例によって毎年一月十五日 風治八幡宮のどんど焼に行った。毎度のことではあるが母と一緒である。
賢明なる読者諸氏なら写真をご覧になってお判りになるようにあの例の彼の言葉を思い出してしまうのかもしれない。この日を我輩が決めたわけではないのだということを付け加えておかねばなるまい。
しかしながら母の言うことには「やっぱり雨やね」
近くを散歩するときに必ずと言って人の家の庭先を覗き伺うのである。それはあそこの家にはどの時季にどの花が咲き、あそこではこの花が咲くというふうに憶えているからである。道端にしてもそうである。ここにはこれが咲いていたからまた今年も咲くのだろうなと。そう考えながらいつも歩いている。
ところがある家にあった緋寒桜が伐採されて無くなっている。新しく家を建てそこを通路にしてしまったのである。他人の家の桜の木だからどうのこうのは言えないが実に惜しい。中津街道の名物が一つ無くなってしまった。
妻と歩くときも必ず桜を仰ぎ見て写真を撮ったものである。母を誘ってわざわざこの道を通ったものである。
椿は変わらず同じ場所で春を告げているようだし、彩のない冬にあって山茶花には負けるのだが彩色を放っている。