神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

戦国 身内の争乱物語

2021年10月07日 12時04分44秒 | 戦国時代
黒澤明監督の「影武者」を見て思った
このドラマでは主線は影武者の生き様とハプニング、そして心の変化だ
そして伏線は戦国最強と言われた武田信玄が死んでのち10年足らずでなぜ武田が滅んだのかが伏線として描かれている
それは信玄が滅ぼした諏訪氏の娘に産ませた子が諏訪四郎勝頼で、本当なら信玄の後継者になる立場だった
信玄は若いとき、今川の娘を娶った長男と今川攻めで対立して自害させていた、次男三男は後継者となり得ず、4男勝頼は自分が後継者と思って居た
しかし信玄はいまわの際で家督は孫に譲り、孫の父である勝頼には後見するようにと命じて死んだ
勝頼はそれを聞いて信玄の股肱の重臣たちが自分を下に見ていると思い、実力を見せてやると憤り、家康方の高天神城を攻め落とした
これは信玄さえ落とせなかった城だったから勝頼は得意満面だった
自信を持った勝頼は重臣たちが止めるのも聞かず家康領への攻撃を繰り返し、ついに運命の長篠の役へと突入して大敗、古老の重臣たち山県、馬場、真田など名だたる武将は全員討ち死にした 
映画では「われらの命もここまでじゃ、あの世へ行ってまた御館さま(信玄)のもとに集まろう」と言って決死の突撃をするのだった
(われらが倒した敵の、娘の子である若造などに従えるものか。われらの大将は信玄公以外あるものか)という誇り高き武田武士の憤りが聞こえる場面だ

真田家の長男、次男もここで討ち死にして他家に養子に行っていた真田昌幸が真田家を継ぎ、勝頼を支える武将となった
信玄の誤算は長男を殺してしまったことと勝頼に負い目を負わせたことだった
信玄は若いとき乱暴者だった父信虎を図って今川家に追放した、そして長男を殺した、戦国の常と言えこれは失敗例だ

信玄のライバル上杉謙信はまだ20歳前に実兄と争って家督を奪ったという説もある、海音寺潮五郎の小説「天と地」には米山峠の戦が描かれる
一方、兄は病弱で謙信(景虎)が代行したという説もある

熟年となった信玄の敵の一人、徳川家康は信長に命じられて謀反の容疑で泣く泣く妻と長男を殺害した、妻は敵との密通容疑があったというのが小説の通説
その家康が天下を取ったあとで孫同士の対立があって三代将軍家光は春日局の後押しで両親(2代将軍秀忠)が跡継ぎにしたかった弟を切腹自害させた

信玄のもう一人の敵、織田信長も謀反を企てた実弟を殺害している
二人の母は信長を嫌い、弟信行を可愛がっていたという
奥州の後れてきた英雄伊達政宗も弟を殺した、こちらも母が気性が荒い政宗を嫌い、弟を可愛がっていたという
父は戦に明け暮れ、母は弟を愛し兄を疎んだという例はよくあるようだ

豊臣秀吉は、弟小一郎を死ぬまでもっとも信頼して重用した、妻の一族も優遇した
姉の息子は豊臣秀次と名付け関白にまで取り立てて自分の後継者に指名した、
ここまでは立派だったが息子秀頼が生まれると秀次に難癖をつけて切腹させた、さらに秀次の妻妾、その子供達まで全員の首をはねて殺した

こうしてみると戦国時代は兄弟がもっとも危険な存在ということがわかる
そんな中で薩摩島津氏、中国毛利氏は兄弟の結束固く困難を切り抜け明治まで家を存続させた、維新の立役者薩摩藩と長州藩である、偶然だろうか