「もちろん、カラシニコフ銃を手にしたビンラディンの姿をテレビで見るたびに憤りを覚える。(中略)テロリストも正しい選択をしているのだ。一番信頼できる銃を選んだという点においては!」
現在、世界中で6000万丁以上が生産され、使用されているカラシニコフ自動小銃の設計者であるミハイル・チモフェエヴィチ・カラシニコフの生涯を、エレナ・ジリーが聞き書きしてまとめたもの。
カラシニコフは1919年のロシア革命の直後に生まれ、スターリンの圧制下のシベリアで家族を次々に失い、やがて整備士として戦車部隊に配属。第二次大戦のブリヤンスクの戦闘で重傷を負うも生還し、ファシストを倒すための銃を創りたいという一心で開発に打ち込み始めたカラシニコフは、やがて著名で階級も遙かに上の技術者たちとの競争に打ち勝つだけの銃を生み出すことになる。
しかし西側の技術者たちとは異なり、カラシニコフの手には銃の生産によるライセンス料は入ってこない。彼の主な収入は軍の年金くらいだ。けれども、彼は共産主義者として、そのことに対する不満は語らない。ただ、もう少し自由に使える資金が有れば後進の育成と開発が楽になるのにというだけだ。
共産主義が成功したとは思っていないが、その理想は信じているのだ……。
動乱のロシア現代史のど真ん中を生き続ける技師の自伝。
武器史家エドワード・エゼルとの交流から、ユージン・ストーナー(M16の発案者)、ビル・ルガー(スターム・ルガー社の創設者)、ウジール・ガル(ウージー短機関銃の生みの親)といった西側技術者と知り合うことになる一幕も面白かったし、もう少し詳しく聞きたいと思いました。
【カラシニコフ】【自動小銃】【官僚機構】
現在、世界中で6000万丁以上が生産され、使用されているカラシニコフ自動小銃の設計者であるミハイル・チモフェエヴィチ・カラシニコフの生涯を、エレナ・ジリーが聞き書きしてまとめたもの。
カラシニコフは1919年のロシア革命の直後に生まれ、スターリンの圧制下のシベリアで家族を次々に失い、やがて整備士として戦車部隊に配属。第二次大戦のブリヤンスクの戦闘で重傷を負うも生還し、ファシストを倒すための銃を創りたいという一心で開発に打ち込み始めたカラシニコフは、やがて著名で階級も遙かに上の技術者たちとの競争に打ち勝つだけの銃を生み出すことになる。
しかし西側の技術者たちとは異なり、カラシニコフの手には銃の生産によるライセンス料は入ってこない。彼の主な収入は軍の年金くらいだ。けれども、彼は共産主義者として、そのことに対する不満は語らない。ただ、もう少し自由に使える資金が有れば後進の育成と開発が楽になるのにというだけだ。
共産主義が成功したとは思っていないが、その理想は信じているのだ……。
動乱のロシア現代史のど真ん中を生き続ける技師の自伝。
武器史家エドワード・エゼルとの交流から、ユージン・ストーナー(M16の発案者)、ビル・ルガー(スターム・ルガー社の創設者)、ウジール・ガル(ウージー短機関銃の生みの親)といった西側技術者と知り合うことになる一幕も面白かったし、もう少し詳しく聞きたいと思いました。
【カラシニコフ】【自動小銃】【官僚機構】