六世紀半から七世紀前半に築造されているだろう。大雑把だけどね。
主体部があるのかどうかも判らない。恐らく石材は抜かれているのであろう。しかもこの小さな古墳が単独で存在してはいなかったであろう。周囲には数基の古墳群があったと思われる。ことごとく削平され西瓜畑に変わっていっただろうな。
この側面は石室があったと思われる。古墳の半分を見ているのだろう。
令和二年 初詣 須賀神社
我輩が小学生のころよく遊んだ神社である。その頃は神社の由来など興味など無かった。当たり前だろうな。最近になって我輩が生まれた地に帰ってきて久しぶりに散歩がてらに寄ってみた。説明(今まであったかな)を読んでみた。「悪疫を終わらせたくば我が宮を建てよ」無茶苦茶だぜ。ありし日とは全くもって姿が変わってしまったが、時の流れは誰も止められぬ。
当該ブログの記事は令和2年(2020)1月3日から15日までである。