11日(日)のNHK杯将棋トーナメントで、対局者の藤井猛九段が「四間飛車藤井システム」を指していた。すぐに玉を囲ったけれども。
私のイメージする藤井システムは、居玉のままガンガン攻め、穴熊を攻略するというもの。
それで思い出す将棋がある。1967年に指された第8期王位戦第1局、大山康晴王位対大内延介六段戦である。ここで大内六段が、居玉のまま大山玉を攻め倒した。大山陣は穴熊ではなかったが、振り飛車の攻めは現代のそれにそっくりだ。
では、記譜を掲載してみよう。
第8期王位戦第1局
1967年7月27、28日
於:東京「将棋会館」
持ち時間:10時間
△王位 大山康晴
▲六段 大内延介
▲7六歩△3四歩▲5六歩△8八角成▲同飛△5七角▲6八銀△2四角成▲3八銀△4二玉▲5八金左(第1図)
3手目▲5六歩は大内現九段が時折用いた手で、後手に馬を作らせるが、手順に飛車を振って手得しようというもの。先手は角を手持ちにし、持ち角対馬の構図になる。
▲5八金左とした形が、居玉藤井システムを彷彿とさせる。
第1図以下の指し手。△3三馬▲7七桂△7四歩▲3六歩△7二飛▲6六角△4四歩▲4六歩△3二銀▲3七桂△6四歩▲8六歩△4三銀▲8五歩△5四銀▲4五歩△7五歩▲同歩△4五歩▲3三角成△同桂▲3五歩(第2図)
後手は馬を要所に引き、▲7七桂には△7四歩と桂頭を攻める。
▲6六角に△同馬では後手の主張がなくなってしまうので、△4四歩。先手は▲3七桂と跳ね、▲4五歩から再び角交換を目論んだ。数手後の△4五歩に▲3三角成△同桂。続く▲3五歩は、藤井システムの穴熊崩しにも頻出する桂頭攻めだ。
第2図以下の指し手。△7六歩▲3四歩△3二金▲3三歩成△同金▲5五歩△4三銀▲8四歩△7七歩成▲同銀△7六歩▲6六銀△6五歩(第3図)
後手が一歩先に△7六歩と打ったが、▲3四歩には△3二金が必要なため、先に桂を取ったのは先手のほうだった。
先手は飛車先の突破を目指し、後手は7七の地点を攻める。ここに駒の利きがなくなれば、△7七角の王手飛車がある。
▲6六銀に△6五歩と突いた。
第3図以下の指し手。▲8三歩成△5二飛▲4五桂△3四金▲5四桂(途中図)
△3二玉▲3三歩△2二玉▲4二桂成△同飛▲5三桂成(第4図)
大内九段は1979年にNHK将棋講座の講師を務めており、本局もテキストの教材となった。
△6五歩を取る手は論外。よって後手が△6六歩と銀を取るまでに、先手は一仕事しなければならない。
まずは▲8三歩成を利かし、△5二飛に▲4五桂。△3四金に▲5四桂(途中図)が妙手だ。
これに△同歩は、▲6四角△5三桂(△3二玉は▲5三桂成)▲同桂成△同飛▲5四歩△同銀▲4六桂、となるのだろうか。
取っては面倒と見た後手は△3二玉と逃げるが、先手は手順を尽くし▲5三桂成となり、大成功だ。
第4図以下の指し手。△5二金▲同成桂△同飛▲6一角△3三玉▲3五歩△1五角▲4八金直△4四金▲4五歩△同金▲3四金△同銀▲同歩△4二玉▲3三銀△5一玉(第5図)
△5二金には▲同成桂と取り、▲6一角と打って筋に入った。
数手後△3四同銀に慌てて▲5二角成では△3五金と粘られる。ふつうに▲3四同歩と取り、▲3三銀で玉を下段に落とす。△5一玉で双方居玉になった。
第5図以下の指し手。▲5二角成△同玉▲4二飛(投了図)
まで、77手で大内六段の勝ち。
▲6一角と打って13手目、ここでやっと飛車を取る。△同玉に▲4二飛まで、大山王位の投了となった。大山王位に△6六歩と取る順は回ってこなかった。
投了図で大内玉は居玉のまま。どうであろう。まるで藤井システムのようではないか。本局は大内九段の会心局。いや、代表局といってもいいだろう。
ゴキゲン中飛車や先手中飛車もそうだが、現代の新戦法がはるか以前に指されていたケースは多い。先達の発想の豊かさに、私は脱帽するのである。
