鬼の窟 径45m 三室 16.5m 組合式箱式石棺 6世紀末~7世紀初
笹塚 径66mの基壇の上に径40m 三室 15.2m 組合式石棺 6世紀後半~末
掛木 径30m 三室 13.6m 家型石棺で壱岐唯一刳抜式石棺 6世紀末~7世紀初 追葬あり
兵瀬 径53.5m 三室 12.3m 組合式箱式石棺 6世紀末~7世紀前半 追葬あり
それぞれの開口部を見ていただいている。一つだけ特別のものがあるのがお判りだろう。
以前来たときはこの床に吸殻が落ちていたが今回はそれはなかった。ふざけた最低の奴が来たということだが、古墳好きの人間ではないことを願うのだがな。
そう言えば遠賀川流域古墳公開時夏吉古墳を訪れたとき(枯葉が落ちている山の中腹)に下から上がってくる一組の夫婦とすれ違った。すぐさま注意をした。と言うよりは怒鳴ったな。いい年をした旦那だぜ。
くわえタバコでやってきたのだ。すかさず「おい タバコか」ゲンが悪そうに携帯灰皿で消していたが擦れ違うまで睨んでやったことがあった。マナーはないのか馬鹿者が。
少し整理しておこう。径45m 高さ13m 大型円墳 3室と羨道からなり全長16.5m 長崎県内最長 九州でも屈指の規模を持つ 組合式箱式石棺 6世紀末から7世紀初頭 首長級
これに類似する大型円墳が築造順に笹塚、兵瀬、鬼の窟、掛木がこの地域に集合している。
また、これらの大型円墳の前に築造されるのが長崎県下最大の前方後円墳である双六古墳もこの近くにある。更に約100年前にこの地域の奥津城とされた百合畑古墳群があり、小規模ではあるが前方後円墳が築造されており前記に述べた古墳よりも古いのである。現在壱岐における最古の古墳は大塚山古墳(4世紀後半から五世紀前半と言われている円墳)である。ここには前回訪れている。
凄いの一語に尽きるな。とは言うもののまだすごい古墳があるのだからな壱岐には
壱岐は古墳の宝庫で国王級から首長級、はたまた庶民級の古墳まで揃っている。そう言えば方墳を見ないな。
どうしても見たい古墳があるのだがそれは個人の所有地内だから無理のようなのだ。たまたま通りすがりの方が教えてくれたのだが(その方は壱岐古墳群をよく知っておられる)その古墳に行くのに所有者の庭先まで車で乗り付けて見せてくれなどと余りにも恥知らずなものが多いらしくて見せたくないと言っているとのことであった。しかしながらその古墳は個人のものであって個人のものではない。どうかして自由に見ることが出来ればいいのにと言っていたが今ではそれはまだ難しいようだ。だから家によらずに遠回りで行くことができるらしいとのこと。しかし、そのようなことまでして行くわけにはいかないので必ずその御自宅を訪ねて断りを言ってゆっくりと見てみたいものである。その古墳を兵瀬古墳と言う。
この大きさにはやはり圧倒させられるな。
相変わらず見難く読みにくい説明看板である。
「本古墳は径45m、高さ13mの巨大な円墳で、石室が南に開口している。石室は、前室・中室・玄室の三室と羨道からなる横穴式石室で、全長16.5mを測り、県内では最も長大で九州でも屈指の規模をもつ。玄室には、組合式の箱式石棺の棺材と思われる板石が置かれている。石室内からは、須恵器・土師器、陶質土器、新羅土器が出土し、6世紀末から7世紀初頭に位置づけられる資料である。古墳の規模などから、本古墳は6世紀末頃に築造された首長墓と考えられる。」(長崎県遺跡大辞典より抜粋)
二年かけて走ってもたかがこれぐらいしか走っていない。唐津から船で壱岐に到着し上陸するのは10時30分なので走る時間にしても制限がかかる。また、翌日は今のところ必ず雨にたたられているのでまたしても走る時間に制限がかかっている。
地図をご覧になってお判りのように内陸部だけしか走っていないので次回は海辺の道を走ろうと思う。当然古墳探訪だから行くことが出来なかった古墳に行ってみようとも思っている。
幸神社古墳(長崎 壱岐)
もしかすると中ノ尾古墳か?封土が殆どと言っていい程削られている。それでも石室の名残を見ることができるので小さな円墳だということが出来る。自転車だからこその発見だとも言えるのではないか。
自転車での探訪中になんだか判らないのだが、どこかから見つめられているような気がしてならず、そちらの方に目をやると「幸神社」があるじゃないか。その奥に祠があり・・・壊変された石室だ。おー、古墳だ古墳だ。壱岐内でも、また以外に報告されているのかは判らぬが名前は・・・自分でつけたりして。古墳の良さはいろいろだ。
当該ブログの記事は平成28年(2016)7月10日から12日までである。
石室は完全に崩壊しているが天井、側壁など板石で構築されていたようだ。鬼の窟のような古墳もあればこのような古墳もある。古墳分布図には載っていないようだが。