一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

ノーマル四間飛車復権の予感

2017-09-25 20:19:47 | 将棋雑考
ここ数年のプロ棋界は相居飛車が全盛だが、振り飛車党の久保利明九段や菅井竜也七段がタイトル(王将、王位)を獲るなどして、ポツポツ振り飛車の将棋も増えてきた。
しかしその内容はといえば、振り飛車側が早々に角を換えて向かい飛車に振り直す、てな感じで、大山康晴十五世名人のころの角道止め振り飛車とは性格を異にしている。
いわゆる角交換振り飛車の元祖は藤井猛九段で、九段は飛車を振った時にいつも角が負担になるので、自ら角を換える手を考えたという。するとたちまちそれに倣う棋士が増え、いまは角交換振り飛車がノーマル振り飛車を駆逐してしまった。振り飛車党はみな藤井九段と同じ悩みを抱えていたのだと、私は合点したのである。
しかし頭が固い私は、振り飛車側が角道を止め、居飛車側が角交換(角頭)を狙い、ごちゃごちゃした戦いが起こる、という展開によろこびを感じる。私はノーマル振り飛車の勝局を見たいのだが、かようなわけで、それは叶わぬ夢に思われた。
ところが…。

先日、たしかネット掲示板だったと思うが、王位戦予選で井出隼平四段が渡辺明竜王を破ったという書き込みを読んだ。その時ネット民が戦型について言及していたかどうか定かでないが、四段が竜王を破るとはニュースである。
私は最近、某記譜データベースを利用していて、ヒマがあれば(というかヒマだらけなのだが)記譜を再生している。
早速渡辺―井出戦が挙げられたので、私は再生してみた。
先手が渡辺竜王で、▲7六歩△3四歩▲2六歩に△4四歩と止めたのだ。さらに▲4八銀に△4二飛。井出四段は角道止めのノーマル四間飛車で勝ったのだ!!
井出四段は藤井システム。渡辺竜王は15手目に▲7七角と上がって、早くもイビアナのニオイである。
数手後、渡辺竜王は▲9八香。井出四段は早めに右桂を跳ねたもののちょっかいを出すでもなく、渡辺竜王は労せずして穴に潜った。何てったって、「熊れば勝ち」である。この時渡辺竜王は、「この将棋もらった」と思った(と思う)。
しかし井出四段も、まあ勝ったからそう見えるのだが、ゆったりと端歩を伸ばして、悠然たるものだ。
渡辺竜王は3筋に飛車を回り、1歩を手にする。井出四段は△4二角とし、飛車交換を迫る。渡辺竜王に拒絶する理由はなく、▲3二飛成。
△3二同銀に49手目▲6五歩が渡辺竜王期待の一手で、ふつうなら居飛車持ちである。
が、井出四段は△6五同歩!

これには驚いた。たぶん、今年最も驚いた手だ。△1二香型ならいざ知らず、香を取りながらの▲1一角成を甘受する手だったからだ。
しかし…ここで△6五同歩と取りますかね。
とはいえ実戦も▲1一角成と進み、アマ同士なら居飛車が勝つ棋勢だ。
数手後の▲1二飛に△3一歩。そして▲3三歩。後手は受けようがないから、先手が防波堤を崩してくる前に攻め倒さなければならない。しかし先手は鉄壁の穴熊である。どうするのだろうと思った。
井出四段は9筋に味をつけて、△6六香と金取りに打つ。先の△6五同歩を最大限に活かした形で、後手の駒も目一杯働いている。
渡辺竜王▲3二歩成に、井出四段は△9七角成! 行きがかりとはいえ、一時的に角香交換だから、これもすごい手だ。
▲9七同桂△6七香成でほぼ角損となったが、先手は1~3筋の飛車、馬、と金が渋滞しているようで、見た目ほど形勢は離れていないように見える。
渡辺竜王は▲4六角と竜取りに打ち、▲1九角と竜を取った。しかし井出四段は△8九金打としがみつき、▲9八玉に△7八金引。この局面、駒割は飛角銀と金金の交換だから、後手が相当ひどい。しかし気分的には、後手に楽しみがありそうである。ふつう、駒損の攻めは穴熊側の専売特許で、時に「穴熊の暴力」と形容されるほどである。しかし本局は、ここでも立場が逆になっている。
井出四段は金金成香に、持ち駒の香でギリギリ4枚の攻め。これが存外振りほどきにくく、渡辺竜王は1一の馬も動員して受けに徹したが、82手目△8八銀まで受けなし。渡辺竜王の投了となった。
ふぅ~。
あまりにも見事な穴熊崩しに、私は声が出ない。
井出四段は先日の王座戦五番勝負第1局でAbemaTVに解説者として出演したが、もうひとりの解説者の中田功七段があまりにも早見えなので、井出四段の影は薄かった。しかし時の竜王を破るとは大殊勲で、実力のあるところを世間に知らしめた。
ともあれ、振り飛車がイビアナ相手にこんな指し回しができれば、十分である。
これから角道止めのノーマル振り飛車が復活しそうな予感がするのだが、気が早いだろうか。
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第29回将棋ペンクラブ大賞贈呈式(後編)

