神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

超ハードな一日だった

2021年10月13日 18時28分20秒 | yottin日記
今日ほどせわしい日はなかった
携帯がマナーモードのままだったために着信履歴とメールと録音までなんと20件ほど入っていた
それを一人一人対応するだけでも大変なのに、店への電話も朝から半端なく、予約などのほか一日でこっちも10数本入ってきた
ネットPRの大手から、音楽産業の会社まで契約の事で電話をよこしたし
同級生旅行と飲み会の打ち合わせ、先輩からの電話、コンサルタント、おまけに女房殿からも来るし、職安からは手続きの件で電話がきたが
事務員を二人とも休ませたから役所や商工会議所の用事がまったくできず

昼には食堂の調理もあったし、二種類の書類作りだけでも2時間かかった
郵便局、市役所、外回りもあったし、おまけにマナーモードの携帯が行方不明で探すのに一時間

訪問者もよく来た、経理事務所が決算の最終打ち合わせで20分
防災会社が火災報知機の点検で1時間半、神社の寄付集めに区長さんも来たし
退職した社員が母親とあいさつにきたら、そのあと出向転身する銀行支店長がお別れの挨拶にきた
夕方には久しぶりに仲良しの工事会社の奥さんが仕事を持ってきてくれて1時間半お話をしていった
ともだちのツー君も来店したらしいが役所に行っているときで会えなかった
だが偶然赤信号で止まっていたら窓を叩いたのがツー君
サイドドアを開けて白菜を放り込んでくれた、戻ってから見たらとんでもない大きな白菜だ
白菜が高価で鍋材料に使えないというご時世に、個人鍋なら100人前は使えそうな大物でびっくり!

それにしても調理がほとんどなかったのに人に会ったり用事をしたり電話応対したりでこんな忙しい日は珍しかった
のんびりできる一日と思ったのに裏目に出た、でも忙しいのは良いことだ」としよう
やり残した仕事が多くてまだ今日の仕事は終わっていない、PCメールの連絡処理が残っている、8時までには終わらせて夕飯を食べたい
明日は友達との久しぶりの飲み会だ、でも飲む人は少ないとも言ってた
まだまだ田舎ではコロナの後遺症は大きい
美味しいものを食べよう」っと



紅葉の季節がやってくる

2021年10月10日 20時13分16秒 | どうでもいいこと
もう10月も半ばです、そろそろ山奥では紅葉が始まっていますか?
信州や群馬などに行く回数が減って季節がわからなくなってきました
こちらから行くと志賀高原を通って白根山が噴火危険の為、交通止めが続いているようで草津方面に行けません
いったん万座から嬬恋へとおりなければならない、それだけでも面倒で足が遠のきます
志賀高原や万座の紅葉もなかなか美しいのでこの秋には(今でしょ)行ってみたいですが出不精になって
どこが今美しいのか情報も入ってきません、なんか殺風景な世の中になってしまいました

今日は二年ぶりに千葉から常連のご夫婦が見えられました
毎年3回ほど来店しますがコロナ蔓延で遠ざかっていたのです、今夜は社員と再会してテンションが上がっていたようです
昨日は地元の法事が店内を利用して行われました、20数名で通常の会席になりました
私たちも温かい料理は温かく、冷たい料理は冷たく出せてよかったですが、お客様も折り詰め料理ばかりだったので久し振りの会席料理を楽しんでいました
出す先からお皿が空いていくので私も嬉しかったです
はやくこうした日常がもどってくれば良いが田舎はなかなか慎重でいつになるかわかりません
70過ぎて来年、再来年などと呑気なことも言っていられないし同級生と同じ暮らしをしたいと思ったり
体は確実に衰えている、今日は仕事が11時、昼、2時、5時、6時と小刻みに別れ、しかも内容が全て違ったので疲れました
休む間もないとはこのことです、嬉しいけれどたいへんでもありました
明日はノンビリ出来そうです。



