街道を歩く

今まで歩いた街道、町並み、これから歩く街道、町並みを散文的に紹介

埼玉古墳群 (埼玉県) 築造3番目

2022-09-25 00:10:00 | さきたま古墳群

誰もがご存じの 丸墓山古墳 である

古墳を知らなくても ある歴史はご存知である

二子山古墳に次いで 3番目に築造されたのは 愛宕山古墳である ただその写真がない 

愛宕山古墳は 全長 53m の前方後円墳で 稲荷山古墳築造形式を踏襲している 

愛宕山古墳と築造時期を同じにする 丸墓山古墳 全国第1位の座からは陥落したけれど最大級の円墳であることは既にご存知である 高さは19mを測り 径は105m ちなみに 第1位は 富雄丸山古墳で 径 109m

被葬者はこれほどの古墳を築造させる力を持っていた・・・前方後円墳を造らせていれば 160m いや 170mにもなり東日本最大級になっただろう いや円墳でも十分 久しく第1位の座にいたのだからな

石田三成よりも前に 忍城を攻撃したのは 誰あらん 長尾景虎 そう 上杉謙信 である ただ落とせなかった

思案しただろうな このとき丸墓山古墳に登り 忍城を眺めると城を落すことが困難だと悟ったのである そこで城下を焼き払ってしまった それに耐えきれなかったのだろうな 忍城城主成田長泰は景虎の軍門に降ったのである

丸墓山古墳 フォトチャンネル

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埼玉古墳群 (埼玉県) 築造2番目

2022-09-24 00:10:00 | さきたま古墳群

群中 武蔵国の範疇 最大の前方後円墳である 全長 138m 二子山古墳

残念ながら発掘調査が行われていないので埋葬施設 副葬品は検出されていない

 

ご覧になってお判りのように 稲荷山古墳 築造形式を踏襲している

被葬者は 乎獲居の系譜になるのか 血族か どちらにしても大和政権との連合国として関係を強めていたであろう

杖刀人首として仕えただろう でなければこれだけの規模の古墳は築造できまい

二子山古墳 フォトチャンネル

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埼玉古墳群 (埼玉県) 築造1番目

2022-09-23 00:10:00 | さきたま古墳群

説明による 土取りによって後円部だけしか残っていなかった 幸いなことに 礫槨と粘土槨が検出している

完全な姿と言っていいだろう 前方部の復元と 全体の修復が見事になされたのである しかも登ることが出来るぞ

礫槨内部の様子である 埋葬された者は恐らく獲加多居鹵大王に仕えた乎獲居であろう 後円部の中心ではなく少し外れているので主体部埋葬の後に追葬されたのである また 粘土槨の被葬者は 乎獲居の関係者だろう

朝鮮半島由来の副葬品であろう しかし何と言っても 「辛亥年」が記された 金錯銘鉄剣 の発見である

5世紀半ばから後半にかけての時代を垣間見ることが出来る凄いものを残してくれたのである

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埼玉古墳群 (埼玉県) 築造1番目

2022-09-22 00:10:00 | さきたま古墳群

特別史跡 埼玉古墳群 勿論 丸墓山古墳 が有名だろうが・・・やはり 稲荷山古墳 である

地図の見方を正しくした

古墳群中 最初に築造されたことは すべての方がご存知である

埼玉古墳群は稲荷山古墳から始まったのである

稲荷山古墳 フォトチャンネル

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埼玉古墳群 (埼玉県)

2022-09-21 00:10:00 | さきたま古墳群

中の山古墳 東側前方部裾 から後円部を見る

後円部から前方部を見ている 埼玉古墳群 の東の端にあたる

東隣に 戸場口古墳跡 が近接しているのだが この周堀が 中の山古墳の周堀の一部に食い込んでいる

主体部は確認されていないのだが石棺が検出されている 築造時期から見ても横穴式石室を持っていたのではないかと想像される

所在する8基の前方後円墳の主軸が全て同じ方向を向いている 乎獲居のように杖刀人首を引き継いで大和政権との強力な関係を築き大王を補佐したであろう あと40年ほどを経ると 大化の改新だ

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埼玉古墳群 (埼玉県)

2022-09-20 00:10:00 | さきたま古墳群

将軍山古墳 に次いで8番目に築造された 群中 最後の前方後円墳 中の山古墳 である

全長 79m を測り 大きさでは群中5番目の規模である やはり前方部が後円部より少し高い

また 稲荷山古墳築造形式を踏襲している 埼玉古墳群 は 稲荷山古墳 から始まり 中の山古墳 で築造は終わる

周辺に数基の古墳があるけれど・・・大型の前方後円墳は造られなくなる

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埼玉古墳群 (埼玉県)

2022-09-19 00:10:00 | さきたま古墳群

将軍山古墳 半壊の状態ではあったが 運よく横穴式石室 副葬品が残っていた 朝鮮半島由来の副葬品で目を見張るものがある

造出しの状況がよく判る しかも埴輪まで立ててくれている この方向から見るのが正面だったろう

何方が後ろで どちらが前 ということは無いと思う

後円部には主体部(ここでは横穴式石室だが) また 前方部に木棺が直葬されていたことが判っている

主体部に埋葬された者と関係があったのだろうな 西側前方部裾から見ている

見事に復元修復されていることに感謝である

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埼玉古墳群 (埼玉県)

2022-09-18 00:10:00 | さきたま古墳群

奥の山古墳に次いで 7番目に築造された 将軍山古墳 説明を見てもお判りの様に 稲荷山古墳築造形式を踏襲している 築造時期は6世紀後半で群中 最初の横穴式石室を採用している 

しかも 副葬品は朝鮮半島由来の品々の様だ 馬胄の写真が載せられているが これと同様のものが 和歌山県大谷古墳 からも検出されている 

この時期は 継体天皇が活躍する時代でもある 被葬者は大和政権との強いつながりを維持していたということである

造出し 墳丘上にも埴輪が樹立している 全長 90m の前方後円墳で 群中では4番目の大きさである

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埼玉古墳群 (埼玉県)

2022-09-17 00:10:00 | さきたま古墳群

奥の山古墳 の 周堀 中堤 ニキビの様な張出が西側括れ部近くに設けられている

奥の山古墳だけ周堀等が所謂 盾形である それを除けば 稲荷山古墳築造形式を踏襲していると言っていいだろう

説明図にあるように前方部西側の裾近くから盾持人埴輪が検出されている

これと同様の盾持人埴輪が宮崎県新田原古墳群 百足塚古墳(前方後円墳) 福岡県筑前町 仙道古墳(円墳) からも出土している 遠い所で同じようなデザインのものを見るなんて・・・うーむ

全長 66m を測るが群中では2番目に小さい 小さいとは言ってもここでの話である 

6世紀中頃の築造か 

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埼玉古墳群 (埼玉県)

2022-09-16 00:10:00 | さきたま古墳群

瓦塚古墳 に次いで6番目に築造された 奥の山古墳 秀麗な前方後円墳である 向うに見える古墳がそうだ

手前は 東側から見ている 鉄砲山古墳 前方部である

後円部を見ている 古墳群を見る限り修復復元された古墳ばかりなのだが これほどにも素晴らしく修復復元してくれた方々に感謝である 感謝してもし足りないかもしれないな

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