オタマジャクシのように見えるのではないかな。尻尾にあたる部分を円墳の造り出しと言われてきたようでもあるが、そうではなくて周溝を持つ帆立貝式前方後円墳である。ここ清原古墳群(肥後古代の森)には三基の前方後円墳があり、五世紀末あたりから六世紀中ごろまでに築造されている。
近くにはこれより古いと思われる若宮古墳、また、六世紀初頭に築造されたといわれる径18mの円墳で江田穴観音古墳(今回は訪れてはいないが)がある。そのようなことからするとこの地域を治めた首長達の聖域であったようにおもえるのではないかな。
この踏切はあまりにも有名なのだが何故だかお判りだろうか。賢明なる読者諸氏ならば「なるほどそうなのか」と・・・そうこの踏切は開かずの踏切という名を冠している。それを我輩が知ったのは40年も前である。友人がこの近くに住んでいたので遊びに行った時なのだ。この時はまだ跨線橋などは出来ていなくて遮断機が上がるまで車と一緒に待ち、上がるのを待って線路を渡らなければならなかったのである。
長崎本線 白いカモメ 上り博多行
取って返したようにホーンを鳴らしながら長崎本線 白いカモメ 下り長崎行 これで終わりと思っているとツバメ型が入換作業に入る。さらに鹿児島本線下り久留米行の普通電車が入ってくる。それを見ていると今度は上り門司港行快速が発車しようとしている。これでは遮断機は上がらないな。