向うに見えるのは鉄砲山古墳の前方部である やはり奥の山古墳も前方部が後円部よりも少し高い 流行だったのかな
張出部と書かれてある 造出しとの違いは判るのだが・・・何故こんな中途半端なものを設けたのだろうか・・・はー
向うに見えるのは鉄砲山古墳の前方部である やはり奥の山古墳も前方部が後円部よりも少し高い 流行だったのかな
張出部と書かれてある 造出しとの違いは判るのだが・・・何故こんな中途半端なものを設けたのだろうか・・・はー
奥の山古墳 前方部西の裾で検出された盾持人埴輪 人と盾を一体化している
福岡県筑前町 仙道古墳検出の盾持人埴輪 やはり人と盾が一体化されている
宮崎県新田原古墳群 百足塚古墳検出の盾持人埴輪 やはり人と盾が一体化されている
こうして見ると場所は違えど作風の考え方が同じと言うのは面白く 何か手本となるものがあったのか・・・地方独自なのか それが偶然にも同じような形状になったのか
手前は鉄砲山古墳の前方部である
稲荷山古墳の形式を踏襲しているが判るのではないか 只 西側面に造出しではなく張出部(と言うらしい)が括れ部付近後円部寄りにニキビのように見えるが設けられている ここで祭祀が行われたようである また説明を読むと珍しい埴輪が検出されている 盾持人埴輪である この埴輪は 我輩が訪れた 福岡県筑前町 仙道古墳 宮崎県新田原古墳群 百足塚古墳 でも検出されている
もう既に地図が頭の中に入っている読者も多々おられよう
地図では北が上にならねばならないのだが・・・案内図を作りにくかったのだろうな 北の方角は画面左を向いている
何を今更と言う賢明な読者諸氏もおられよう・・・
鉄砲山古墳 (埼玉古墳群)
埼玉古墳群を形成する前方後円墳8基のうちの1基である。墳丘全長 109m やはり前方部(9.5m)が後円部より1mほど高く、当時の流行のように思える。周堀を含めた全長は 163mを測る。これは埼玉古墳群中3番目の大きさで、二子山古墳の縮小版と言われている。ということは稲荷山古墳築造の形式を引き継いでいるということでもある。但し、発掘から判ったことがあって、当古墳の周堀が・・・一部ではあるが三重目の堀が確認されているということである。三重の堀を持つ古墳としては、私が足を運んだ福岡県久留米市の南に所在する御塚古墳(前方後円墳)、福岡県うきは市に所在する月岡古墳(前方後円墳)がある。
また、稲荷山古墳、二子山古墳同様 中堤から外に向かって大きな造出しが設けられている・・・これでお判りの様に稲荷山古墳形式を踏襲していることが理解できると思う。被葬者は乎獲居の系譜を引き継ぐ者であり、大王の傍で仕えていたのだろうな。
埋葬施設は横穴式石室だろうが残念ながら発掘されてはいない。
名前の由来は あの忍藩の砲術演習所があったことからそう言われている。
当該ブログの記事は令和4年7月31日から8月7日までである。
東側から見ている 手前は奥の山古墳である やはり方形の周堀を持ち中堤がある 向うに鉄砲山古墳
良い眺めだろ
西側からである 手前は奥の山古墳 向うが鉄砲山古墳