2017-09-24 20:38:15 | 将棋ペンクラブ
「家内が将棋ファンになるキッカケが『3月のライオン』でした」
上野裕和五段は続ける。「それを読んで将棋に興味を持った妻は、このチョイスがまたスゴイんですが、清水(市代)女流六段対あからの将棋を見に行きました。
そのあと、ねこまどの将棋Caféに行ったんですが、そこでペア将棋がありまして、妻の相手がいなかったんですね。それで私が隣に座って、その後結婚に至ったわけです」
会員から拍手が起こる。こんな出会いがあるのだ。チョンガーの私としては羨ましい経緯だが、私も勇気づけられる。まだ結婚の望みは捨ててはいけないと思った。
窪田義行七段の挨拶。またクリアファイルか何かを用意して、いかにも窪田七段らしいのだが、コメントはよく聞き取れなかった。
続いて田中誠氏の挨拶。氏は元奨励会員で、現在、囲碁将棋チャンネルがらみの仕事をしているらしい。
「このたびは藤井聡太四段フィーバーで、私は100本以上、取材を受けさせていただきました。お陰さまで、儲けさせていただきました」
例の藤井フィーバーで、メディアに将棋界の話題が毎日取り上げられ、棋士も多数出演した。各将棋教室に生徒も増え、将棋駒や棋書も売れた。「将棋世界」も増刷した。まさに将棋界にわいたバブル現象で、将棋関係者はだいぶ潤ったことだろう。
氏の御尊父は田中寅彦九段だが、風貌と話し方がそっくりだった。
正面奥の右、渡部愛女流初段の指導対局会場に行くと、3面指しを行っていた。そのうちのひとりは木村晋介会長である。
渡部女流初段の背後は前面ガラス張りで、大都会の夜景がきらびやかだ。渡部女流初段とよくマッチしていて、絵になる。手持ちがスマホだったから撮らなかったが、デジカメを持っていたら、数枚撮っただろう。
その隣ではバトルロイヤル風間氏が似顔絵を描いていた。
その手前では、アマ強豪の美馬和夫氏と後藤元気氏が対峙していた。こちらも重量級のカードでおもしろい。その横にはTag氏の姿。来ているべき人が来ているのである。
中央ルームに戻り、続けて軽食を摂っていると、幹事の長田衛氏が「会員代表として挨拶してよ」と言う。冗談だとは思うが、固辞しておく。私は人前に出るのが嫌いである。
見覚えのある人が挨拶に来てくれた。長野県在住の、ひげめがね氏だ。今日も北陸新幹線で日帰りとのことで、彼のような人こそ、将棋ペンクラブにとって、ありがたい存在だ。
また、氏は当ブログをよく読んでくれて、個人的にもありがたい。こんなブログに一片の価値もなく、記事を書いているヒマがあるんだったら少しでも機械仕事を覚えていれば、我が会社もあるいは存続していたかもしれないわけで、いまやこのブログの存在自体が呪わしいのだが、ひげめがね氏のような読者がいると思えば、多少の後ろめたさも軽減されるのである。
氏は今日、有給を取ってきたが、明日は仕事だそう。休日出勤とはいえ、仕事があるのはいいことである。
私も受賞者に挨拶に行きたいが、知己ではないので、気後れしてしまう。石川陽生七段には挨拶したいのだが、肝心の「三間飛車名局集」を読んでないのでは、その資格がない。
ところで今年は、受賞者以外の棋士の姿が少ないが、毎年こんなものだったろうか。
幹事の鷲北氏が、「大沢さん、求職中なら、ウチで働く? 給料は出せないけど」。ありがたい話だが、よく考えたらあまりありがたくないので、丁重にお断りする。
長田氏がTod氏に、今回の贈呈式のレポートを依頼した。これは会員の持ち回りみたいなもので、一回は執筆を経験しなければならない。
しかしTod氏は非会員ということもあり、固辞した。ちなみに私はすでに当レポートを2回書いているので、卒業扱いである。今回の執筆者が誰になるか分からないが、幹事は不思議と、文才のある人を選ぶ。今回のレポートも期待大だ。
料理はなくなると補充が入る。アツアツのパスタは美味かった。
お楽しみ抽選会の時間になる。賞品は色紙や棋書など。5つ一組で呼ばれたが、私はなかなか読まれない。「27」があったが、私は「26」だ。
かなり後の方になって、ようやく呼ばれた。女性幹事さんが「なかなかうれない…」とつぶやいたのが「香菜子 北京・夏の記憶 坂東香菜子写真集」で、私はこれをいただいた。
ここの会員もなかなかコアな人が多いので、「写真集<棋書」なのだろう。
Tod氏は会員にならず、最新号のみ買いたいらしい。エレヴェーター近くの受付に行くと、三上氏と星野氏が将棋を指していた。誰が来るわけでもないのに、こうして受付を守っている。彼らのような存在が私は好きだ。
Tod氏もめでたく購入し、私の自戦記を読む。当ブログが無料で見られるテレビとするなら、将棋ペン倶楽部の投稿作は有料なので、映画となろうか。その分私も、気合を入れて書いているのである。
宴もたけなわだが、時刻は午後8時30分近くになり、お開きである。
最後は後藤元気氏と湯川博士幹事の音頭で、三本締め。将棋ペンクラブはこれが好きなのである。
私は二次会に行く気分でなく、そのまま直帰。来年の今頃、私がどんな状況下にあるか皆目分からないが、明るい気分で参加できればうれしい。
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第29回将棋ペンクラブ大賞贈呈式(中編)