私のイメージする藤井システムは、居玉のままガンガン攻め、穴熊を攻略するというもの。
それで思い出す将棋がある。1967年に指された第8期王位戦第1局、大山康晴王位対大内延介六段戦である。ここで大内六段が、居玉のまま大山玉を攻め倒した。大山陣は穴熊ではなかったが、振り飛車の攻めは現代のそれにそっくりだ。
では、記譜を掲載してみよう。
第8期王位戦第1局
1967年7月27、28日
於:東京「将棋会館」
持ち時間:10時間
△王位 大山康晴
▲六段 大内延介
▲7六歩△3四歩▲5六歩△8八角成▲同飛△5七角▲6八銀△2四角成▲3八銀△4二玉▲5八金左(第1図)
3手目▲5六歩は大内現九段が時折用いた手で、後手に馬を作らせるが、手順に飛車を振って手得しようというもの。先手は角を手持ちにし、持ち角対馬の構図になる。
▲5八金左とした形が、居玉藤井システムを彷彿とさせる。
第1図以下の指し手。△3三馬▲7七桂△7四歩▲3六歩△7二飛▲6六角△4四歩▲4六歩△3二銀▲3七桂△6四歩▲8六歩△4三銀▲8五歩△5四銀▲4五歩△7五歩▲同歩△4五歩▲3三角成△同桂▲3五歩(第2図)
後手は馬を要所に引き、▲7七桂には△7四歩と桂頭を攻める。
▲6六角に△同馬では後手の主張がなくなってしまうので、△4四歩。先手は▲3七桂と跳ね、▲4五歩から再び角交換を目論んだ。数手後の△4五歩に▲3三角成△同桂。続く▲3五歩は、藤井システムの穴熊崩しにも頻出する桂頭攻めだ。
第2図以下の指し手。△7六歩▲3四歩△3二金▲3三歩成△同金▲5五歩△4三銀▲8四歩△7七歩成▲同銀△7六歩▲6六銀△6五歩(第3図)
後手が一歩先に△7六歩と打ったが、▲3四歩には△3二金が必要なため、先に桂を取ったのは先手のほうだった。
先手は飛車先の突破を目指し、後手は7七の地点を攻める。ここに駒の利きがなくなれば、△7七角の王手飛車がある。
▲6六銀に△6五歩と突いた。
第3図以下の指し手。▲8三歩成△5二飛▲4五桂△3四金▲5四桂(途中図)
△3二玉▲3三歩△2二玉▲4二桂成△同飛▲5三桂成(第4図)
大内九段は1979年にNHK将棋講座の講師を務めており、本局もテキストの教材となった。
△6五歩を取る手は論外。よって後手が△6六歩と銀を取るまでに、先手は一仕事しなければならない。
まずは▲8三歩成を利かし、△5二飛に▲4五桂。△3四金に▲5四桂(途中図)が妙手だ。
これに△同歩は、▲6四角△5三桂(△3二玉は▲5三桂成)▲同桂成△同飛▲5四歩△同銀▲4六桂、となるのだろうか。
取っては面倒と見た後手は△3二玉と逃げるが、先手は手順を尽くし▲5三桂成となり、大成功だ。
第4図以下の指し手。△5二金▲同成桂△同飛▲6一角△3三玉▲3五歩△1五角▲4八金直△4四金▲4五歩△同金▲3四金△同銀▲同歩△4二玉▲3三銀△5一玉(第5図)
△5二金には▲同成桂と取り、▲6一角と打って筋に入った。
数手後△3四同銀に慌てて▲5二角成では△3五金と粘られる。ふつうに▲3四同歩と取り、▲3三銀で玉を下段に落とす。△5一玉で双方居玉になった。
第5図以下の指し手。▲5二角成△同玉▲4二飛(投了図)
まで、77手で大内六段の勝ち。
▲6一角と打って13手目、ここでやっと飛車を取る。△同玉に▲4二飛まで、大山王位の投了となった。大山王位に△6六歩と取る順は回ってこなかった。
投了図で大内玉は居玉のまま。どうであろう。まるで藤井システムのようではないか。本局は大内九段の会心局。いや、代表局といってもいいだろう。
ゴキゲン中飛車や先手中飛車もそうだが、現代の新戦法がはるか以前に指されていたケースは多い。先達の発想の豊かさに、私は脱帽するのである。