正月に実家へ立ち寄った折、古い写真を家宅捜索してきました。父親が昭和40年代に撮影したものが中心で、古き佳き国鉄の香りが漂っています。カメラは以前にも登場したオリンパスペンEE(のはず)。今回は富山駅で昭和45~46年頃撮ったと思われるカットをご覧に入れます。
最初の写真は、1番線を今まさに発車していく475系急行「立山」。駅員が直立姿勢で見守っています。1番線を右へ向けて発車していくというのは富山地鉄乗り入れ編成ということのようです。車両はクモハ475と思われ、車体裾には60Hz用を示すクリーム帯が巻かれています。
続いて同列車の後部。クハ455と思われます。誇らしげな「立山」のヘッドマークはまだ大型のものが取り付けられています。さきほどの駅員がしっかりと指差喚呼をしています。列車番号には「701」と入っていますが、これはどうも違うようです。中線を挟んだ2番線には旧型客車が佇んでいます。番号を拡大したところオハ35 2224と読めました。
こちらは、富山止まりの基本編成に入っていたと思われるサロ451-11。グリーン帯と60Hz識別帯がしっかり巻かれているのが白黒写真でもよくわかります。
これは5番線あたりでしょうか。クハ481の「しらさぎ」が停まっています。奥には富山第一機関区のものと思われるDD51の姿が少しだけ写っています。
跨線橋から撮ったと思われるこの写真には、電留線に佇むクハ481とクモハ475ほかの編成が写っていました。現在の富山ライトレールは、この写真の右奥あたりに発着していることになるのでしょう。
そして国鉄風景の中にただ1枚、この電機が写っていました。富山地鉄のデキ12021です。Wikiによると1958年東芝製とのことで、製造から12~13年後、まだ現役で貨物輸送に当たっていた頃のスナップといえます。かなり個性的な凸型ボディをもつD級電機です。
富山駅は現在、北陸新幹線の受け入れ工事に伴う改築中で、旧駅や旧線の面影はないと聞いています。国鉄色が当たり前だった頃の空気を感じ取って頂ければ幸いです。
次回は会津のSLが登場します。
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最初の写真は、1番線を今まさに発車していく475系急行「立山」。駅員が直立姿勢で見守っています。1番線を右へ向けて発車していくというのは富山地鉄乗り入れ編成ということのようです。車両はクモハ475と思われ、車体裾には60Hz用を示すクリーム帯が巻かれています。
続いて同列車の後部。クハ455と思われます。誇らしげな「立山」のヘッドマークはまだ大型のものが取り付けられています。さきほどの駅員がしっかりと指差喚呼をしています。列車番号には「701」と入っていますが、これはどうも違うようです。中線を挟んだ2番線には旧型客車が佇んでいます。番号を拡大したところオハ35 2224と読めました。
こちらは、富山止まりの基本編成に入っていたと思われるサロ451-11。グリーン帯と60Hz識別帯がしっかり巻かれているのが白黒写真でもよくわかります。
これは5番線あたりでしょうか。クハ481の「しらさぎ」が停まっています。奥には富山第一機関区のものと思われるDD51の姿が少しだけ写っています。
跨線橋から撮ったと思われるこの写真には、電留線に佇むクハ481とクモハ475ほかの編成が写っていました。現在の富山ライトレールは、この写真の右奥あたりに発着していることになるのでしょう。
そして国鉄風景の中にただ1枚、この電機が写っていました。富山地鉄のデキ12021です。Wikiによると1958年東芝製とのことで、製造から12~13年後、まだ現役で貨物輸送に当たっていた頃のスナップといえます。かなり個性的な凸型ボディをもつD級電機です。
富山駅は現在、北陸新幹線の受け入れ工事に伴う改築中で、旧駅や旧線の面影はないと聞いています。国鉄色が当たり前だった頃の空気を感じ取って頂ければ幸いです。
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