廃線前と同じ景色を愉しめるのがよい。
トンネルもそのまま残っている。サイクリングロードならではで、全然飽きない。
休憩所が見えてきた。「下郷駅」の駅名標がある。ホームは現役当時のままだろう。
また走ると、民家が見えてきた。ここには「白地」とある。旧駅舎を民家に改築したものだろう。購入主は鉄道ファンだったのだろうか。
配線跡は川の左側に来ている。数十メートルごとに景色が変わり、ここまで来てもまったく飽きない。
杉林を抜け、住宅地に入ると、このあたりが終点らしかった。若干バカバカしいが、ここからはいま来た道を戻る。
ターミナルに戻り自転車を返し、15時13分柿坂発・日田バスセンター行きのバスを待つ。向かいの商店でアイスを買い、ベンチで食う。このひとときが贅沢である。
バスは3分遅れで来た。ちなみにこの次の日田行きは17時08分で、これが日田行きの最終である。
(つづく)
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