街道を歩く

今まで歩いた街道、町並み、これから歩く街道、町並みを散文的に紹介

勝山古墳群 3号墳 (福岡県)

2024-03-03 00:10:00 | 福岡 古墳フォトチャンネル

勝山古墳群 3号墳 (福岡県)

 

 

古墳の宝庫である「みやこ町」に所在する。勝山神社 鳥居の脇を抜けて行くと3基の円墳が並ぶ。その一番手前から3号墳 2号墳 1号墳と番号が振られている。墓道、羨道は破壊されてはいるが石室は完存している。恐らく6世紀後半に築造された首長級の者が埋葬されたのではないだろうか。楔を打ち込んだ痕が生々しく残っている。これは今まで見てきた石室石材では初めてだ。ただ他の石材には見ることが無いので修理するために後世に持ってこられたものかもしれない。石室は見応えのある構造で素晴らしい石組を見ることが出来るぞ。

 

勝山古墳群 3号墳位置

 

当該ブログの記事は令和6年2月22日から3月2日までである。

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勝山神社古墳 (福岡県)

2024-02-21 00:10:00 | 福岡 古墳フォトチャンネル

勝山神社古墳 (福岡県)

 

 

勝山神社古墳を含め、この地域は古墳の宝庫である。前方後円墳、方墳、そして円墳が群集墳を形成する。当該古墳は有力な家族集団の埋葬施設として、6世紀半ばから後半にかけて築造されたものと思われる。周辺に住んでおられる方々の努力で整備されたことに頭が下がる。何度通った事か・・・今は見る影もないらしいのだが・・・

 

勝山神社古墳位置

 

当該ブログの記事は令和6年2月16日から20日までである。

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清池神社古墳群 その2 (福岡県)

2024-02-15 00:10:00 | 福岡 古墳フォトチャンネル

清池神社古墳群 その2 (福岡県)

 

 

清池神社 敷地内に所在する。10数基の中型円墳を見ることが出来る。6世紀半ばから後半にかけて築造されたのではなかろうか。
その中の2基は横穴式石室を確認することが出来、1基は天井から石室を覗くことが出来る。それは見事な石室で、玄室は胴張、見事な穹窿状となっており、単に家族墳とは趣が異なる。恐らくは有力者集団の奥津城だったのではなかろうか。閑かな良いところである。但し、案内などは無く、勿論説明などは無いと言っておかねばなるまい。
  

 

獨坐幽篁裏 弾琴復長嘯 深林人不知 明月来相照

 

清池神社古墳群位置

 

当該ブログの記事は令和6年2月9日から14日までである。

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清池神社古墳群 その1 (福岡県)

2024-02-08 00:10:00 | 福岡 古墳フォトチャンネル

清池神社古墳群

 

 

清池神社 敷地内に所在する。10数基の中型円墳を見ることが出来る。6世紀半ばから後半にかけて築造されたのではなかろうか。
その中の2基は横穴式石室を確認することが出来、1基は天井から石室を覗くことが出来る。それは見事な石室で、玄室は胴張、見事な穹窿状となっており、単に家族墳とは趣が異なる。恐らくは有力者集団の奥津城だったのではなかろうか。閑かな良いところである。但し、案内などは無く、勿論説明などは無いと言っておかねばなるまい。
  

獨坐幽篁裏 弾琴復長嘯 深林人不知 明月来相照

 

清池神社古墳群位置

 

当該ブログの記事は令和6年1月30日から2月7日までである。

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法正寺貴船神社古墳 (福岡県)

2024-01-29 00:10:00 | 福岡 古墳フォトチャンネル

法正寺貴船神社古墳 (福岡県)

 

 

この地域は古墳の宝庫である。6世紀半ばから7世紀初頭にかけて築造された古墳が集中している。この地域とは京都平野である。ご存知も多かろう。しかも前方後円墳が多々見られることも特筆するべきだろう。
当該古墳については説明、資料もないが6世紀後半に築造された30m~40m程であろう。被葬者は地域を治めた首長クラスと言って間違いはなかろう。法正寺貴船神社 の後ろ 正面に向かって右側が後円部、左側に前方部が延びると思われる。

 

法正寺貴船神社古墳位置

 

