神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

鳥が恐竜の子孫だってわかる気がする

2017年06月13日 13時17分30秒 | どうでもいいこと

Pネコと穏やかな時間を過ごしていたら、急に騒ぎ出して窓際から外を見てる

外の駐車場を見たら大きなカラスが2匹でネコを襲っていた

ネコは成ネコの三毛猫で、大きさはカラスと同じくらい

尻尾を膨らませてまっすぐに立てて、背を丸めてカラスを威嚇する

しかし1対2、手強い

ネコはさっとキャンピングカーの下に潜り込んだ、カラスが追って潜り込むと

ネコはさっと出てきて、猫パンチ一撃(当たらない)、カラスは2~3歩下がるが

また猫に近づく

平生のやかましさと違う戦闘的な「ぎゃあぎゃあ」という甲高い騒がしい声

カラスの知能は高い、多分この命令のせいだろう1匹が車の反対側にまわる

逃がさない様に挟み撃ちだ

絶えず「ぎゃあぎゃあ」とわめき続けていて絶えない、ネコピンチ

これでカラスがもう1~2羽来たら絶体絶命!

ついにオジサンマンの出動の時間が来た、車に乗ってカラスを追いかけ回す作戦

奴らは虐めた人間の顔も覚えると言うから、マスクで顔を覆ってから出撃だ

外に出て、車に歩き出したらカラスも猫も動き出した、カラスが気をとられる間に

猫は草むらの中に逃げ込んで、脱出成功、カラスは急いでアパートの屋上に上って

猫を探すが猫はすっぽりと森の中に入って見つからない

オジサンマンもカラスを追いかけ回す前に仕事が終わって一安心

 

Pネコは生後1ヶ月くらいでカラスに襲われて何とか逃げ延びて、私との出会いがあったのだが

尻尾を攻撃されて骨折、結局切断手術をしたのだった。

そのPネコとの出会った記念日まであと10日ほどになった、Peeも一歳をやっと超えた

大きくなったと言え、まだ子供だ、カラスに襲われればひとたまりも無い

何しろウサギの如く真っ白なネコなのだから目立つ

Pネコはこの一部始終を(まばたきもせず)じっと見ていた

だがネコを襲うカラスのあの姿は「ロストワールド」のラプトルにそっくり、やっぱり鳥は恐竜の

子孫だと思った。

 

これじゃ勝てないねPちゃん

 

こんなのが相手じゃ

 

 


さわやか快晴の一日 海へ行ってきた

2017年06月12日 12時25分56秒 | ドライブ

今日は朝から冷たく激しい雨降りになったが、昨日は季節は違うが秋晴れの様な

最高の日和だった。

近年、晴れた日でも空の色が希に違う、どう違うかというと「ディズニーブルー」の空

透明感があるのに質量があるというか、明るくて軽くてさわやかなブルー、アニメの色

自然ではできない様な色が、自然の中でできている

去年だかに初めて見た、今回が3回目

そして深いマリンブルーの時は、地球の丸さを感じる

ともあれ海も日差しの割に涼しく、砂浜で仕事の企画を考えたり、まだ少し痛む腰だが

砂浜を2~3km歩いてみたり(たまに歩くと運動不足を実感する)

最初はぎくしゃくの足取りも次第に動く様になり、ちょっと運動した気分になった

 

 

 

 

 

 


U~~~~~今度は腰が!

2017年06月11日 08時26分55秒 | 病気と健康

昨日昼頃から左の腰に違和感あり、指で押したりしていたんだけど

だんだん痛くなってきて、痛い範囲も広がりだした

夜寝る前が最悪で立ったり、座ったりする度に「いたたたたた~~」

同年代や若い者が結構腰痛で通院や手術をしている中、私は腰痛の無い男を自慢していたんだ

だけど今度ばかりは(人並みになったか?)と思った

しかし考えてみたら1年前か2年前にも腰骨が突っ張る様な痛みを感じて、初めて腰のコルセット

サポーターを買って巻いてたことを思い出した(そっか 前にもあったんだ)

それで朝起きたら自宅に戻ってサポーターを巻こうって考えて寝た

寝ていると痛くない、ただ起きるときが痛くて、階段の上り下りも痛くて、トイレは階下だし

今夜は朝まで熟睡頼むよ! って思って寝たのに、こんな日に限って想定外の異常な頻尿

夜中に三度も催して、その度に「いたたたったた!」とうめきながら起きて、階段下りて

階段登って、布団に横になる、地獄の夜だった。

 

原因を考えてみた、*歳のせい *医者の薬のせい *遊びすぎ?  *酒の飲み過ぎ?