2017-09-23 15:13:26 | 将棋ペンクラブ
いつも思うのだが、将棋ペンクラブ大賞を獲るような文才のある人は、スピーチも長けている。思わずニヤリとさせられることも多い。
後藤元気氏。「今回は文章ではなく編集での受賞だったので複雑な気持ちですが、その労力は書く時の何倍もかかりました。お疲れ様、という意味の受賞かと思います」
神谷広志氏(八段)。「私は昨年のこの席で、プロ棋士の受賞が多すぎる、と言ったんですが、私が受賞してしまいました。どのツラさげて来たんですか、と言われそうですが、このツラです。
しょーがないす!!
私は表彰式とはあまり縁がないので、これが最後の表彰になるでしょう。いい冥途の土産になりました」
神谷八段らしいスピーチだった。
石川陽生氏(七段)。「今回の本に関しては、昨年のこの場で鈴木(大介)九段が、とてもホメてくれていたと聞きました。鈴木さんには感謝しています。
今回は、とにかく書きました。書かなきゃ終わらなかった。先輩が残してくれた記譜が素晴らしかった。
また何か書きたいです」
石川七段は風貌と話し方がマッチしていて、とても好感が持てた。こういう棋士の著書には間違いがない。
白泉社・編集者氏。「羽海野先生は今日、アニメのオフレコの立ち合いがありまして、欠席させていただきました。
『3月のライオン』は2007年から連載を開始しています。2011年にマンガ大賞を獲り、講談社漫画賞も獲り、2014年には手塚治虫文化賞マンガ大賞を獲り、けっこう賞を総ナメにしてきました。でも将棋ペンクラブからはお呼びがこないねと、羽海野先生と話しておりました。
そのうち『ハチワンダイバー』がペンクラブ大賞を獲り、昨年は『りゅうおうのおしごと!』までもが賞を獲り、私たちは落胆しました。
これは将棋の場面が薄いのかと、29日発売の13巻では、将棋の場面ばかりです。今回はありがとうございました」
羽海野チカ氏のよろこびようは大変なものだったというが、昨年の白鳥士郎氏を見るまでもなく、ペンクラブ大賞受賞の誉れは、ほかの賞とは一味違うのかもしれない。
ここで記念撮影。室内の照明が弱いので、受賞者がちょっと見えづらい。
続いて、白鳥士郎氏の祝電が読まれた。
続いて、最終選考委員の西上心太氏(文芸評論家)による乾杯である。ボーイ氏が白ワインだかシャンパンだかを配って回る。生ビールでないとは珍しい。
「昨年神谷さん(八段)から、開演から乾杯まで30分以内で済ませるようにと言われたんですが、どうだったでしょうか」
時計を見ると7時01分で、まずまずというところか。
西上氏は所感をさらっと述べて、
「乾杯!」

