この会場で山車は変身するのである。
墳丘のようだ。真ん中に見える大きな石は天井石の様である。以前にも紹介したが、これも古墳で、封土を採られ、石室は崩壊し、またづら側壁などの石も盗られてしまったのだろう。お墓を造るのには手ごろな土盛りだったのだろうな。
お墓が造られた事によってこの状態で残ることが出来たのかも知れん。
前田あたりから山に向かう。だらだらとした上り坂がしばらく続く。峠を超えると道は狭くなるとともに急な下り坂になる。
降りるやいなや見慣れた光景に出くわすのである。山陽道は長府に入っている。おっと、ここは功山寺である。
羨道上部、鴨居にあたる楣石が抜かれている。まああれもこれも抜かれていると言ってしまえるのだが。
ここからでは大きな石が見えず小さな石を根気よく積み上げて側壁を築造している。しかも袖石らしきものも見えず大きな楣石を小さな石積みで支えている。ここの石室の造りは他のそれとは相当に異なると言ってもよいだろう。