当該ブログの記事は令和6年1月20日から28日までである。

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庄屋塚古墳 (福岡県)

2023-12-08 00:10:00 | 福岡 古墳フォトチャンネル

庄屋塚古墳 (福岡県)

 

 

6世紀中頃に築造された全長85mの前方後円墳で、所在する「みやこ町」内最大を誇る。豊前地方には 御所山古墳(118m) 石塚山古墳(110m)とご存じの名が揚げられる。更には北部九州最大の 岩戸山古墳(135m)の名が揚がる。福岡県下でも最大級である。当然被葬者は当該地域の首長であったろうし、大和政権との強い繋がりを持っていたことに間違いはなかろう。この古墳の特徴は前方部と後円部に横穴式石室を持っている。ただ後円部は発掘されておらずに至っている。が、前方部の石室は開口している。ただ規模が小さいので主体部ではないのかもしれない。

 

庄屋塚古墳位置

 

当該ブログの記事は令和5年11月28日から12月7日までである。

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甲塚方墳 (福岡県) season 3

2023-11-27 00:10:00 | 福岡 古墳フォトチャンネル

甲塚方墳 (福岡県) season 3

 

 

九州最大級の方墳である。また写真を御覧になってお判りの様に巨石を用いて石室が造られている。また天井に行くにつれて穹窿状になっているのも特徴であろう。床は石が敷き詰められ、封土表面は石で葺かれている。これだけの古墳を造らせるだけの権力を持った被葬者であったことがこれだけでもお判りであろう。副葬品は盗掘に遭い見ることは出来ないが相当な品が収められたに違いない。周辺は古墳の宝庫でもある。

 

甲塚方墳位置

 

当該ブログの記事は令和5年11月21日から24日までである。

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甲塚方墳 (福岡県) season 2

2023-11-26 00:10:00 | 福岡 古墳フォトチャンネル

甲塚方墳 (福岡県) season 2

 

 

九州最大級の方墳である。また写真を御覧になってお判りの様に巨石を用いて石室が造られている。また天井に行くにつれて穹窿状になっているのも特徴であろう。床は石が敷き詰められ、封土表面は石で葺かれている。これだけの古墳を造らせるだけの権力を持った被葬者であったことがこれだけでもお判りであろう。副葬品は盗掘に遭い見ることは出来ないが相当な品が収められたに違いない。周辺は古墳の宝庫でもある。
妻同行。

 

甲塚方墳位置

 

当該ブログの記事は令和5年11月18日から20日までである。

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八景山山麓古墳群 (福岡県)

2023-11-10 00:10:00 | 福岡 古墳フォトチャンネル

八景山山麓古墳群 (福岡県)

 

 

当該地域は古墳時代~奈良時代(5世紀~8世紀)にかけて広大な墓域であった。6世紀後半から7世紀初頭にかけて古墳が築造されており、確認された時は13基ほどであった。しかし、道路敷設によって一部が削られているが現在は7基が保存されている。ただ石室の痕跡が判るほどのものが残されており9基ほどになるだろう。有力な家族の奥津城ではと思ったが、それでは考えられない副葬品が検出されており、そうなると地域を治めた首長であり、またその関係者の墓域であったと思われる。

 

八景山山麓古墳群位置

 

当該ブログの記事は令和5年10月30日から11月9日までである。

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彦徳(けんどく)甲塚古墳 (福岡県)

2023-10-29 00:10:00 | 福岡 古墳フォトチャンネル

彦徳(けんどく)甲塚古墳 (福岡県)

 

 

京都平野南奥部を治めていた首長の奥津城に所在する。地域でも秀麗で大型の円墳である。径 29m 高さ 約7m を測る。二重の周溝を持ちそれを含めた全体の径は 56m を測る。主体部は未発掘ではあるが恐らく横穴式石室を持っているであろう。
御覧になってお判りの様に形状が兜に似ているのでその名がある(大谷翔平がかぶるのでアメリカでも有名になったのは賢明なる読者諸氏もご存知であろう)。
6世紀中頃から後半にかけて築造されたものと思われる。近くに九州最大級の 甲塚方墳 があることを付け加えておこう。

 

彦徳(けんどく)甲塚古墳位置

 

当該ブログの記事は令和5年10月22日から28日までである。

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