おはようございます。アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。
昨日(5月14日)は10:00~17:00に 京都開催 アドラー・カウンセラー養成講座 の2日目を行っていました。
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(会場付近)
研修のメインはライフスタイル調査表の使い方でした。
デモンストレーションを行い、その後は、2人一組で取り合ってもらいました。
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ヒューマン・ギルドの過去のメルマガに書いた原稿のブログに転載する第2回目です。
アドラー心理学で発想したら(2):自己決定性(2)― 聴覚障害に悩むベートーヴェン
「勇気を出せ。たとえ肉体に、いかなる欠点があろうとも、わが魂はこれに打ち勝たなければならない」(ベートーヴェン(1770-1827)が25歳の時、手帳に書き込んだ言葉)
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アドラー心理学の「自己決定性」(「創造的自己」とか「個人の主体性」と呼ぶ人もいる)の理論によれば、身体や器官に障害があるとしても、それを建設的に使う非建設的(場合によっては破壊的)に使うかは本人次第です。
歴史上一番演奏回数が多いベートーヴェンは、まさに聴覚の障害を偉大なる創造力によって克服した人でした。
ロマン・ロランの『苦悩の英雄ベートーヴェンの生涯』によれば、ベートーヴェンは、25歳(1796年)から耳の病気が始まったようです。
絶望的になったベートーヴェンは、1802年(31歳)に弟のカルルとヨハンに宛てて遺書を書いています。これが有名な「ハイリゲンシュタットの遺書」です。
「君のベートーヴェンは非常に不幸なのだ。思ってもみてくれたまえ。僕の一番大切な部分である聴覚が、ひどく弱ったのだ」
『苦悩の英雄ベートーヴェンの生涯』でロマン・ロランは、「音楽家としての輝かしい瞬間に、聴覚を失うという冷酷な宿命を背負わねばならなかったベートーヴェン。
だが、その痛ましいまでの苦悩を、見事に『歓喜』へと昇華させた」と、ベートーヴェンを評し、彼を「英雄」と呼んだのです。
「思想あるいは力によって勝った人々を、私は英雄とは呼ばない。心によって偉大であった人々だけを、私は英雄と呼ぶのである」
作曲家として最も大切な聴力を失うという障害や、それに伴う苦悩があったにもかかわらず、ベートーヴェンが生き、数多くの素晴らしい作品を遺したことを思えば、私たちの担う障害、人生の課題に直面する苦悩は、色あせてしか見えません。
ベートーヴェンの生涯からは、「苦悩の色が濃いほどに歓喜は輝きを増す」という教訓を引き出せそうです。
<お目休めコーナー>5月の花(14)
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