おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。
2週間前に研修で東京都墨田区の国際ファッションセンターで研修を行っていたら、近くの三重の塔が気になりました。
お昼休みにその地を訪れると、そこは東京都立横網町公園でした。
公園を入ると右側にビオラでいっぱいの花壇がありました。
震災と戦災のメモリアルパークである横網町公園には、「東京都慰霊堂」や「復興記念館」がありました。
この慰霊堂は、1923年9月1日に起きた関東大震災で業火の犠牲となった東京市民(当時)58,000人余の霊を祀ったお堂です。最初は、震災記念堂と呼ばれました。
さらには、第二次世界大戦における1944年・1945年(昭和19年・20年)の一連の空襲により、再び東京は業火に見舞われ、関東大震災を超える77,000人あまりが死亡しました。
1948年からは、各地に仮埋葬された身元不明の遺骨を納骨堂に改葬し、戦災者整葬事業が完了した1951年に「東京都慰霊堂」と改称したそうです。
東京に住みながら、この公園の存在を、そして、関東大震災と大空襲の犠牲者数を知らなかった自分を恥じた横網町公園でのひと時でした。