街道を歩く

今まで歩いた街道、町並み、これから歩く街道、町並みを散文的に紹介

持田古墳群 (宮崎県)

2018-09-08 00:10:00 | 宮崎 古墳フォトチャンネル

持田古墳群(宮崎県)

 

 

素晴らしい古墳群であることを先に断っておこう。この古墳群は4世紀中頃から6世紀後半ころまで継続した奥津城であった。前方後円墳は12基を数え初期に築造された48号墳はバチ形で椿井大塚と同笵とされる三角縁神獣鏡が検出されている。大和との連合国であることがこれで判ると言うものである。48号に間髪を入れずに築造された1号墳(柄鏡式)は計塚と呼ばれ地域最大で100mを超す。持田古墳群としては別地区にも拡がりがあることを告げておこう。

 

持田古墳群位置

 

当該ブログの記事は平成25年(2013)2月21日から4月1日までである。

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川南古墳群 (宮崎県)

2018-09-07 00:10:00 | 宮崎 古墳フォトチャンネル

川南古墳群(宮崎県)

 

 

ここに自転車を持って行き走り回った。総数59基のうち約半数の24基もの前方後円墳がある。4世紀中頃から6世紀末にかけての奥津城である。この地域に最初に現れる39号墳が110mで最大であり、これ以降縮小されていく。少し離れたところに茶畑があるがその中にも前方後円墳と円墳が存在する。

 

川南古墳群位置 

 

当該ブログの記事は平成25年(2013)1月16日から2月6日までである。

 

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茶臼原古墳群 (宮崎県) 2012

2018-09-06 00:10:00 | 宮崎 古墳フォトチャンネル

茶臼原古墳群(宮崎県)2012

 

 

児屋根塚の前の道を500m〜700m位道なりに進めば左手の茶畑の中に円墳が点在する。形状はパンケーキのようで、高みのある墳丘を持つ古墳ではない。宮崎地域の古墳の特徴は地下式横穴墓あるいは地下式板石積石室墓といった地域独特の墓制である。畑の中にあるので近くに寄ることが出来ないので道路べたから眺めてもらいたい。交通量が少ないのでゆっくりできるが邪魔にならないように。

 

茶臼原古墳群位置

 

当該ブログの記事は平成24年(2012)12月17日から24日までである。


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児屋根塚古墳 (宮崎県) 2012

2018-09-05 00:10:00 | 宮崎 古墳フォトチャンネル

児屋根塚古墳(宮崎県)2012

 

 

茶臼原古墳群中前方後円墳3基のうちの1基で、5世紀前半に築造されている。その後方部に陪塚と思われる馬糞のような円墳がある。周溝を持っているのだが現状では確認できない。ご存じの様に周囲に古墳群が集中している。同規模の前方後方墳が築造されていることも確認されていて只一人の首長が統治していたのではないことも判っている。面白い場所だし良いところである。

 

児屋根塚古墳位置

 

当該ブログの記事は平成24年(2012)12月10日から16日までである。

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川南茶畑古墳群 (宮崎県)

2018-09-04 00:10:00 | 宮崎 古墳フォトチャンネル

川南茶畑古墳群(宮崎県)

 

 

川南古墳群の北西に近接して前方後円墳と円墳がある。これと言って案内がある訳でもなく説明看板もない。主体部は地下式なのだろうから円墳はパンケーキの様で高塚ではない。2基の前方後円墳があるが小形のものが前に倣えをしているかのように主軸が同一直線上にあるようだ。

 

川南茶畑古墳群位置

 

当該ブログの記事は平成25年(2013)2月7日から20日までである。

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千畑古墳 (宮崎県)

2018-09-03 00:10:00 | 宮崎 古墳フォトチャンネル

千畑古墳(宮崎県)

 

 

茶臼原児屋根塚よりもなお一ツ瀬川を遡る。一番奥にある前方後円墳である。前方後円墳と言われるがその形状を確かめるには厳しさがある。写真を御覧になってお判りの様に石室を持つ。この地域に在って石室を見ることの出来る古墳はざらに無い。6世紀中頃から後半にかけての築造と思われる。正面には小さな円墳が田んぼの中にある。また、専用駐車場があるのが嬉しい。来て見てごらん。

 

千畑古墳位置

 

当該ブログの記事は平成24年(2012)12月25日から翌年1月10日までである。

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南方古墳40号 (宮崎県)

2018-09-02 00:10:00 | 宮崎 古墳フォトチャンネル

南方古墳40号(宮崎県)

 


 

御覧になるとお判りになるだろうが、位置的に言って古墳群から独立している。南方古墳群の築造はは5世紀に集中しているのが特徴で、後半に拡がっていることもそうである。この40号には登れそうもなく主体部も判明しない。まあしょうがないか。未指定1基を含めて全部で42基あり、この40号のみ横穴墳である。
42号も横穴墳であったが西階総合グランド敷地造成のために消滅している。

 

南方古墳40号位置

 

当該ブログの記事は平成25年(2013)4月2日から6日までである。

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常心塚古墳 (宮崎県)

2018-09-01 00:10:00 | 宮崎 古墳フォトチャンネル

常心塚古墳(宮崎県)

 

 

7世紀前半(初頭)に築造されたであろう方墳である。日向にあって300基を超す古墳を有する西都原でさえ僅かに1基しか確認されていないものである。我輩が訪れたのは5月の初めだが・・・(写真を御覧になっていただくとお判りだろうが)既に足を踏み入れることが出来ないような状況であった。しかも周囲が畑で、うーむ、長居は無用だぞ。

 

常心塚古墳位置

 

当該ブログの記事は平成24年(2012)6月19日から23日までである。

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木城村古墳 (宮崎県)

2018-08-31 00:10:00 | 宮崎 古墳フォトチャンネル

木城村古墳(宮崎県)

 


 

茶臼原から川南へ移動する途中にあるのだが別に案内もない。小さな円墳だが史跡は史跡である。古墳の大小で価値が測れるものではない。写真を撮っていると近くにいた人が不思議そうな顔をして我輩を見るのだが目と目が合ったら顔を避けてしまった。

 

木城村古墳位置

 

当該ブログの記事は平成25年(2013)1月11日から15日までである。

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松本塚及び周辺古墳群 (宮崎県) 2012

2018-08-30 00:10:00 | 宮崎 古墳フォトチャンネル

松本塚及び周辺古墳群(宮崎県)2012

 

 

西都原古墳群から南西方向にあり、道路の傍らに斜めに横たわる綺麗な前方後円墳である。近接して小さな円墳が数基ある。恐らくは松本塚に埋葬された人物を盟主と仰いだ者たちの陪塚であろう。周溝を巡らせその全長は140mを超す規模である。どの方向からも見ることが出来るので秀麗な姿を堪能することが出来る。おっと、5世紀後半、末期に築造されたであろう。

 

松本塚及び周辺古墳群位置

 

当該ブログの記事(松本塚)は平成24年(2012)6月24日から29日までである。

       周辺古墳群 は平成24年(2012)6月30日から7月8日までである。

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