戦国 身内の争乱物語

2021年10月07日 12時04分44秒 | 戦国時代
黒澤明監督の「影武者」を見て思った
このドラマでは主線は影武者の生き様とハプニング、そして心の変化だ
そして伏線は戦国最強と言われた武田信玄が死んでのち10年足らずでなぜ武田が滅んだのかが伏線として描かれている
それは信玄が滅ぼした諏訪氏の娘に産ませた子が諏訪四郎勝頼で、本当なら信玄の後継者になる立場だった
信玄は若いとき、今川の娘を娶った長男と今川攻めで対立して自害させていた、次男三男は後継者となり得ず、4男勝頼は自分が後継者と思って居た
しかし信玄はいまわの際で家督は孫に譲り、孫の父である勝頼には後見するようにと命じて死んだ
勝頼はそれを聞いて信玄の股肱の重臣たちが自分を下に見ていると思い、実力を見せてやると憤り、家康方の高天神城を攻め落とした
これは信玄さえ落とせなかった城だったから勝頼は得意満面だった
自信を持った勝頼は重臣たちが止めるのも聞かず家康領への攻撃を繰り返し、ついに運命の長篠の役へと突入して大敗、古老の重臣たち山県、馬場、真田など名だたる武将は全員討ち死にした 
映画では「われらの命もここまでじゃ、あの世へ行ってまた御館さま(信玄)のもとに集まろう」と言って決死の突撃をするのだった
(われらが倒した敵の、娘の子である若造などに従えるものか。われらの大将は信玄公以外あるものか)という誇り高き武田武士の憤りが聞こえる場面だ

真田家の長男、次男もここで討ち死にして他家に養子に行っていた真田昌幸が真田家を継ぎ、勝頼を支える武将となった
信玄の誤算は長男を殺してしまったことと勝頼に負い目を負わせたことだった
信玄は若いとき乱暴者だった父信虎を図って今川家に追放した、そして長男を殺した、戦国の常と言えこれは失敗例だ

信玄のライバル上杉謙信はまだ20歳前に実兄と争って家督を奪ったという説もある、海音寺潮五郎の小説「天と地」には米山峠の戦が描かれる
一方、兄は病弱で謙信(景虎)が代行したという説もある

熟年となった信玄の敵の一人、徳川家康は信長に命じられて謀反の容疑で泣く泣く妻と長男を殺害した、妻は敵との密通容疑があったというのが小説の通説
その家康が天下を取ったあとで孫同士の対立があって三代将軍家光は春日局の後押しで両親(2代将軍秀忠)が跡継ぎにしたかった弟を切腹自害させた

信玄のもう一人の敵、織田信長も謀反を企てた実弟を殺害している
二人の母は信長を嫌い、弟信行を可愛がっていたという
奥州の後れてきた英雄伊達政宗も弟を殺した、こちらも母が気性が荒い政宗を嫌い、弟を可愛がっていたという
父は戦に明け暮れ、母は弟を愛し兄を疎んだという例はよくあるようだ

豊臣秀吉は、弟小一郎を死ぬまでもっとも信頼して重用した、妻の一族も優遇した
姉の息子は豊臣秀次と名付け関白にまで取り立てて自分の後継者に指名した、
ここまでは立派だったが息子秀頼が生まれると秀次に難癖をつけて切腹させた、さらに秀次の妻妾、その子供達まで全員の首をはねて殺した

こうしてみると戦国時代は兄弟がもっとも危険な存在ということがわかる
そんな中で薩摩島津氏、中国毛利氏は兄弟の結束固く困難を切り抜け明治まで家を存続させた、維新の立役者薩摩藩と長州藩である、偶然だろうか




黒澤映画に思う

2021年10月06日 17時41分45秒 | 映画/ドラマ/アニメ
たったいま鹿児島で震度4の地震が起きた、先日は青森で、その前は能登で震度4程度の地震があった
端から端、最近はモグラ叩きのように地震が思いがけぬところで起こる

昨日は鬼平犯科帳と黒澤明監督の映画「8月の狂想曲」を見た
子供と大人の中間の吉岡秀隆も出ている
長崎と原爆がテーマのちょっと重い映画だった、「影武者」の重苦しさにも共通している、そういえば「羅生門」もそうだし黒澤映画にはそれがある
その土地の呪縛(主に田舎)風土、無念の念、地神との共存、運命を受け入れる諦め、ある映画の「狐の嫁入り」の不気味さは
スピルバーグの「トワイライトゾーン」の悪魔のバニーが突然現れた恐怖に似ている
それなのに運命を受け入れた老人たちは今日をごく自然に生きている
そして不運にも原爆に消されてしまった故人を縁者が集まって「般若心経」を詠んで慰める
老婆と老婆の1時間も続く無言の会話、それはわかる気がする
言葉など無かった大昔、そして野生の動物たち、あるいは蟻の集団、これらは言葉を介さずに意思疎通を行っている
言葉よりテレパシー的な通信の方が真実そのままですんなり心の内に入っていくだろう
人は言葉を失ってこそ誠の心に触れあえる、この世には無駄なものがずいぶんとある、過分な財産、過分な欲望
それがこのごろようやくわかるようになってきた