*筋肉が弱まって骨がずれた?  *もしかして心臓病の痛み?

 

だけどわかった、これは骨のずれ(ヘルニア)なんかではなくて、「朝かなりハードなスクワットなど

急激に行ったのが原因だろう、それで筋肉痛か筋肉の炎症を起こしたのだろう」と得意の自己診断

それならコルセットはいらない

今朝になって起きたら、少しずつ痛みの範囲が狭まってきた、やはり筋肉痛のようだ

昼過ぎには元に戻るだろう  これにて一件落着  腰痛の無い男はまだ続く

 


父の戦争と浅草

2017年06月11日 07時28分46秒 | 昭和という時代

僅か50年くらいの間に世の中も随分と変わりまして

われわれの田舎から、花のお江戸まで蒸気機関車が「ジャチャポッポ」と黒煙を

吐き、細かな石炭殻で目をしょぼしょぼさせながら12時間かかって行きましたが

今は華麗なる流線型の北陸新幹線で2時間余りで着く様になりました

昔はお江戸と言えば、上野浅草がワンセットで、北信越や東北の終点は上野駅

少し足を伸ばせば華やかな銀座や東京駅があるけれど、上野公園と浅草寺がホッとする東京

集団就職で中学卒業と共に東京の下町に就職した先輩たちも、やっともらった休みには

親方の自転車を借りて浅草まで遊びに出てくる、浅香光代の女剣劇、デンすけ劇場 ロック座

花屋敷、お金もろくにないし、でも何もかもが珍しくあっという間に時間が経つ

夕方5時までに住み込みの親方の家に戻らないと大目玉を食らう

そんな田舎出の人たちが集った上野や浅草だ

それが今や世界中の人種が次々と押し寄せる町に大変身

浅草寺界隈は日本人1人に外国人4人以上の割合だ

それでも気取りの無い、お上りさんの町の風情は東洋の団体客の増加で堅持されている

 

もう50年も前に浅草寺参拝したとき「おさげ姉妹」という歌手も来ていた、たしか新潟出身とかで

親近感が湧いて一緒に写真を撮った。

森繁久弥さんがバックアップしてくれているそうだ、それも半世紀前の話

当時はこまどり姉妹とかザ.ピーナツなんて双子が大ヒットしていたので、そんな流れだったのかも

しれない、似た様な顔が4人ずらっと並んだけど全員本当の姉妹だったのだろうか

そんなヒットも出なかったようだったが、今は70歳半ばくらいだろうか、懐かしい思い出

 