私にはアルコールの種類が分からなかったが、美味かった。
なお今回は、もうひとりの最終選考委員・所司和晴七段の姿がなかった。所用であろう。
しばし歓談タイムである。Tod氏となんとなくニヤニヤしていると、渡部愛女流初段が挨拶にきてくれた。今宵も一段と美しい。本来ならこちらから出向かねばいけないのに、恐縮である。
「渡部先生、昨日はLPSA麹町サロンに1席空きがあったから行こうと思ったんですけど、午後に見たら塞がってしまいました」
「あー、そうだったんですか?」
まあ実際は空きがあっても窺うのは難しかったのだが、ここで貸しを作ったように錯覚させるのがテクニックである。
「ボクはプレゼントを渡しましたよ」
とTod氏。
聞けばTod氏は14日のLPSA麹町サロンin DIS・渡部女流初段の回に参戦し、渡部女流初段が前日の対局で石高澄恵女流二段に勝利したことから、ご褒美にプレゼントを贈ったという。
公式戦の勝利がプレセントの理由になるのか、という議論はあるが、Tod氏のように、プレゼントを渡したければ渡せばいいのだ。こういう機転が私には利かない。
「何言ってるんですか大沢さん、大沢さんだって社団戦で愛ちゃんに豪勢なプレゼントを渡してるじゃないですか」
「……」
それにしてもTod氏は自由人なのに、カネの遣い方がのびやかだ。困窮感や悲壮感がないのがスゴイ。
LPSAは17日と18日もイベントがあり、18日は渡部女流初段もペア将棋に出場する。筋金入りの愛ファンなら、けっこう頻繁に会える勘定である。
渡部女流初段ともっといちゃついていたかったが、幹事氏がきて、渡部女流初段を指導対局の席に連れていってしまった。
上野裕和五段がいらしたので、挨拶をさせていただく。
「先生、今回の会報では、自戦記を書かせていただきました」
私は5月の関東交流会で上野五段に教わった将棋を投稿し、めでたく秋号に掲載されたのである。この将棋は勝っても負けても投稿するつもりだったが、幸い勝つことができた。無職ゆえ執筆に時間を掛けられただけあり、こちらもまあまあうまくまとめられたと思う。
「あの将棋は序盤から失敗しちゃいまして」
「いえいえいえいえ、先生、また大野教室にも指導に来てくださいよオ」
「はあそれは構いませんが、今は日曜日が毎週塞がっていまして…」
聞けば上野五段は、瀬川晶司五段とテレコで日曜教室をやっているのだが、このところ瀬川五段が映画制作の監修で忙しく、上野五段が日曜日をひとりで担当しているのだという。
ともあれ上野五段との次の対局を楽しみにしたい。
食事を摂りに行く。こういうところの料理はみな同じ味に思えるのだが、ここのそれはなかなかうまい。
来場の棋士のスピーチとなった。
司会進行・長田衛氏の指名で、まずは上野五段が呼ばれる。
「私は今回、羽海野先生のお祝いにきました。先生のマンガを読むと、なぜこんなに棋士の気持ちが分かるのだろう、と不思議に思います。
実は、私の結婚に羽海野先生が大きく関わっています」
けっこうな重大発言が飛び出したので、私たちは注目した。
(つづく)
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第29回将棋ペンクラブ大賞贈呈式(前編)

