街道を歩く

今まで歩いた街道、町並み、これから歩く街道、町並みを散文的に紹介

埼玉古墳群 (埼玉県)

2022-09-05 00:10:00 | さきたま古墳群

埼玉古墳群を形成する 最初に築造された稲荷山古墳

丸墓山古墳の東隣に所在する 見渡すには持って来いである 丸墓山古墳同様登ることが出来るぞ

被葬者は大和の大王に杖刀人首として仕えていたから自分の墓もそれに倣ったのであろう

ただ周堀、中堤などの形状は長方形で そこは少し異なる 副葬品なども大和のそれと同様で朝鮮半島からもたらされたものであろう 武具 馬具 武器 装飾品などがそうである

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

埼玉古墳群 (埼玉県)

2022-09-04 00:10:00 | さきたま古墳群

天祥寺  愛宕山古墳 後円部の直ぐ北側に建立されている 忍藩主松平家の菩提寺である

説明を読んで頂きたい     

当然ながら 葵の御紋

写真は 「日本通信教育連盟 発行 城と城下町 東の旅」から抜粋

1823年 松平忠堯が入封し4代を経て明治維新を迎える

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

埼玉古墳群 (埼玉県)

2022-09-03 00:10:00 | さきたま古墳群

賢明なる読者諸氏はもう見飽きただろうな

賢明なる読者諸氏ならばもう頭の中に入っているだろうな 「辛亥年」銘入り鉄剣が目に付く

副葬品などは殆ど大和政権下の古墳群から検出されているものと似ている 朝鮮半島から入って来たものだろう

目の前にある案内板の後ろは愛宕山古墳の周堀である

愛宕山古墳の写真は無いが 二子山古墳に次ぎ3番目に築造されており6世紀前半から中頃である 丸墓山古墳もこの時期に築造されている

全長 53m を測る前方後円墳で古墳群中にあっては最小である それでも稲荷山古墳の築造形式を踏襲している

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

埼玉古墳群 (埼玉県)

2022-09-02 00:10:00 | さきたま古墳群

めざせ甲子園と言った中学の同級生が数人いたが・・・高校の野球部に入って1ヶ月もせずに挫折してしまった

それまで野球なんてやったことがなかったのだから無理だと言ったのだが・・・それでもいまだに友人だ

ここはそんなことはなかろうが・・・頑張って頂きたい

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

埼玉古墳群 (埼玉県)

2022-09-01 00:10:00 | さきたま古墳群

JR東日本 高崎線 吹上駅 埼玉県鴻巣市吹上 普通列車のみの停車駅である 

埼玉古墳群への玄関口の一つと言えるのだろう

長男は徒歩で向かっている なんと有難いことか

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

浅間塚古墳 戸場口古墳 (埼玉古墳群)

2022-08-31 00:10:00 | さきたま古墳群

浅間塚古墳 戸場口古墳 (埼玉古墳群)

 

 

白山古墳 八幡山古墳 と築造時期を同じくする。7世紀前半
径 50m程を測る大型の円墳である。墳頂に前玉神社、中腹に浅間神社が祀られている。発掘により幅10mの周溝が巡らされていることが確認出来ている。これらかすると丸墓山古墳の二分の一の大きさで、縮小版ともいえる。古墳時代の終焉を迎える時期であった。主体部は恐らく横穴式石室を持っていただろう。
このあと何年かすると・・・大化の改新が・・・

 

戸場口古墳跡(2枚の写真)
残念ながら1918年に削平されてしまって、今では古墳跡ということである。1辺40mの大型方墳であった。九州でもこれほどの古墳は1基か2基である。しかも2重の周濠を持ち、その1部は中の山古墳の周堀に食い込んでいたと言う。7世紀前半に築造されおり、土取りによって石材、石棺が確認されていることで横穴式石室を持っていたことが判ると言うものである。
時代は大化の改新が目の前であった。

 

浅間塚古墳位置

 

戸場口古墳位置

 

当該ブログの記事は令和4年8月26日から30日までである。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

戸場口古墳 (埼玉古墳群) 完

2022-08-30 00:10:00 | さきたま古墳群

戸場口古墳跡(2枚の写真)
残念ながら1918年に削平されてしまって、今では古墳跡ということである。1辺40mの大型方墳であった。九州でもこれほどの古墳は1基か2基である。しかも2重の周濠を持ち、その1部は中の山古墳の周堀に食い込んでいたと言う。

7世紀前半に築造されおり、土取りによって石材、石棺が確認されていることで横穴式石室を持っていたことが判ると言うものである。
時代は大化の改新が目の前であった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

浅間塚古墳 (埼玉古墳群) 完

2022-08-29 00:10:00 | さきたま古墳群

なんとなく古墳だと言う感じは伝わるようだな

前玉神社は鳥居を潜って石段を登って行くのだろうな もうそこが墳丘だろう 

この位置が浅間神社の境内なのだろうな

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

浅間塚古墳 (埼玉古墳群)

2022-08-28 00:10:00 | さきたま古墳群

このコンクリートブロックで囲まれた小丘陵が古墳本体であろう 50mを測る大円墳だったことが判っている

浅間塚古墳墳頂に祀られているのが 前玉神社である 残念ながら殆ど古墳の原形を留めていない

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

浅間塚古墳 (埼玉古墳群)

2022-08-27 00:10:00 | さきたま古墳群

この案内図には残念ながら載せられていない 大型の古墳と 有名な古墳の名が揚げられている

白山古墳 八幡山古墳と築造時期を同じにする 7世紀前半である 径約 50m を測る 大型の円墳である

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする