きょう7月26日は、大山康晴十五世名人の命日である。平成4年の没だから、もう30年も経ってしまった。
当時私は北海道を旅行中で、当日は旭川にいた。家に電話を掛けたところ、オヤジから「大山が死んだ」と聞かされ、呆然としたのであった。
それから30年、大山十五世名人は、現在もあっちこっちのネットで話題になっている。肉体はほろびても、大山将棋は現在も生きているのだ。
さて恒例の「大山の名局」第11弾は、1974年1月7日・8日に指された、第12期十段戦第7局(主催:読売新聞社、日本将棋連盟)である。
前年の2月、第22期王将戦で中原誠名人に0-4で敗れ無冠に転落した大山十五世名人。当時はテレビで特集番組が放送されるなど、大変な衝撃だった。
しかし大山「九段」はすぐに立ち直ってきた。この年の秋、第12期十段戦で挑戦者になり、中原十段(名人、王将、王位)に挑戦したのである。
七番勝負はシーソーゲームとなり、翌年1月7日、最終決戦を迎えた。
将棋は大山九段の先手になり、三間飛車に振った。中原十段は舟囲いから急戦を狙う。
△8六歩を大山九段は▲同角と取り、数手後、▲9六香と上がった。端の香上がりはいまや常識だが、4段目まで上がったのは珍しい。
そこから華麗な攻め合いとなり、大山九段がわずかにリードを保ち、中盤戦から終盤戦に突入した。
第1図以下の指し手。△3五香▲2六桂△3三桂▲1七桂△3一角▲3四桂△4一金▲7七銀△7二銀▲同竜△8七角成▲同歩△7八飛(第2図)
△3五香は先手玉にプレッシャーを掛けた手。対して大山九段の▲2六桂があまりよくなかったようだ。
なぜなら後手に銀が入ると、△2八銀で一発だから。そしてその銀は8六に落ちている。そこで後手は△8五歩▲9五銀△9七香成▲8五飛△7七角成として、この銀を狙いに行くのがよかった。
しかるに中原十段は△3三桂。むろん△2五桂を狙ったものだが、これには▲1七桂の対抗がピッタリである。
▲3四桂の両取りを防いで中原十段は△3一角と引いたが、大山九段はそれでも桂を跳ね、▲7七銀と飛車筋を開いて指し易くなった。
中原十段は△8七角成だが、先手は半分遊んでいた飛車が急所の角と交換になり、十分である。
第2図以下の指し手。▲6三銀△6二歩▲5二銀不成△同金▲6一竜△5一銀(第3図)
第2図で後手は△4八桂成の切り札があるが、▲3六歩で耐えている。よって、▲6三銀と攻め合った。ここ、▲8五角もよさそうだが、△6二歩と受けられてパッとしない。
本譜も似た展開になったが、金銀交換後の▲6一竜が厳しい。後手は△5一銀と受けざるを得ず、先手がいよいよよくなった。
とはいえ、ここらあたりで決め手がほしいところである。
第3図以下の指し手。▲6六銀△1三角▲5七銀 以下、113手まで大山九段の勝ち。
第3図では▲8五角の攻め合いもあるが、優勢なほうが斬り合いに持ち込まなくてもよい。
じっと▲6六銀が大山九段らしい手で、こう躱しておけば後手は指し切り、の読みである。
△1三角には▲5七銀と引き、8六の僻地にいた銀が、立派に守り駒になった。遊び駒を巧妙に働かせる。これぞ大山将棋の真骨頂である。
以下113手まで、大山九段の勝利となった。ときに大山新十段50歳。この後大山十段は「50歳の新人」を宣言し、中原名人との激闘を繰り広げていくのである。
当時私は北海道を旅行中で、当日は旭川にいた。家に電話を掛けたところ、オヤジから「大山が死んだ」と聞かされ、呆然としたのであった。
それから30年、大山十五世名人は、現在もあっちこっちのネットで話題になっている。肉体はほろびても、大山将棋は現在も生きているのだ。
さて恒例の「大山の名局」第11弾は、1974年1月7日・8日に指された、第12期十段戦第7局(主催:読売新聞社、日本将棋連盟)である。
前年の2月、第22期王将戦で中原誠名人に0-4で敗れ無冠に転落した大山十五世名人。当時はテレビで特集番組が放送されるなど、大変な衝撃だった。
しかし大山「九段」はすぐに立ち直ってきた。この年の秋、第12期十段戦で挑戦者になり、中原十段(名人、王将、王位)に挑戦したのである。
七番勝負はシーソーゲームとなり、翌年1月7日、最終決戦を迎えた。
将棋は大山九段の先手になり、三間飛車に振った。中原十段は舟囲いから急戦を狙う。
△8六歩を大山九段は▲同角と取り、数手後、▲9六香と上がった。端の香上がりはいまや常識だが、4段目まで上がったのは珍しい。
そこから華麗な攻め合いとなり、大山九段がわずかにリードを保ち、中盤戦から終盤戦に突入した。
第1図以下の指し手。△3五香▲2六桂△3三桂▲1七桂△3一角▲3四桂△4一金▲7七銀△7二銀▲同竜△8七角成▲同歩△7八飛(第2図)
△3五香は先手玉にプレッシャーを掛けた手。対して大山九段の▲2六桂があまりよくなかったようだ。
なぜなら後手に銀が入ると、△2八銀で一発だから。そしてその銀は8六に落ちている。そこで後手は△8五歩▲9五銀△9七香成▲8五飛△7七角成として、この銀を狙いに行くのがよかった。
しかるに中原十段は△3三桂。むろん△2五桂を狙ったものだが、これには▲1七桂の対抗がピッタリである。
▲3四桂の両取りを防いで中原十段は△3一角と引いたが、大山九段はそれでも桂を跳ね、▲7七銀と飛車筋を開いて指し易くなった。
中原十段は△8七角成だが、先手は半分遊んでいた飛車が急所の角と交換になり、十分である。
第2図以下の指し手。▲6三銀△6二歩▲5二銀不成△同金▲6一竜△5一銀(第3図)
第2図で後手は△4八桂成の切り札があるが、▲3六歩で耐えている。よって、▲6三銀と攻め合った。ここ、▲8五角もよさそうだが、△6二歩と受けられてパッとしない。
本譜も似た展開になったが、金銀交換後の▲6一竜が厳しい。後手は△5一銀と受けざるを得ず、先手がいよいよよくなった。
とはいえ、ここらあたりで決め手がほしいところである。
第3図以下の指し手。▲6六銀△1三角▲5七銀 以下、113手まで大山九段の勝ち。
第3図では▲8五角の攻め合いもあるが、優勢なほうが斬り合いに持ち込まなくてもよい。
じっと▲6六銀が大山九段らしい手で、こう躱しておけば後手は指し切り、の読みである。
△1三角には▲5七銀と引き、8六の僻地にいた銀が、立派に守り駒になった。遊び駒を巧妙に働かせる。これぞ大山将棋の真骨頂である。
以下113手まで、大山九段の勝利となった。ときに大山新十段50歳。この後大山十段は「50歳の新人」を宣言し、中原名人との激闘を繰り広げていくのである。