大東亜戦争戦争前には、まだ10代の父は義父と一緒にいるのが嫌で亀戸の家を抜け出ては

浅草象潟の叔母さん(義父の妹)のところにもぐずりこんでばかりいたようだ。

叔母さんたって義理の叔母さんなんだが、妙に気が合って大好きな叔母さんだったらしい

千住にも叔父さんが住んでいたが、義父の弟でやたら調子ばかりが良くてあまり好きになれなかった

叔母さんは義父や実母同様に東京大空襲で死んでしまったが、叔父さんはしぶとく生き残った

義父と叔父さんと叔母さんは関東大震災を日本橋で体験したがそれは無事に生き延びた

だが空襲は避けることができず、叔父さんだけがセーフってわけで、父が安否を気遣って千住を

訪ねたら「オイオイ」泣くばかりで(こりゃあ頼りにならない)と20歳の父は叔父さんを見くびったのだった

それでもこの広い東京で生き残った、たった二人の身内だったから助け合おうと気を許したら

親が残してくれた数百円(昭和20年では大金だった)の半分をまんまと巻き上げられた

それでも良心がとがめたのか「おい坊主!手元にこうして金もあることだから、義姉と兄貴の葬式を

やろうじゃねえか」とちょっと叔父さんになったのだった。

それで今のビューホテルの隣にある、日輪寺という時宗の寺で身内2人だけで葬儀を行った

だけど遺体も見つからず、遺骨が当然あるわけでないから墓もない

けれど義父には「**院******居士」、母には「**院******大姉」の戒名がついた

本来は義父の代々の墓がある浜松で執り行うべきだが、運悪くその寺もアメリカ軍の艦砲射撃で

破壊され住職が爆死したという話しだった。

だが頭がいっぱいいっぱいの父が気づいたなら、茨城の古河に母の生家の墓があったのだった

それに気づかぬばかりに古河の寺では、その家の唯一の息子である父と戦後20年以上も音信不通になり

寺では息子さんも(父の事)も空襲で死んでしまったのだと判断して墓を整理してしまい、父の祖母、祖父

祖祖母、叔父二人の遺骨は無縁仏として寺の共同墓地に移されてしまったのだった。

 

父が東京大空襲の翌日と3日後に、母と義父と叔母さんの安否を訪ねて亀戸から浅草まで歩き回って

いて、叔母さんの家から近い浅草寺にやってきた、浅草寺も五重塔も焼け落ちた、浅草神社だけが焼けなかった

浅草寺境内には黒焦げの遺体が材木置き場の様に山積みになっていたそうだ、そんな中に「ご本尊無事」の

張り紙を見た父はむなしい思いに駆られた、以来無神論者になったのだという。

我が父にとって、昭和20年以降の浅草は好きな場所ではなくなったのかもしれない。

父にとって生涯最大の悲惨な光景、浅草松屋デパートの防空壕内の惨状が目に焼き付いて未だに

離れないのだと言っていた。

 

 

 

 

 

 

 


風邪の症状がいまいち・・・・・

2017年06月10日 14時07分26秒 | 病気と健康

今日も朝はひんやりして半袖じゃ無理かなと思ったけれど、半袖で出勤

そのうちに見事な快晴になって、やっぱり半袖で正解、暑くてカークーラーも回して

自宅の窓も全部開けて風通しを良くして、仕事に戻った

咽の痛みは3日目の今日も治らず、知り合いの内科へ

扁桃腺も腫れてないし、どこも膿んでいないし、心音も快調

鼻水と熱冷ましと咽の痛み止めお出ししますね

うがい薬は前回のが残ってますから結構です

熱が高いとき用と痛み止めは症状が無ければ使わなくて良いですよ

結局3種類飲むことに

昼過ぎから北風が吹いてきて、そのうち雷雨になった

気温も下がってきて過ごしやすいけど激しい雨

まあ一日に何回もめまぐるしく天候が変わる、ようやく雨も小降りになったと思ったら

また海の上で雷鳴がとどろいている

これじゃ風邪もひくわ! 何人も風邪っぽい症状の人がいる

受付の看護婦さんが「風邪ですか?」と聞いたから

「う~~ん 以前どこかのお医者さんに『風邪ひきました』と言ったら『それはオレがきめるんだ』

って叱られたから・・・・・」

「そうですね、きめちゃいけませんね」

夕べも呑みたかったけど我慢我慢、早く絶好調にならなけりゃ

 

あっ今思い出した 観光バスで帝釈天近くの道路をゆっくり走っていたら

テレビカメラの隊列がむこうから歩いてきて

突然バスガイドさんが「きゃ~うそ! タッキーだ タッキーだよ! かっこいい!素敵!」

一人で大騒ぎ、そのうちに一緒の女性客も「ほんとだ! かっこいい!」

私もちらっと見たけど、オレとあんまり変わらない、目も鼻も口も耳も同じ場所に同じ数

同じじゃないかよ。

ガイドさんは数十年前には20代と言うことで、あとで照れてましたけど

 

 


