一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

あと1勝でタイトルに手が届かなかった棋士

2015-10-09 23:47:31 | データ
棋士の究極の目標は竜王・名人である。が、それ以外のタイトルを獲るのも大変なことだ。一度でもタイトルを獲れば、末代までの自慢となる。
しかし中には、タイトルまであと一歩に迫りながら、涙を飲んだ棋士もいる。「あと1勝ができずタイトルを獲れなかった棋士」、今日はそれを調べてみた。

1952年 第2期王将戦 丸田祐三八段
1964年 第4期棋聖戦 関根茂七段
1989年 第37期王座戦 青野照市八段
2002年 第15期竜王戦 阿部隆七段
2009年 第80期棋聖戦 木村一基八段
2009年 第50期王位戦 木村一基八段
2013年 第63期王座戦 中村太地六段
2014年 第64期王座戦 豊島将之七段

1952年の第2期王将戦は丸田祐三八段が登場。大山康晴名人相手にフルセットまで戦った。第7局も終盤まで優勢だったが一失あり、粘ることなく駒を投じた。丸田九段はその後も名人戦と王位戦に登場したが、いずれも大山に1-4で敗れ、結果的にこの王将戦が、最もタイトルに近づいた戦いとなった。
なお、第1期王将戦は升田幸三八段が木村義雄名人を破り王将に就いたが、翌期はすぐに防衛戦を指せるわけではなく、時の名人とタイトル戦出場を賭けて三番勝負を戦った。これに大山名人が勝ち、王将戦七番勝負に登場となったわけである。
タイトル戦の草創期とはいえ、升田八段としては面白くなかったろう。

1964年の第4期棋聖戦では、関根茂七段が登場。七段のタイトル戦登場は初めてであった。
関根七段は山田道美九段らと大山振り飛車を研究し、第3局を終わった時点で2勝1敗とリード。タイトル奪取が期待されたが、ここで大山棋聖が戦法を矢倉にスイッチ。残る2局を連勝し、辛くも防衛としたのだった。
関根七段は後にA級に昇級したが、以降のタイトル戦登場はなし。最初で最後のタイトル戦となった。

1989年の第37期王座戦は青野照市八段がタイトル戦初登場。中原誠王座相手に第3局を終え2勝1敗とリードしたが、残り2局を負け、惜しくも奪取はならなかった。
青野九段のタイトル戦も、このシリーズのみ。しかしその後はA級にたびたび昇級するなど、実力のあるところを見せた。

2002年の第15期竜王戦では、阿部隆七段がタイトル戦初登場。
阿部八段はデビュー時、羽生善治名人と並ぶ棋才と目され、「将棋世界」のお好み対局で、羽生四段と三番勝負を行ったこともある。
竜王戦では、羽生竜王相手に第5局までを終えて、2千日手を含む3勝2敗とリード。最終局も終盤まで優勢だったが決め手を逃し、長蛇を逸した。もしこの時阿部七段が勝っていたら、彼のその後の人生も変わっていただろう。

木村一基八段は、2009年の第80期棋聖戦と第50期王位戦に登場。棋聖戦では羽生棋聖相手に2勝1敗とリードしたが、続く4、5局を敗れ、あと一歩のところで涙を飲んだ。
しかしもっと惜しかったのは王位戦で、深浦康市王位相手にいきなり3連勝。誰もが奪取を信じたが、何とそこから4連敗。まさかの結末となった。
この星が当時あまり話題にならなかった?のは、2008年の竜王戦・渡辺明竜王―羽生名人で、3連勝4連敗があったから。木村八段は、将棋史上2番目の悲劇になってしまった。

王座戦の中村太地六段、豊島将之七段の健闘は記憶に新しい。
ことに中村六段の王座戦第5局は、その年の名局賞に輝いた。しかし敗者から見れば、この賞に何の意味もない。
ちなみに今期王座戦五番勝負は、佐藤天彦七段がここまで2勝2敗と健闘している。

中村六段と豊島七段は伸び盛りなので、将来はタイトルを獲るだろう。木村八段はギリギリだが、どうか。
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