2017-09-22 00:44:02 | 将棋ペンクラブ
15日(金)は、東京都千代田区竹橋で「第29回将棋ペンクラブ大賞贈呈式」があった。
「第29回」とあるように将棋ペンクラブの歴史は古く、1987年11月、故・河口俊彦八段と観戦記者の東公平さんが発起人となり、観戦記の地位向上を目的として、同会が発足した。
以来29年、同会は着実に発展し、いまでは観戦記者の観戦記執筆、棋士の棋書執筆におけるモチベーションのひとつになっている。
ちなみに私が同会に入会したのは1993年。会報への初投稿&初掲載は2002年で、以後、何度か拙稿を載せてもらっている。

今年の贈呈式も私は参加予定だったが、家を出るのに手間取り、東京メトロ竹橋駅に着いたのは午後6時20分ごろだった。
会場は、竹橋直結・パレスサイドビル9階の「レストランアラスカ」。マイナビ女子オープンの女王就位式などで何度か利用された施設だが、私がお邪魔したのは初めてと思う。
受付で8,000円を払う。いただいたプログラムのナンバリングは「26」で、これがのちの抽選会の数字となる。
会場に入ると、開演寸前なのに、あまり人がいなかった。会場はタテに長く、その先の左右にはスペースがありそうで、床面積は広いのに、やや狭く感じた。
Tod氏がきた。お互いカネがないのに、熱心なことである。今の私の心の拠り所、それはTod氏かもしれない。Tod氏が自由人なのが救いなのだ。私は毎日がホントにきつい。
やがて左右から関係者が現れ、定刻に開演となった。
まず表彰式。木村晋介・将棋ペンクラブ会長(弁護士・作家)が大賞受賞者に賞状を授与し、講評を述べる。以下は木村会長のコメントである(うろ覚えなので、意訳あり)。
観戦記部門大賞・内田晶氏へ。「観戦記には、あれを入れてほしい、これを入れてほしいと要望があるんですが、本観戦記はそれをすべてうまく入れて、これが観戦記の王道だなと思いました。景色の描写も入れて、ビジュアル感もありました」
同優秀賞・先崎学氏(九段)は体調不良のため欠席。代わりに日本経済新聞の神谷浩司氏が出席した。
「先崎さんの文章には読者へのサービスがあるが、今回は将棋の手のことはあまり書かれていない。将棋界への熱い思いが描かれています」
文芸部門大賞・後藤元気氏へ。「この本は観戦記の品揃えが素晴らしい。あとがきが書いてある。それらを読むと、時代的背景が浮かび上がってくる。立体的な構成になっています。観戦記を先に読むか、あとがきを先に読むか、どちらでもいいんですが、私はあとがきから先に読むことをオススメします」
技術部門大賞・神谷広志氏(八段)へ。「これは本のタイトル(禁断のオッサン流振り飛車破り)からいいですねえ。技術部門の本でありながら、楽しめる。笑える。記譜の合間のエッセイがおもしろいんです。神谷さんには来年、文芸大賞のほうにも頑張っていただきましょう」
同優秀賞・石川陽生氏(七段)へ。「サンカン(三間)飛車のエポックメイキングな100局を取り上げた。記譜ごとの解説が観戦記であるかのような作りになっていて、読みやすい構成になっています」
特別賞「3月のライオン」の作者・羽海野(うみの)チカさんは、所用で欠席。白泉社の編集者氏が代理出席した。
「知人の小学生の息子に将棋を教えたことがあるんです。そしたらその息子さんからお礼を貰いましてね、それが『3月のライオン』だったんです。最初はマンガだからと高をくくっていたんですが、読みだしたら止まらないんですね。ファン層を拡げるという意味で、この作品の存在は大きかったと思います」
以上、木村会長の簡潔なスピーチだった。

