今日10月3日は、本田小百合女流三段のお誕生日。おめでとうございます!!
本田女流三段はAKB48の誰かに似ていたのだが、改めて確認すると、それほど似ていなかった。よって今年の「似ているシリーズ・本田女流三段編」は、見送る。
かつてTBSで放送していた「クイズ100人に聞きました」で、
「『名人』と聞いて、思いうかぶ職業は何?」
というクイズがあった。1位はもちろん「将棋」で、67人もいた。
名人は全棋士が目標にする称号(タイトル)であり、芹沢博文九段などは、「名人を3日間名乗れたら死んでもいい」と言ったくらいだ(という記憶がある)。
そこで今日は、名人獲得まであと1勝に迫り、結局名人を獲れなかった棋士を調べてみた。
1969年 第28期 有吉道夫八段
1975年 第34期 大内延介八段
1992年 第50期 高橋道雄九段
2007年 第65期 郷田真隆九段
2009年 第67期 郷田真隆九段
この4人である。では星の並びを見てみよう。挑戦者から見た星である。
第28期 有吉道夫八段 ○●●○○●●
第34期 大内延介八段 ○●●千○○●持●
第50期 高橋道雄九段 ○○●○●●●
第65期 郷田真隆九段 ○○●●●○●
第67期 郷田真隆九段 ●○●○○●●
第28期の有吉八段は、有吉八段が5局目に勝利し、大山康晴名人をカド番に追い込んだ。しかしそこから大山名人が底力を出して、逆転防衛。この七番勝負は、有吉八段のほうにやりにくさがあったかもしれない。
ちなみに名人戦七番勝負のフルセットは、この期が初めてだった。
第34期は大内八段が中原誠名人をカド番に追い込んだ。最終7局目は初日から大内八段が大きくリードし、このまま名人を奪取するかに思われた。しかし2日目の終盤、▲7一角と打ったのが大内八段一生の不覚。以下中原名人に巧みに粘られ、持将棋となった。
こうなれば流れは中原名人で、指し直し局は名人の快勝。文字通り逆転防衛となった。
勝負事に「れば、たら」は意味がないが、もしこの将棋に大内八段が勝っていたら、大内現九段の後の人生は大きく変わっていた。
もし私が大内九段と同じ立場だったら、今でも泣き言を言っていると思う。
第50期は、高橋九段が得意の矢倉で勝ち続け、4局を終わって3勝1敗でリード。このまま名人を奪取するかに思われた。しかしそこから中原名人が相掛かり系の将棋にシフトし、残り3局を全勝。棋史に残る逆転劇となった。
高橋九段は現在でも、この時の名人戦を思い出したくないそうで、その気持ちは(全然レベルが違うが)痛いほど分かる。
第65期の郷田九段は、森内俊之名人を相手に第1、2局を連勝。名人奪取が濃厚になったが、以下3局を連敗。これはダメか…と思われたところ、第6局で奇跡的な勝利を収め、勝負は最終局に持ち越された。
しかし惜敗し、名人奪取はならなかった。
第67期は再び郷田九段が、今度は羽生善治名人相手に、名人まであと一歩に迫る。すなわち、第5局を終わって3勝2敗とリード。しかし6、7局を負け、悲願の名人はならなかった。
上記4棋士は、時の名人をそこまで追い詰めるくらいだから、実力はピカ一だ。事実ほかの棋戦では、全員タイトルを獲っている。しかし有吉九段、大内九段はその後名人戦に登場せず引退。高橋九段も現在B級2組で、さすがに名人奪取は無理だろう。
残る郷田九段だが、こちらは現在王将のタイトルを持ち、A級に在籍している。今期の成績は1勝3敗と振るわないが、名人を獲るには、このクラスにいることが重要なのだ。
本田女流三段はAKB48の誰かに似ていたのだが、改めて確認すると、それほど似ていなかった。よって今年の「似ているシリーズ・本田女流三段編」は、見送る。
かつてTBSで放送していた「クイズ100人に聞きました」で、
「『名人』と聞いて、思いうかぶ職業は何?」
というクイズがあった。1位はもちろん「将棋」で、67人もいた。
名人は全棋士が目標にする称号(タイトル)であり、芹沢博文九段などは、「名人を3日間名乗れたら死んでもいい」と言ったくらいだ(という記憶がある)。
そこで今日は、名人獲得まであと1勝に迫り、結局名人を獲れなかった棋士を調べてみた。
1969年 第28期 有吉道夫八段
1975年 第34期 大内延介八段
1992年 第50期 高橋道雄九段
2007年 第65期 郷田真隆九段
2009年 第67期 郷田真隆九段
この4人である。では星の並びを見てみよう。挑戦者から見た星である。
第28期 有吉道夫八段 ○●●○○●●
第34期 大内延介八段 ○●●千○○●持●
第50期 高橋道雄九段 ○○●○●●●
第65期 郷田真隆九段 ○○●●●○●
第67期 郷田真隆九段 ●○●○○●●
第28期の有吉八段は、有吉八段が5局目に勝利し、大山康晴名人をカド番に追い込んだ。しかしそこから大山名人が底力を出して、逆転防衛。この七番勝負は、有吉八段のほうにやりにくさがあったかもしれない。
ちなみに名人戦七番勝負のフルセットは、この期が初めてだった。
第34期は大内八段が中原誠名人をカド番に追い込んだ。最終7局目は初日から大内八段が大きくリードし、このまま名人を奪取するかに思われた。しかし2日目の終盤、▲7一角と打ったのが大内八段一生の不覚。以下中原名人に巧みに粘られ、持将棋となった。
こうなれば流れは中原名人で、指し直し局は名人の快勝。文字通り逆転防衛となった。
勝負事に「れば、たら」は意味がないが、もしこの将棋に大内八段が勝っていたら、大内現九段の後の人生は大きく変わっていた。
もし私が大内九段と同じ立場だったら、今でも泣き言を言っていると思う。
第50期は、高橋九段が得意の矢倉で勝ち続け、4局を終わって3勝1敗でリード。このまま名人を奪取するかに思われた。しかしそこから中原名人が相掛かり系の将棋にシフトし、残り3局を全勝。棋史に残る逆転劇となった。
高橋九段は現在でも、この時の名人戦を思い出したくないそうで、その気持ちは(全然レベルが違うが)痛いほど分かる。
第65期の郷田九段は、森内俊之名人を相手に第1、2局を連勝。名人奪取が濃厚になったが、以下3局を連敗。これはダメか…と思われたところ、第6局で奇跡的な勝利を収め、勝負は最終局に持ち越された。
しかし惜敗し、名人奪取はならなかった。
第67期は再び郷田九段が、今度は羽生善治名人相手に、名人まであと一歩に迫る。すなわち、第5局を終わって3勝2敗とリード。しかし6、7局を負け、悲願の名人はならなかった。
上記4棋士は、時の名人をそこまで追い詰めるくらいだから、実力はピカ一だ。事実ほかの棋戦では、全員タイトルを獲っている。しかし有吉九段、大内九段はその後名人戦に登場せず引退。高橋九段も現在B級2組で、さすがに名人奪取は無理だろう。
残る郷田九段だが、こちらは現在王将のタイトルを持ち、A級に在籍している。今期の成績は1勝3敗と振るわないが、名人を獲るには、このクラスにいることが重要なのだ。