甘い物が次々と届く

2017年06月09日 16時07分47秒 | yottin日記

私の東京みやげ、女房の軽井沢みやげ、そこに今度は先日の葬儀のお客様から

御礼ということで生ケーキをいただき、若い女子社員たちは「健康診断前にめっちゃ

太っちゃいますねえ~~」と嬉しそうに言っている。

そこに今度は、ブライダルの貸衣装店の社長と担当の女性が隣町からお出でになり

また手土産の菓子をいただいた。

それで終わりかと思ったら、山間部の何の役にも立たないようなわが家の小さな空き地を

何らかの置き場に借りていて「今日片付いたので」と田舎集落の区長さんが訪ねて来て

御礼にと酒2升置いて行った

これじゃ女子社員ばかりで無く、おれも検診前に血糖値が上がりそうだね。

もっとも一昨日の夜にはとんでもないものを店の前に置いたのでは無く、落としていった

それは店の前の国道出口に、長さ3mで10cm角の材木が二車線の半分、一車線を

塞いでいた、その時運転代行に乗っていたんだけど「こりゃ危ない、どかそう」って言って

代行の兄ちゃんと歩道の端まで運んだ。

夜中で真っ暗な国道、車も空いているので平気で80~90kmでぶっ飛ばしてくるトラックも

いくらでもいる、たまたま見つけたのが速かったのか事故も起きなかったけど80kmで

乗り上げたら事故が起きる確率が高かった、どんなのが落としていったのかねえ?

 

 

 


夜更かし遊びすぎで風邪ひいたかな

2017年06月08日 21時11分32秒 | 病気と健康

昨日の夜、東京から戻ったのだけど、昨日の関東は肌寒くて

夜中から咽と鼻の奥が熱っぽくて、カラカラに乾いてちくちくする痛みが

一晩中続き、今朝になっても変わらず

食欲もなくて納豆一個食べて朝食終わり、夕方から脂汗が額に出てきて熱っぽい

熱を測ったら36.8度、平熱が35.2度だから少しだけ熱が出てきたかな

5日の夜は深夜1時まで飲み歩き、久しぶりにわけわからない状態に・・・

しかも6日から東京行きで5時起床、ろくに寝ていない状態なので二日酔い

トマトのほっぺで団体旅行に参加、きっと酒臭かったろうね

ところが9時過ぎにはもう「むかい酒だ」とビールを飲み始め、一日酒の切れ目なし

二日分の酔いを背負って7日を迎えた

神聖なる稽古場に酔って入るわけにはいかず、酒は飲まない、その後も柴又帝釈天

浅草浅草寺と寺巡りでこれも酔っていくのははばかられて、昼食の時軽く飲んだだけ

しかし帰りのバスの中では日本酒ワンカップを飲み始めた、こうして激しい寒暖と

飲みっぱなしで体を痛めつけてとうとう風邪を呼んでしまったようだ

くしゃみは出るし、鼻水は流れるし、男前も台無しだ?熱っぽいし、咽は痛いし

今夜は薬を飲んでもう寝よう

 


ちょっとグルメなツアーに参加

2017年06月08日 08時21分11秒 | 旅行 関東.東海

地元銀行のツアーで東京.千葉へ「おのぼりさん」旅行に参加

一日目は埼玉の川越へ行って「蔵の通り」を歩きました

 

昼食は少し離れたところの「いも膳」という雰囲気のある料理店で「芋御前」を食べました

店内の屋久杉を使った装飾や、手入れされた珍しい庭の木々など驚くことばかり

芋だけのコース料理を提供しているのは滅多に無いだろうと言っていました

 

真ん中の茶巾の中は芋ご飯、そばに見えるのはサツマイモのうどんだそうです。

食べてみてもそばとしか思えませんが、つなぎとか、そば粉とか使っていないからだとか

デンプンがたっぷり浮いた野菜の汁も美味しかった、「のっぺ」みたい

満腹になりました。

夜は銀座のちょっと高級なホテルに宿泊、すぐ近くのイタリアンレストラン貸し切りで

二時間半のコース料理、世界三大珍味のトリュフの料理もあったそうですが後から聞いて

「ああ?あれが!」って感じ、猫に小判ですなあ

ビールにワインにたっぷり飲んで食べて、その後は銀ブラを楽しみ

23時には寝てしまいました

翌日は国会議事堂の見学、地元選出の衆議院議員と秘書2名で国会を案内してくれました

詳しく説明していただき政党の会議室、委員会室などを見学させてもらいました

総理のイスや、議長席なんかにも座ってちょっと偉くなった気分、田舎者は無邪気です

一番興味深かったのは天皇陛下の控え室といのか控えの間というのか?