リアルな戦争映画

2021年10月04日 18時39分37秒 | 映画/ドラマ/アニメ
今日は大谷君の最終戦でした、今日はたくさんのブログに登場するのでしょうね
私も今日ばかりは市場に行く時間を遅らせて見ていました
この一年を象徴するような大谷君の打席でしたね、先頭打者ホームランと申告敬遠と三振
でも最後の最後に100打点ちょうどにしたのは大したものです、46ホーマー、100打点、26盗塁、9勝2敗 超人です
10勝50ホーマーは来年のお楽しみにとっておきましょう、今年全部やったら来年はもっと大変になりますから

昨晩は黒澤明監督の名作「影武者」を見ました
映画でも見たし、今回が4回目だったかな、面白い映画は何度見ても面白い
下賤な小盗人が武田信玄の影武者になるというリアリティの無い映画ですが、戦闘シーンなどはなかなかリアル
たくさんの戦国武将たちが登場しますが、いちいち誰誰と字幕が出ないのが良い、織田信長、徳川家康、ちょい出の上杉謙信、武田勝頼が大名級
武将では武田逍遥軒、山県昌景、本多平八郎、森蘭丸
美少年、小姓蘭丸が実に良い、常に信長の指図の半歩前に準備を整えている、信長から絶対目を離さないからできる技だ

武田勝頼が高天神城を攻める場面は、なるほどこうして城攻めをしたのかと現場を見ている気分になる
ジュラシックパークもそうだが決して見ることができない過去を見ることができるのも映画の楽しさだ
これが本当の戦闘かと言えば、それは500年前のことだからわからないけど、研究家の意見を参考にして作られているんだろうからかなりリアルなんだろう

累々とした屍が並ぶシーンは日露戦争の二〇三高地の戦いを描いた映画に似ている、あれはなんの映画だったろうか?
さだまさしの「防人のうた」が戦闘シーンに流れたあの映画

戦争映画も「コンバット」や「史上最大の作戦」などだと戦意が高まる勇ましい勧善懲悪映画になるし
この203高地のような映画だと反戦映画になる、この世界から戦争が消えれば戦争映画も反戦映画も不要になるが現実はまったく違う
中国軍は台湾に脅威を与え続け、センガク周辺にも侵入を繰り返している
北朝鮮はまたミサイル発射をはじめて世界の注目をもくろんでいる、だけど金さん親分、ずいぶんと痩せて若返った、なにか秘訣があるのだろうか?






お城巡り(2)

2021年10月03日 19時20分25秒 | 日本の城
朝夕肌寒く、日中は蒸し暑いこの頃の気候、汗が出たりくしゃみが出たり
いよいよわが町でも中学生の接種が始まりましたよ、最近は子供とその親年代の感染が多いので本気モードになったんですかね?

昨日は大都市の解除が始まって初の週末、我が家の食堂にも先週の2倍くらい見えました、今日も若干多めだった
わが店で法事を20人くらいで行う予約が入りだしてきました、これに勢いがつけば少しはやる気も出てきますけどね
宴会はどうなんでしょう? まだまだ年内は大口は無理だと思います

全国のお城を巡るほど今日まで余裕がなかった私は関東甲信越、北陸近畿、南東北をまわったくらいです
先日は初めて新発田城へ行きましたが、もう少し北には村上城がある
、でも新潟県は長すぎて遠くて秋田にでも行ったついででないと無理でしょう
そのわりには会津若松城は何度か行きました、前回は新装なった若松城でびっくりしました
戊辰戦争ではもっとも悲惨な戦争が行われた会津、余力がない日本に原爆が落とされたと同様に会津も最初降参したが政府軍は許さず多くの会津士や市民を殺害した
戦争の終結にはこうした勝者によって非情な見せしめがなされる「俺に逆らえばこうなるぞ」と言いたいのでしょう
会津の支城だった米沢城は秀吉が直江兼続に与えたけれど関が原で敗れた上杉家が4分の一に削られてここに押し込められた
今は天守もなく上杉神社になっていて広い堀と石垣が当時をしのばせている?のかな?

