アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリング、コンサルティングを行っています。
アドラー心理学による勇気づけ一筋40年 「勇気の伝道師」   ヒューマン・ギルド岩井俊憲の公式ブログ



おはようございます。アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。 

昨日(5月6日)は、13:00~18:00に カウンセリング&セラピーの理論と実践 の1日目を行っていました。

このことについて詳しくは、明日書くことにします。


ところで、私のこのところの主要関心事は「共感力をどう高めるか?」です。

そのことについて、ヒューマン・ギルドの 会員 向けに配信している5月度のニュースレターに「共感のトレーニング:"あたかも~のように(as if)"」として書いた巻頭言がありますので、それを転載します。

私は最近、さまざまな企業の研修を通じてロー・パフォーマー(業績不振者)とハイ・パフォーマーを分けるものとして次の4つの要素を強く感じています。
 
(1)共感力
(2)協力的姿勢
(3)向上心
(4)責任感
 
それぞれについていちいち説明しなくてもいいでしょうが、特に重要なのは(1)の「共感力」です。
 
共感は、相手や置かれている場への関心を意味します。共感力のない人は、自分にしか関心が持てず他者の関心が希薄で、場がどんな振る舞いを求めているかを察知する感性が欠如しています。
 
アドラーは、共感について「他者の目で見、他者の耳で聞き、他者の心で感じること」とし、共同体感覚と切り離せないものと捉えていました。
 
別の言い方をすると、共感力のない人は「共同体感覚に欠けた人」と言ってもいいかもしれません。
 
来談者中心療法の創始者のカール・ロジャーズは、「共感的理解」について「クライアントの私的な世界をあたかも自分自身のものであるかのように感じとり、しかもこの"あたかも~のように"という性質を失わないこと」と定義しています。

ここで重視したいポイントは"あたかも~のように(as if)"というところです。
 
カウンセリングをしていて、カウンセラーはクライアントの私的な世界そのものには入りきれなくとも、まるで自分がクライアントとして体験しているかのような理解が「共感的理解」だと言ってもいいかもしれません。
 
それでは、"あたかも~のように(as if)"になれる共感のトレーニングは、どのようにして可能なのでしょうか?
 
このことは、アドラー心理学の用語を使えば、その人特有のものの見方・価値観である「私的論理」の枠を広げ、他者の私的論理と場の状況を理解・尊重しつつ、「共通感覚」へと導いていく営みに他なりません。
 
具体的なトレーニング法としては、誰かに憧れを抱いて"あたかも~のように(as if)"自己同一化を図ることもありますし、特定の人と対話をすること、誰かの相談に乗るといった対人関係ともとにしたトレーニングもあるでしょう。

さらには、映画を鑑賞すること、テレビドラマを観ること、小説を読むことなどによって自分が"あたかも登場人物のように"思い込む感情移入することで訓練できることもあるし、研修を受けて他者と意見交換しながら、自分と他者との私的論理の違いを大切にすることによって磨くこともできます。
 
共感のトレーニングの場は、私たちの周囲の至ることころにあるのです。
 
最後に1つだけ書いておきたいことがあります。
 
ヒューマン・ギルドには、最近「アドラー心理学の本を〇冊読んだ」という方が多数、講座を受けにいらっしゃいますが、本を読んだだけでは共感力が磨かれません。

他者とあるテーマを巡って議論し合い、その過程で他者の私的論理を理解することによって枠組みを広げることが可能になります。

その意味では、他者からも学び、共に練磨し合う「共育」によってこそ共感力を高めることができるのです。
 
<お目休めコーナー>5月の花(7

 
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