見た目以上に装飾などに莫大な工費がかかったそうです、議事堂全体で今の金額で

500億とも600億とも言われる(正確にはわからない)工費のうち一節では陛下のこの部屋に

一割程度かかっているとのこと、戦争前の天皇陛下の地位がいかほどだったかわかります。

この部屋に入れるのは天皇陛下と掃除をする役職の方、それと忘れましたがもう一人

それと皇太子殿下が代理でお見えになった時だけだそうです。

皇族の控えの間というのが隣にあります、こちらはイスが5脚ほどありました

あと壁の中にアンモナイトやイカの化石があったのが面白かったです

それと壁に設置された〒投入口、手紙が真下に落ちていくそうです

 

 

最後は議員会館の議員の事務所に行って個別に記念撮影、なんだか我々の親の時代に戻った気分

安倍総理の部屋のドアも見てきました、ほとんど議員会館には来ないとのこと

その後は提携している東京の大銀行の紹介で向島の料亭「千代田」で特別に昼食のお弁当をいただきました

吟味された素材、丁寧な仕事、美しい盛り付け、素材を活かした味付け、何をとっても一流

我々が目指すところではあるけれど、一朝一夕ではとてもならない

田舎ではクリアできない問題が多すぎるし、田舎には田舎の良さもある、悪いところを削り、良いところを伸ばす

それが当面のやり方です。

これだけの店ですが向島という土地柄からか仲居さんも下足の番頭さんも誰一人気取らず

気楽にこたえてくれます

野菜料理の美しい面取り、薄味で素材の味が引き立つ。

蒸しアワビは本当に柔らかく贅沢、刺身のたこのイボも柔らかで格別のうまさ

これはわが家でもできそう

アサリご飯は砂つぶ一つも無く、気持ちよく美味しく食べました

具だくさんの茶碗蒸しにはロブスターか伊勢エビ、それにフグの白子なんかも入っていて

日頃贅沢をしているだろう社長さんたちも「こりゃ贅沢だ」と感嘆していました

   

いやあ2日間本当に珍しい経験をさせていただきました

帰りは高崎のだるま弁当を買って、家の夕飯にしましたがなんかホッとしました

 

 


佐渡ヶ嶽部屋の朝稽古を見学

2017年06月07日 19時58分26秒 | 大相撲

千葉県松戸の「佐渡ヶ嶽部屋」の稽古の見学に行ってきました

まずは力士の数が多いのに驚きました、関脇琴奨菊、十両琴恵光がやはり

目立つ存在でした、幕内の琴勇輝は姿が見えませんでした

徹底的に鍛えられている力士は、涙を拭きながらも積極的にぶつかり稽古を

志願する姿に感動しました。

関取と呼ばれる十両に上がるためには毎日こうした激しい稽古をするのでしょう

奥ではチャンコを作る音が聞こえ、新潟のコシヒカリがどっさりと積み上げられています

1.8m、1.9mの大きな力士がほぼ全員似た身長なので思ったより小さく見えます

琴奨菊には奮起してもらい再び大関になってほしいと思います。

  


バラが一輪咲いた

2017年06月05日 07時34分45秒 | 季節と自然/花

ドクダミの群れに囲まれて風前の灯火だった一枝のバラ

ドクダミ除去を徹底的にやり、雑草を刈って日当たり良くした

昨日の朝、とうとう赤いバラが一輪咲きました

過去には一番多いとき7輪くらい順番に咲きましたが、今年はどうだろうか?