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小正西古墳(おばさにしこふん)と読む。ご覧のように葺石で覆われた円墳である。ご覧になってなにか違和感を感じないだろうか。それは柵で囲まれて檻の中に入れられていることなのである。
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この古墳は住宅街の中に在り公園化されている。そう、いたずらがあまりにも多いのである。埴輪に紙切れや小枝を入れ、そこで焚き火をするのである。更には葺石を這い上がり足で蹴って石を剥ぎ落とすのだ。それらが原因となりこのような光景を見せられるはめになったのである。自分達が住んでいる中に歴史が目の前にあるのにも関わらず大切にしようとせず下らない遊び場にしてしまうなどもってのほかとしか言いようが無い。柵を巡らすことで良しとしてしまうのは寂しいことでもある。
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雨に濡れた内田三連橋である。石がしっとりと濡れていい味を見せている。
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説明文を読んでみると下流側が未完成である理由がよくわかる。筑豊地方の石炭と言えば教科書でもおなじみであろう。石炭輸送のための複線化である。ご存知かもしれないが九州でも複線化されたのは筑豊本線(若松~原田)(現在は福北豊線と改名しているのだが)が最初である。
石炭輸送のため線路網を張り巡らせてきたが、ご存知のように石炭の時代は終末をみた。張り巡らせた路線は廃止となり、道路になってしまった。
過去この路線は田川線であったが、廃止の声が上がるも第三セクターとして平成筑豊鉄道として残ったのである。ローカル線の好さを色濃く残して、産業遺産は現在も利用されているのである。