上に述べたように、室内はタテ長なので、参加者は何となく壁際に集中し、マイクの前、つまり中央部分に人があまりいない。しかも照明も暗いので、例年に比べてパッとしない感じだ。
私の左方向には渡部愛女流初段がいるが、彼女は今回の指導棋士である。後で挨拶できればうれしい。
続いて、受賞者のスピーチである(うろ覚えなので、意訳あり)。
内田晶氏「このたびは観戦記の王道と言われ光栄です。最近は『観る将』が増えて、観戦記にも触れられる機会が多くなってきました。
本局は打ち上げの段階で、渡辺棋王に『名局賞の自信がある』と言われました。
それでこの観戦記を書いている途中に、本局が名局賞になったという報がありまして、両対局者のコメントがねじ込めたのがよかったと思います」
日本経済新聞・神谷浩司氏「この将棋は相手が三浦九段で、復帰後の初勝利はいつかという話題がありました。局後先崎さんご自身から連絡があり、自戦記を書かせてくれないか、ということでした。
それで、翌日にはすべての譜の原稿をいただきました」
先崎九段は、一夜でこの自戦記を書き上げたのだ。
実はこれ、当初は野月浩貴八段が観戦記を書く予定だったのを、先崎九段が頼み込んで譲ってもらった、という裏話がある。「このたび先崎さんから連絡があり、この将棋は双方死力を尽くした戦いであり、自戦記でここまで手の内を明かしたことはない、とのことでした。
今改めて読み直して、身を切る思いで書いたのか、と思いました」
私は今回、先崎九段の出席もあるかと期待していた。が、無理だった。しかし神谷氏のスピーチはそれを補って余りあるもので、私はそこに男の友情を見たのだった。
(つづく)
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河口俊彦八段は、元宮崎県知事の東国原英夫に似ている

2017-09-21 00:12:17 | 似ている
15日(金)は、千代田区竹橋で「第29回将棋ペンクラブ大賞贈呈式」があった。
「第29回」とあるように将棋ペンクラブの歴史は古く、1987年11月、故・河口俊彦八段と観戦記者の東公平さんが発起人となり、観戦記の地位向上を目的として、同会が発足した。

その河口八段は、元宮崎県知事の東国原英夫に似ていると思う。
東国原英夫は1957年9月16日、宮崎県生まれの60歳。ついこの間、還暦を迎えたばかりだ。
1980年、漫才コンビを結成。フジテレビ系の「笑ってる場合ですよ!」に出演したあと、大森うたえもんと新たに「ツーツーレロレロ」を結成。日本テレビ系の「お笑いスター誕生!」に出演し、人気を博した。
当時の放送を私も見ているが、弁舌滑らかでキレのあるコントだったと思う。
ちなみに「ツーツーレロレロ」の「ツーツー」は、ツービートのツーらしい。
1983年、東国原英夫は「たけし軍団」に入団し、コンビは解消。芸名を「そのまんま東」とし、新たなスタートを切った。
1987年には作家として「ビートたけし殺人事件」を上梓。ベストセラーとなり、TBSでテレビ化もされた。
ちなみにこれはパート1、パート2とあったようで、前者は30分番組×4回。後者は2時間ドラマで、私は2時間ドラマを観た記憶があるから、たぶんパート2を観たんだと思う。
その後、政治活動に軸足を移し、2007年、宮崎県の県知事に就任。高い支持率を維持したまま、2011年の任期満了をもって退任した。
2012年の衆議院議員選に当選し活動したが、翌年議員辞職した。現在はテレビのコメンテーターなどで活躍している。

河口八段と東国原英夫は、ズバリ顔が似ていると思う。
東国原英夫はハゲているから一瞬戸惑うが、仮に東国原英夫にカツラをかぶせてみれば、河口八段に驚くほど似てくるのが分かる。
私はむかし「将棋マガジン」に、「河口五段と国生さゆりは似ていると思います」と書いて、編集部から驚かれたが、まあそれはいいとして、今回のふたりはよく似ていると思う。

   ◇

19日は、その将棋ペンクラブ大賞に出席した、神谷広志八段、石川陽生七段、上野裕和五段の対局があった。
神谷八段と石川七段は勝ったが、上野五段は上田初美女流三段に屈した。
上野五段は地味に人気がある棋士なのだが、ちょっと成績が芳しくない。そこがまあ、人気の理由でもあるのだが。
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