付け焼き刃の覚え書き

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「ウルトラクイズ伝説」 福留功男

2013-07-26 | 伝記・ノンフィクション
 今となっては「みんな、ニューヨークへ行きたいかーっ!」「罰ゲームは怖くないかーっ!!」のセリフも通用しなくなり、「ウルトラクイズ」そのものの解説が必要です。
 今はテレビのクイズ番組というとタレントやアイドルが回答者になるものがほとんどですが、当時は視聴者参加がほとんどすべて。そんな中で日本テレビの開局25周年記念番組としてスタートしたのが『アメリカ横断ウルトラクイズ』です。
 これは年1回ペースで放送され、1992年の第16回、1998年のネッツトヨタスペシャルで終焉。その派生で高校生クイズなどになごりが今も残っているけれど、グランドキャニオンでクイズ問題を空からバラまいて「取ってこーいっ!」とか、ニューヨークの大通りを封鎖してマラソンしながらクイズとか、やはり本家のムチャぶりにはかなわない。
 「知力、体力、時の運」を合言葉に日本各地から何万人と集まった挑戦者たちが、一次予選の野球場から空港の待合室、航空機内と次から次に出されるクイズでふるい落とされながら、決戦地の自由の女神像までを旅するドキュメンタリー調の番組。

 スタートしたのは1ドル360円の1977年。ビジネスや新婚旅行以外で海外に行ったことのある者は少ない時代です。そんな時代に、何十人というクイズ参加者やスタッフを引き連れ、日本と違って定刻通りに動くとは限らない航空機などを乗り継ぎしつつ、いつクイズが行われるかわからない夜討ち朝駆けの1ヶ月の旅。その企画時から最終回までの軌跡を、そのほとんどで司会者兼クイズ出題者であった福留功男が綴ったもの。
 参加者の安全確保から機材の移動までリスクがむちゃくちゃ高く、コストも膨大となり、こうやってその裏側を読ませてもらうと「よく10何回も事故もなく続いたなあ」と感心します。
 番組最大の特色はアメリカ本土上陸してからの脱落者に科せられる過酷な罰ゲームと、優勝者に贈られるどうしようもない賞品。でも、「本当にやっているの?」という質問が多発したほどの罰ゲームは本当にやっていて、砂漠に放り出されて空港まで徒歩移動を強いられたり、川に流されたりとあれこれあったけれど、時には話を通していない国境警備隊やドライバーに遭遇して危険なこともあったようです。一方、未組立の飛行機とかエンジンのないクラシックカーなど、豪華だけれど役に立たない賞品は法律で定められた限度額ぎりぎりで、いかにインパクトのあるものを用意できるかという工夫の産物だったとか。
 こういう壮大なバカ企画を日本がやれた時代、アメリカが受け入れてくれた時代があったのだなあと懐かしがるための1冊。

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