北陸では丸岡城が国宝だったが壊れて補修したために1ランク下がったとか、行ってみたけど小さな天守でした、でも古くて味わい深い
加賀百万石の前田家金沢城は観光名所として100間大廊下などを作った、なんといっても兼六園が素晴らしい、前田家のお庭なのでしょう
100万石なんだから姫路城みたいな天守をど~んと建てたらどうでしょうか
金沢の皆さん頑張ってください
富山城は旧8号沿いにあって天守はなく隅櫓が建っている、でもなんとなく城の雰囲気があって近いから何度も行った
前田家の分家だから辛いこともあったのでしょうね

近くと言えば夜桜の名所100万人の夜桜高田城、石垣と堀だけが大きな規模で残っていて自衛隊も同居するが、三層の櫓を作って観光の目玉になった
夜桜と堀に映る三層櫓は小さいがインスタ映えする

信州だと松本城の他には高島城、そして上田城、小諸の小諸城址と懐古園、天守台しかないが急な崖が落ちている西側には千曲川を望む
都市にある城と違っ小諸城はワイルド感がある、たしか檻に入った小動物園があったと思う
あとは中野だったろうか高梨館も見たことがある、上杉家と親戚だったとか聞いた覚えがあるが?どうだろうか
このごろ記憶力が次第に薄れていく気がする、これはやばい!コロナボケかもしれぬ
東海では家康が生まれた岡崎城に行った、趣があった、ちょっとおせっかいなガイドさんがついて時間が無くなった思い出
これは小田原城でもそんなことがあった

東海道には浜松城など名城がいくつかあるが、静岡県は我らの真裏なので遠くてめったに行くことができない

これから絶対行きたい城は熊本城(新婚旅行で熊本で泊ったのに行かなかった!悔しい)、首里城は壊れる前に行っておいてよかった
四国は高知城、松山城、今治城などいくつもあるし、中国の広島城、松江城も行きたい、岡山城は行った、後楽園も楽しめた、高松の栗林公園もすごく良かった
伊賀上野城も行きたい、浜松城、青森弘前城 伊達政宗の仙台城は行ったことがある
これからこれから お楽しみ  まとまりのないブログになってしまった




それとは逆の名城が松本城です、三度天守まで登りましたが一度は鉄砲や大筒の展示がされていて為になった
日本には江戸時代までのままの天守が残っている城は10だけだとか明治維新までは全国で数百の城があったのでしょうがほとんど破壊された
だから残っている城は現代風に改造したり天守内部が博物館みたいになったりでちょっとがっかりします
名古屋城、大阪城、会津若松城もそんな感じになっていましたね、和歌山城はまだよかったと思います
彦根城は関西に行くと時々立ち寄ります、あの城はいいですね、城下にある殿さまの御殿もとても松などがきれいで天守閣も望めるし規模も大きい
だから天守だけでなく二の丸、三の丸の御殿やお庭、〇〇園とかがあると楽しいですね
姫路城も広くて二の丸の庭園などにも行きましたが途中からゲリラ豪雨にあって大変な目にあいました、初めてだったのに残念
大坂城は内部はともかく規模としてはとても大きくて駐車場から歩いて天守に向かったがなかなか着かない、あれでも戦国時代の規模よりずっと小さいから
(豊臣の大坂城ではないが)攻める側が苦労したのもわかります
岐阜城はケーブルで上がっていくくらい急で高い山の上にある、ケーブル駅からも山道を歩くし険しい山城です、二度行きました
近くの犬山城も二回行ったけど規模は小さいけれど長良川だったか川の景色がとても印象に残っています

お城巡り 越後、越中、信濃の山城中心

2021年10月02日 19時36分39秒 | 日本の城
戦国時代の戦記小説に夢中になったのはいつごろからだろう?
中学、高校までは日米戦争のドキュメンタリーに夢中だった、父が旧日本軍の戦記雑誌「丸」をずっと購読していた影響だ
20代中ごろには日本海軍の艦船プラモデルをずいぶんとたくさん作った、30cm以上の空母、戦艦、そして凡ての艦船200数十隻の500分の一だかのシリーズ
駆逐艦などは10cm程度の大きさであった、それがそろっていくと艦隊を組んだりして楽しんだ、だが結婚してからそれは終わった

だから、そのあたりから戦国時代の国内戦争にシフトした気がする
「歴史読本」という本を購読しだした、早乙女貢「会津士魂」と新田次郎「風林火山」だったろうか?夢中になって呼んだ
武田信玄の北征、村上義清との激闘、川中島で初めて見たまだ20歳そこそこの天才、越後長尾景虎(上杉謙信)の不気味な軍団との初顔合わせ
信濃の武将と違った強敵のオーラを感じただろう、それは長尾景虎も同じで侵略者武田信玄の出現に闘志を燃やしたはずだ
その場面が一番ワクワクするが、そこの心理描写を書いた小説に未だ出会っていない

