街道を歩く

今まで歩いた街道、町並み、これから歩く街道、町並みを散文的に紹介

善一田古墳群 18号墳 (福岡県)

2023-08-16 00:10:00 | 福岡 古墳フォトチャンネル

善一田古墳群 18号墳 (福岡県)

 

 

善一田古墳群中で初現の古墳であり、尚且つ最大級の円墳である。6世紀後半に築造されている。被葬者は聖徳太子が活躍した頃、はたまた遣隋使派遣の頃と思われ、地域的に言っても時代の流れにのって活躍したのではなかろうか。副葬品についてやはり馬具、武具の類いが多いようである。やはりこの地域の首長になるべくしてなった者であろう。墓の規模と言い石室の造りからそう思えるというものである。

 

善一田古墳群 18号墳位置

 

当該ブログの記事は令和5年8月5日から15日までである。

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善一田古墳群 19号墳 (福岡県)

2023-08-04 00:10:00 | 福岡 古墳フォトチャンネル

善一田古墳群 19号墳 (福岡県)

 

 

7世紀初頭に築造された 径 11m を測る円墳である。16号墳17号墳 も同じ時期に築造されているようで、短い間に何か起きたのか・・・うーむ。この地域の首長であることは間違いあるまいが・・・
周辺から検出された須恵器の状況もほとんど同じとみていいだろう。
大和政権の下で活躍はしたのだろうことも間違いはあるまい。

 

善一田古墳群 19号墳位置

 

当該ブログの記事は令和5年8月1日から3日までである。

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善一田古墳群 17号墳 (福岡県)

2023-07-31 00:10:00 | 福岡 古墳フォトチャンネル

善一田古墳群 17号墳 (福岡県)

 

 

7世紀前半に築造されている。当該古墳群には9基の円墳がある。その内 16号墳 から19号墳 が持つ石室を見学することが出来る。この 17号墳は 径 9mを測る。

御覧の様に天井石など両側壁の上部を失っている。石室の崩壊を防ぐためか床や石室周囲をコンクリートで固めている。鉄刀が検出されているが半島由来か倭製(埋葬者の地元)か書かれていないのが残念である。大和政権に組み入れられたであろうが・・・
遣隋使派遣の頃であるから付随して何らかの活躍をしたのではなかろうか。

 

善一田古墳群 17号墳位置

 

当該ブログの記事は令和5年7月27日から30日までである。

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善一田古墳群 16号墳 (福岡県)

2023-07-26 00:10:00 | 福岡 古墳フォトチャンネル

善一田古墳群 16号墳 (福岡県)

 

 

善一田古墳群9基 横穴式石室を見学できる4基の中で東端にある。奥壁、左右両壁にそれぞれ腰石を用いている。玄室はそれほど広くはない。径 11mを測る円墳である。7世紀初め頃に築造されたとあって丁度聖徳太子による遣隋使派遣の頃と重なるのではなかろうか。那の津にも近くその様な意味合いでは交流に力を発揮したかもしれん。副葬品が少し貧弱なのが気になるところだな。

 

善一田古墳群 16号墳位置

 

当該ブログの記事は令和5年7月21日から25日までである。

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善一田古墳群 (福岡県)

2023-07-20 00:10:00 | 福岡 古墳フォトチャンネル

善一田古墳群 (福岡県)

 

 

現状は10号墳から19号墳まで9基の円墳からなる古墳公園である。その内 16号墳から19号墳 までが主体部である横穴式石室を持っている。それらはすべて開口しており石室内部を窺うことが出来る(入ることは出来ないけれど).

13号墳 14号墳 も主体部はあるのだが・・・恐らくは現在見ることの出来る円墳には横穴式石室を持つのだろうが。今回は足を踏み入れることが出来なかった。

説明によると6世紀後半から7世紀後半まで奥津城として営まれていたという。アジア(あまりに広範囲である)との交流があったと書かれてあるがこの地域だけでは無理がある。やはり大和政権との強い繋がりが無ければその様なことは出来ないだろう。とは言え交流と言う意味では活躍したことに間違いはあるまい。奴国との繋がりや宇美国なども考えられるのではないだろうか・・・面白い地域である。
そうそう 次男がガンプラを手に入れるため ガンダムパークららぽーと)に行くと言うのでついでに寄ってもらった。今では車を持たないので感謝感謝である。

 

善一田古墳群位置

 

当該ブログの記事は令和5年7月5日から19日までである。

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月岡古墳 (福岡県)

2023-06-20 00:10:00 | 福岡 古墳フォトチャンネル

月岡古墳 (福岡県)

 

 

 日岡古墳 と並んで筑後川流域古墳公開時に見学できる。阿蘇石製の長持形石棺が大事に保存されている。石棺内側には赤色顔料が塗られているとのことだ。浮羽地方では五世紀中頃に築造されており、塚堂古墳日岡古墳 へと続く。ここで少し・・・浮羽の由来を・・「日本書紀」景行天皇 熊襲討伐を目的とし、筑紫を巡行した。・・・南九州から不知火海、八代から八女へと移動し、的邑(いくはのむら)に着いた。この時天皇が食事を摂るのだが、食膳掛が盞(うき 酒杯)を忘れた。そこでこの地を浮羽と言った。筑紫の人々は盞を浮羽と言った。とある。
 ここで少し・・この古墳の主は・・・当該古墳は5世紀中頃に築造されているということから倭の五王の時代の真っただ中であるということだ。

