「2月27日」で思い出すのは、1984年2月27日に行われた第33回NHK杯トーナメント決勝・▲大山康晴十五世名人VS△加藤一二三前名人戦である(放映日は3月18日)。
大山十五世名人は当時60歳。といってもバリバリのA級で、今回も2回戦から勝ち進み、準決勝では珍しくスーツ姿で対局し、大内延介八段を205手で降した。
いっぽう加藤前名人も、前年、谷川浩司八段に名人位を取られたが、このNHK杯はよく勝ち、準決勝では米長邦雄棋聖・棋王・王将を降し決勝に進出した。
この対局時、大山十五世名人はお腹の調子が悪かったが、対局日の昼にビフテキを食べたら完食できた。それで気分をよくし対局に臨んだという。ただ、大山十五世名人はこの年、下行結腸ガンで入院している。このときもガンの症状があったかもしれない。
将棋は先手大山十五世名人の四間飛車に、加藤前名人の急戦。大山十五世名人は▲3九玉型から▲4七銀と上がり、美濃囲いを崩した。
加藤前名人は△6五歩から仕掛けたが、大山十五世名人は焦土戦術に切り替え、▲3七角~▲4九飛とする。
以下、大山十五世名人は4筋から攻めるが、加藤前名人も急所に馬を作り、形勢は互角だ。
そして△4九馬に▲4八金打(第1図)としたのが、大山流の守り。解説の中原誠十段・王座も驚いた。
さらに局面は進み、△4六金の角取りに、▲4九金打(第2図)が大山流金打ちの第2弾。もはや中原二冠も唸るのみだ。百戦錬磨の大山十五世名人のこと、対局相手はもちろん、中原二冠にもおのが実力を見せつける気分ではなかったか。
将棋はその後も大山十五世名人がうまく指し、101手までで勝利。通算124回目の優勝となった。表彰式では、「一二三さんを越えましたね」と会心の笑みを浮かべたのだった。
まだまだ優勝回数を積み上げると思ったが、その後大山十五世名人は名人戦や棋王戦に登場したものの、タイトル奪取はならず。一般棋戦での優勝もなく、結果的に本局が、最後の優勝となった。
大山十五世名人は当時60歳。といってもバリバリのA級で、今回も2回戦から勝ち進み、準決勝では珍しくスーツ姿で対局し、大内延介八段を205手で降した。
いっぽう加藤前名人も、前年、谷川浩司八段に名人位を取られたが、このNHK杯はよく勝ち、準決勝では米長邦雄棋聖・棋王・王将を降し決勝に進出した。
この対局時、大山十五世名人はお腹の調子が悪かったが、対局日の昼にビフテキを食べたら完食できた。それで気分をよくし対局に臨んだという。ただ、大山十五世名人はこの年、下行結腸ガンで入院している。このときもガンの症状があったかもしれない。
将棋は先手大山十五世名人の四間飛車に、加藤前名人の急戦。大山十五世名人は▲3九玉型から▲4七銀と上がり、美濃囲いを崩した。
加藤前名人は△6五歩から仕掛けたが、大山十五世名人は焦土戦術に切り替え、▲3七角~▲4九飛とする。
以下、大山十五世名人は4筋から攻めるが、加藤前名人も急所に馬を作り、形勢は互角だ。
そして△4九馬に▲4八金打(第1図)としたのが、大山流の守り。解説の中原誠十段・王座も驚いた。
さらに局面は進み、△4六金の角取りに、▲4九金打(第2図)が大山流金打ちの第2弾。もはや中原二冠も唸るのみだ。百戦錬磨の大山十五世名人のこと、対局相手はもちろん、中原二冠にもおのが実力を見せつける気分ではなかったか。
将棋はその後も大山十五世名人がうまく指し、101手までで勝利。通算124回目の優勝となった。表彰式では、「一二三さんを越えましたね」と会心の笑みを浮かべたのだった。
まだまだ優勝回数を積み上げると思ったが、その後大山十五世名人は名人戦や棋王戦に登場したものの、タイトル奪取はならず。一般棋戦での優勝もなく、結果的に本局が、最後の優勝となった。