上杉謙信の居城、春日山城には2度登った、山城は見学ではなくハイキングだ
平城が普通になる前はたいがい山城で、山の尾根や山頂を整備して守りを固め
上越市の北東部頸城郡には上杉家臣の山城がたくさんある、だが山深く熊が怖くて行けない
それで上越の南西、糸魚川西頸城にある山城は海から近いのが多い、上杉一門の山本寺氏の不動山城2回登った
国境親不知の勝山城も2回登った、上杉景勝と豊臣秀吉が会見した城という伝説がある
越中側の最前線宮崎城には3回登った、海が真下に見える本丸跡は最高の眺めだ 能登の七尾城入り口は何度も通ったがやはり熊が怖くて行けない

武田信玄の躑躅崎館は一度行った、宝物館も見てきた、ここは守りが緩そうな平城というより館だ、だが後方に守りの固い山城があったと聞いた
武田氏は常に国外へ攻め込んだので甲府を守る戦争は、織田信長に攻め滅ぼされた最後の戦い以外なかったのだ。

信玄に信濃の大名は領土を奪われ、臣従するか殺されるか逃亡するかだった
松本城の小笠原氏は逃亡し、諏訪氏は臣従したが謀殺されて娘を妾にされた、その子が信玄の4男武田勝頼だ
諏訪湖に面した高島城にも行った

木曽氏は臣従して縁戚となり、上田の剛将村上義清は2度までも武田晴信(信玄)を大敗させたが力尽きて謙信のもとに身を寄せた
糸魚川で山城、根小屋城を与えられた
松本の南、高遠城は武田氏が滅ぶときもっとも華々しく戦い散った城である
武田勝頼の弟、仁科五郎盛信が10万の織田軍と戦い散った
木曽氏や武田の一族、重臣が相次いで裏切った中での忠臣が際立つ
今は桜の名所として観光地になっている、ここも花見で三度行ったが規模の大きな城だ

上田城は3回行った、これは真田氏の城で、ライバル村上氏は葛尾城など複数の城を持っていたが、上田インターの近くの坂城Pからそれらが見える
真田氏の出身地は上田の北東の真田の庄、ここに真田本城跡がある2回行った
山城の姿が見えて面白い
真田というと岩櫃城が面白い、険しい断崖の山に築かれた難攻不落の城、武田の家臣だった真田昌幸が武田勝頼を匿うと言った城である
国道から何度か見たが登った事は無い、テレビで見たような気がする





ドライブを思うとワクワクする

2021年10月01日 17時54分46秒 | ドライブ
今までは時間の制約が多くて遠出はほとんど高速道を使っていた
たしかに信号はないし、はやい速度で直線を走るのは気持ちがいい
だが味気なさを感じるようになった、直線が多いからトンネルが多い、山間部では両サイドが切通の山肌
ほとんど景色らしい景色を楽しめない、そもそも90km100kmで走るからよそ見なんかしていられない

最近はちょっとした暇が多くなってきたので100kmくらいまでなら一般道を走るようになった
国道の市街地の渋滞が嫌で高速ばかり走ったが、国道が混む場所は県道などの迂回路も多いので気にならなくなった
どうしても渋滞路を避けられない時だけ高速道を1区間利用する
一般道は古い街並みや、田園風景、古道、自然の森の中など見どころ満載だ
それに峠を越えればずいぶんとショートカット出来てお得だ

北陸道を走り、長岡ジャンクションから関越道に入り六日町インターまで行くのに上越インターから約120kmある
ところが上越インターで下りて国道8号から国道253号を行くと十日町経由で六日町インターに出る、これが約65kmしかない
国道経由の方が僅かに時間がかかるが距離は60%くらいだし高速代もいらない
だから群馬などに行くときは上越から国道経由で行く

イケリンさんのブログを見ていたら急に濃尾平野を見たくなった
今年中に行きたい気持ちが起きてきた、もし行くなら国道や県道などを通て行きたい
12時間かかっても一泊で行けば楽勝だろう、昔は高速道など無かったからそんな風に旅行をした
あちらこちらでファンベルトが切れたり伸びたりでオーバーヒートした車がボンネットを開けている景色に出会ったものだ
今は、そんな風景は全く見なくなった、パンクしている車もあまり見ない、でも最近私の車がパンクした、スペアタイヤも車に装備されていない時代になった

岐阜までどんなコースで行こうか?考えただけでワクワクする、そのためには岐阜県には感染者数10人台まで下げてもらいたい
一般道経由と言うのがとても楽しそうに感じる、また大好きな地図を見てルートを決めよう、走ること自体が楽しい
この頃の車は燃費もいいから法定速度を守ればリッター20kmは行ける、片道20Lあれば十分だ。ガソリンも高いから倹約ドライブが一番
実現させたいなあ