 ここで倭の五王の最初の人物、讃は421年 425年 430年 宋が建国(420年)された翌年に遣使している。遣使については半島出身で、百済との結びつきの強固な者であり、それが筑紫の者であれば魏志倭人伝以来半島との関係を継続していたと思われ、遣使には持って来いの人物であったろう。
 日本書紀 仁徳天皇 12年7月3日 高麗国が鉄の盾、鉄の的を奉った。8月10日には高麗の遣使や群臣百寮を集めて高麗の奉った鉄の盾・的を試した。多くの人が的を射通すことが出来なかった。ただ的臣の祖(いくはのおみのそ)の盾人宿禰(たてひとのすくね)だけが鉄の的を射通した。高麗の客人たちはその弓射る力の優れたのを見て共に起って拝礼をした。翌日、盾人宿禰を褒めて的戸田宿禰(いくはのとだのすくね)の名を賜った。とある。
 日本書紀 仁徳天皇 17年 新羅が朝貢しなかった。秋9月、的臣の先祖 砥田(とだ)宿禰と・・・を遣わして朝貢せぬことを詰問された(兵を率いて新羅に赴いたのであろうか)。新羅人は恐れ入って貢を届けた。・・あわせて80艘であった。とある。この功績によって的臣の先祖 砥田(とだ)宿禰はこれらの貢物の中から下賜されたのではなかろうか。当該古墳の副葬品として大陸、半島系の武具、馬具、装飾品など目を見張るものがあるからだ。大和連合の一員で、かつ相当上位の者であり、当該地域の国王たる存在であったことは間違いはないからな。
浮羽について思いついたことを書いたということだから。

 

月岡古墳位置

 

当該ブログの記事は令和5年6月15日から19日までである。

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日岡古墳 (福岡県)

2023-06-14 00:10:00 | 福岡 古墳フォトチャンネル

日岡古墳 (福岡県)

 

 

筑後川流域古墳公開時に見学出来る。別に歴史資料館に申し出ることによっても見学は可能である。なぜ常時見学できないのかと言うとご存じのように装飾古墳であるからだ。しかも幾何学文様で、その彩が赤と緑(青)で際立っているのである。石室を上から覗くのだが天井石が落下している。あまりにも素晴らしい装飾であるので一度は訪れて見てもらいたい。また、すぐ近くには 月岡古墳 があり、少し北に行けば 塚堂古墳 もある。これらすべてが前方後円墳である。
6世紀中頃までに築造されていることを書いておかねばな。
それと、塚堂古墳 月岡古墳 日岡古墳 の3基で若宮古墳群を形成する。

 

日岡古墳位置

 

当該ブログの記事は令和5年6月7日から13日までである。

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妙覚古墳 (福岡県)

2023-06-06 00:10:00 | 福岡 古墳フォトチャンネル

妙覚古墳 (福岡県)

 

 

石室しか残っていない円墳である。朝田古墳群 に属し 塚花塚 や 楠名 重定古墳 が目と鼻の先にある。装飾古墳に囲まれているので恐らくはそうではなかったのかと思われるが・・・写真に写っている方はこう言う「これ私の古墳よ」と。この地方だからこれが普通かな。当該古墳には案内や説明は無いのでそのつもりで。

 

妙覚古墳位置

 

当該ブログの記事は令和5年5月29日から6月5日までである。

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塚花塚古墳 (福岡県)

2023-05-28 00:10:00 | 福岡 古墳フォトチャンネル

塚花塚古墳 (福岡県)

 

 

人家の庭にあるので入ることは出来ない(断りを言えばいいのかもしれないがな)。朝田古墳群中(群中心となる 法正寺古墳)の一つで装飾古墳であるため石室にも入ることが出来ないので説明看板を見て頂きたい。現代人の絵よりも古代人の本物の絵の方が良いに決まってるけれどもね。そうそう、説明には築造時期が書かれてないようなので・・・6世紀中頃だぞ。重定(前方後円墳)楠名(円墳)も近いぞ。そうそう、「これ私の古墳よ」(妙覚古墳)なんか目と鼻の先だから。賀茂神社古墳群から直線距離で200mほどかな。

 

塚花塚古墳位置

 

当該ブログの記事は令和5年5月25日から27日までである。

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賀茂神社古墳群 (福岡県)

2023-05-24 00:10:00 | 福岡 古墳フォトチャンネル

賀茂神社古墳群 (福岡県)

 

 

浮羽地方にあってこの様な小さな円墳群は珍しいと言っていいだろう。この古墳群は案内も無ければ説明もない。主体部などを見ることが出来ないのは残念だが、当時この周辺に住んでいた有力者家族の群集墳だったのだろうな。いい感じで保存されている。6世紀後半から7世紀初期のころまで営まれたのではなかろうか。

 

賀茂神社古墳群位置

 

当該ブログの記事は令和5年5月21日から23日までである。

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