昭和11年、父と両親は上野御徒町に住んでいたのだが、この年、御徒町小学校を卒業
先生は高等小学校へ進学することを勧めたが、少年だった父は義父との折り合いが悪くて家を出たがっていた
よく遊びに行った浅草象潟のおばさん(義父の妹)の家、その隣に帝国劇場で働いているお姉さんがいた
彼女の紹介で当時少年だった父は神田三崎町のコロタイプ印刷の工場に就職が決まった
雪の降る2.26日頃、父と義父は神田の工場に挨拶に行くため家を出た
ところが水道橋から三崎町周辺でも兵隊の姿が多くて、異様な雰囲気を感じたそうだ
工場へは行ったのか、そのまま上野へ戻ったのかは聞き忘れた
80年前の記憶は今も父の頭から離れない
9年後、昭和20年義父も実母も浅草の叔母さんも隣のお姉さんもみんな
3月10日の米軍による「東京大空襲」で死んでしまった
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