街道を歩く

今まで歩いた街道、町並み、これから歩く街道、町並みを散文的に紹介

浅間塚古墳 (埼玉古墳群)

2022-08-26 00:10:00 | さきたま古墳群

これが埼玉古墳群最後の探訪である 中の山古墳のすぐ北に前玉神社が創建されている

その基礎にあるのが浅間塚古墳である

この案内図では前玉神社の名前は載っていない 浅間塚古墳の名前が載せられている

それに鳥居も書かれてあるし 本殿のような建物も描かれている 

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中の山古墳 (埼玉古墳群)

2022-08-25 00:10:00 | さきたま古墳群

中の山古墳 (埼玉古墳群)

 

 

埼玉古墳群を形成する前方後円墳8基中最後に築造された。6世紀末~7世紀初めに築造されている。全長79mを測る。二子山古墳を先頭にして5番目の大きさである。稲荷山古墳築造形式を踏襲していることが確認されている。他の古墳のように埴輪は確認できていないが全国的にも珍しい須恵質埴輪壺形は出土している。終末期の前方後円墳には埴輪が付設されなかったようである。また主体部は確認されていないのだが石棺が検出されている。恐らくは横穴式石室を持っていたのではないかと想像される。所在する8基の前方後円墳の主軸が全て同じ方向を向いている。稲荷山に倣ったのだろう。そして乎獲居のように杖刀人を引き継いで大和政権との強力な関係を築き大王を補佐したのであろう。

 

中の山古墳位置

 

当該ブログの記事は令和4年8月18日から24日までである。

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中の山古墳 (埼玉古墳群) 完

2022-08-24 00:10:00 | さきたま古墳群

うーむ 当たり前なのだがな・・・東側の後円部の裾である

長方形で 内堀 中堤 外堀 が巡らされている 所謂 稲荷山古墳築造形式を踏襲している

また 主軸が 当該古墳群に所在する前方後円墳8基すべて同じ方向を向いている 稲荷山古墳に従っていると言っていい 杖刀人として大和政権と繫がって大王を補佐したのであろう

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中の山古墳 (埼玉古墳群)

2022-08-23 00:10:00 | さきたま古墳群

後円部である 宅地と古墳公園との境がはっきりしていないようだな この様な状況で世界遺産はどうなのかな

文化遺産でも良いと思うがな・・・うーむ

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中の山古墳 (埼玉古墳群)

2022-08-22 00:10:00 | さきたま古墳群

前方部より回り込んで東側面に向かっている

前方部裾画面右側が後円部である 6世紀末~7世紀初めに築造されたとするから 横穴式石室を持ったのではないかと想像できるのだが・・・うーむ 崩壊が激しかったということで検出されていなくて・・・石棺が存在したと言う

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中の山古墳 (埼玉古墳群)

2022-08-21 00:10:00 | さきたま古墳群

中の山古墳の西側から見ている 画面左が後円部である 陽もだいぶ傾いた

埼玉古墳群に所在する前方後円墳は総て前方部が後円部より1m程高い 5世紀中頃から後半にかけて大和政権関係が築造する前方後円墳は前方部が後円部より少し高いのが殆どである

その流行を取り入れているのかもしれん ただ周堀を形成する形は盾形ではなく 内堀 中堤 外堀 で墳丘を方形で巡らせている 奥の山古墳は盾形ではあるが

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中の山古墳 (埼玉古墳群)

2022-08-20 00:10:00 | さきたま古墳群

左の矢印は 北側へ向かう 長男はまず初めに丸墓山古墳に向かった 右への矢印は南側だ

同じ方向なのだから 中の山古墳 の名前も書けばいいのにな

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中の山古墳 (埼玉古墳群)

2022-08-19 00:10:00 | さきたま古墳群

賢明なる読者諸氏ならばもう見慣れた感がするだろうな・・・申し訳ないな・・・もしかしたらだが 世界遺産になるやもしれんから 今のうちにすべて覚えておいていただきたいと思っているのだが

まあ今更ながらかもしれんが 前方後円墳の主軸が同じ方角を向いている 何を意味するのか やはり稲荷山古墳の被葬者の後継者であることを示しているのだろうな 規模は違えども稲荷山古墳築造形式を踏襲しているからな

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中の山古墳 (埼玉古墳群)

2022-08-18 00:10:00 | さきたま古墳群

いよいよ終りに近づいて来た なにか寂しさを感じている我輩がいる・・・うーむ

奥の山古墳 の東隣に位置する 埼玉古墳群中にあって最後に築造された前方後円墳である

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奥の山古墳 (埼玉古墳群)

2022-08-17 00:10:00 | さきたま古墳群

奥の山古墳 (埼玉古墳群)

 

 

墳丘全長 66mの前方後円墳で埼玉古墳群中では二番目に小さい古墳で、二子山古墳の半分ほどである。しかしながら二重の周堀と中堤を持つ、所謂 稲荷山古墳の形式を踏襲していると言っていい。西側括れ部より後円部寄りに張出部(造出しではないそうだ)が設けられており、そこでは祭祀が行われたようである。また特殊な埴輪が検出されていて、それが盾持人埴輪である。この埴輪は 福岡県筑前町仙道古墳  宮崎県新田原古墳群 百足塚古墳 からも同様の埴輪が検出されており、大和政権との強力な繋がりが考えられるのではないかと言われている。この様な埴輪の検出から6世紀前半から中頃にかけて築造されたものと見られている。主体部は検出されていないようだ。名前の由来は東側から見ると一番奥にあるからだそうだが・・・稲荷山古墳から見ると一番奥にあるからと言ったほうが判りやすいと思うのだがな。

 

奥の山古墳位置

 

当該ブログの記事は令和4年8月9日から16日までである。

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